Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

誕生日に言いたい事

2014-04-30 00:04:19 | 日記・エッセイ・コラム

コナサン、ミンバンワ!2014=平成26年4月も、後一日となった。晴天に恵まれた先週末とは一転、降雨の一日となったが、岐阜の悪友が、拙誕生日記念の酒席を設けてくれ、中々に良い感じの一時ではあった。又、拙誕生日の祝賀メッセージを下さった方もあり、厚くお礼を申します。明日の4月最終日も、もう一日降雨の様だが、5月初めの連休後半は、再び概ね晴天に恵まれる様である。

さて話は変わる。先日、俺の所へも日本年金機構より「ねんきん定期便」が送られて来た。良く知られる様に、行政に関する情報公開の一環として実行されているもので、以前の原則非公開(社会保険事務所に出向いて要請すれば、その状況を事務所内で本人に限り閲覧する事はできた)に比べれば一歩前進だが、既に欧米先進国では当たり前の事となっており、国民市民の側に立った情報提供のあり様は、まだまだ後追いの印象ではある。

その年金、納付と給付見込みの関係を見ると、納付済み金額は、給付見込み額の約、数年分に過ぎず、平均寿命のほぼ80年間生きると見込むと、約10年分も不足する事となる。果たして、この不足分をどう手当てするのかが国家的課題と言われている。既に一昨年辺りと比べても、納付額が次第に増えているのとは裏腹に、給付見込み額は減額の気配が見られる様だ。この先も、直ちに若年人口が増える気配はなく、そうかと言って、安易に海外よりの移民を広く認める訳にも行かず、高齢人口が増加すれば、年金を初めとする社会保障予算は、益々その健全性を維持できなくなるであろう。我国の現状の年金予算が、国民市民の現役期に積み立てた額を原則上限に、分割して受給する積み立て方式ではなく、毎年度の予算から調達する賦課方式である事も、経済が減速した今となっては問題だろう。

今月よりも、社会保障向け財源としての消費税が5%より8%へと上方改定され、経済状況が許す様であれば、更に原則10%への再改定が予想される。年金を初め、社会保障予算が圧迫されている止むを得ない所あるとは言え、我々国民市民向けの情報開示は不十分であり、今後はもっと分りやすい情報開示と説明が、強く求められる事だろう。詳しい状況も分らずに、税率ばかりが上がって行く様では、納税者の多くは得心できないであろう。

同時に、増額された税金の行方にも、強い関心を払うべきだろう。建前上は、消費税は全額年金など社会保障向けに使途が限られているのだが、巧みにそれを装い、実は公共工事などに流用しようとする不良な動きもある様だ。例えば、我国の尊厳と海底資源などを守る防衛関連予算が一定限度必要であるのは分るが、消費増税分が不適切に流用されぬ様、国民市民サイドも監視をして参る必要があるだろう。又、国会議員や監査グループなどは、必要とあれば、国会にて勇気を以て疑問を呈し、税金の使途が適正か、糾す事も必要となろう。各個人レベルにて、個人年金などで公的年金の不足を補う心がけもそれは必要だろうが、まずはそうした努力を行い、少しでも社会保障予算の可視化を図らなければならない。その結果、一定の更なる増税が必要となれば、それが明らかな根拠のある誠実な説明があれば、国民市民もその事を受け入れる姿勢を見せる事だろう。もう一つ、年金予算の悪化を抑止する見地より、米合衆国にて一般化している確定拠出年金(この制度によれば、政府主導で行われる、年金資金の運用益捻出を、国民市民の自己責任にて行う必要がありはするが)への一定規模の移行も視野に入れなければならないかも知れない。

公共工事で思い出される事だが、民業の建物工事より、公共関連のそれは、工事の進捗が総じて遅いそうだ。当地名古屋でも、今年初より、もう数か月も道路の車線規制を伴うビル工事をしている所があり、車で通る度に「いつまでやってるんだ?」とイライラさせられるのだが、ある文献によると、技術的には速く進められる工事であっても、選挙対策などの政治的理由により、工事が大きく遅れる事があると言う。具体的には、工事期間が長ければ、その間一定の雇用が見込まれ、その工事が国会議員などが関わっていれば、その議員の選挙票が確保し易い事情がある様だと言うのだ。つまり、完成してしまえば政治的な旨味が減殺されるので、わざと工期を遅らせるケースがあるらしい。その分、工事コストがかさ上げされているのは申すまでもない。財政危機が声高く叫ばれる今日、こんな恣意的な「無駄」が許されるべきではないと強く思うがどうだろう。(4/29記)

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大韓民国の海難事故に思う事

2014-04-21 00:22:57 | 社会・経済

コナサン、ミンバンワ!日付が変わったので昨日の事になるが、久々の降雨。「穀雨」と呼ばれる恵みの雨とかで、ここの所、春にしては雨量が少なかったので、外出の帰途に降られる破目になるも、まあ仕方がないと言う所か。しかし、近隣国にては「仕方がない」では済まされない重大事故が生じている様だ。

16日、大韓民国南西部にて生じた、大型フェリー船の沈没事故。半島の主要都市 仁川(いんちょん)より修学旅行生ら数百人の乗客を乗せて済州島(ちぇじゅど)への途上、後僅かで目的地と言う所で転覆、約二時間半後に沈んだ様だ。

同船は1994=平成6年に我国にて建造、九州沖縄路線の航路にて主力を勤めた後、2012=同24年頃大韓民国の船会社に売却、ここで定員増などの改装を施した上、前述の航路などを担っていた様だが、転覆し易くなる重心の上昇など、構造面の問題もあった模様。又、航送自動車や貨物などの積載超過の疑いは少ないものの、積み付けのバランスに疑問があったとも言われ、大きく指摘されている、事故当時の、船長直々でなく、経験の浅い若手航海士による操船や、乗客の救命や避難誘導の訓練が不十分だった事、そこからの、乗客への対応が一部の乗員に任され、船長らが強い決意での救命活動を行わず、早々に下船してしまった事実も次第に明らかになって来ている。同国当局を初め、情報面の適切な統制管理が不徹底だったのも問題だろう。初めは困難を極めた、多くの潜水士各位による捜索も軌道に乗り始め、既に数十もの犠牲を生じ、未だ二百数十の方々の安否が不明のまま。「冬の時代」の日韓関係が良く言われる所だが、まずはその事をさておいて、夢を奪われた犠牲の方々への弔意と、被害に遭った方々への一言のお見舞いを申したい。その上で、大韓民国当局と、当該船会社には、此度の惨事の徹底した調査と、乗客やそのご家族への誠実な対応、それに再発防止への強い決意を込めた、内外への明確な姿勢を見せて頂きたいものだ。

此度の事件事故に際し、我々日本人が弁えなければならない事が一つある。それは、「冬の時代」の日韓関係に際し、決してこの事故を喜ぶ様な言動をしてはならないと言う事だ。確かに、ここの所の同国の強硬に過ぎる対日姿勢は好感できるものでなく、我が方の不興を買うのは仕方がないと心得る。しかしながら多くの人命が失われ、尚も安否の分らぬ方々が多数ある事、それに伴い、多くのご家族が悲嘆にある事を考える時、少なくともそうした心情を表に出すべきではないだろう。どんなに上手く行っていなくても、国境を超えた「人間」としての受け止めや、視線を向けるべきである。前世期初めの日韓併合に端を発する歴史問題や、竹島の領有、日本海の呼称など、乗り越えるべき問題は多いかも知れないが、ここはまず、大韓民国の見舞われた不幸を、我が方にも無関係ではない事として、厳粛に捉えるべきではないのか。韓国民各位にしても、その全員が「反日」ではない可能性の方が高いのだ。多くは望めないかも知れないのも事実だが、日韓両国民が「何が一番大事か」を時間がない中で少しでも思考し、冷静な大人のやりとりができる様にする事が望ましいのだろう。振り返れば2001=平成13年初、首都圏のJR山手線にて、手を携えて人命救助を図るも、残念ながら尊い犠牲となった日韓の方々は、それができたのではないだろうか。

現状、同国は、海外よりの復旧支援を当面不要として要請しない意向の様だ。内政干渉にも繋がりかねないだけに、積極的な支援のあり様には一考を要するが、もしも要請があった場合を考えておく必要はあるだろう。朴政権の冷静で聡明なご対処と、当該船会社の関係各位の、事故に対して誠実に向き合う姿勢を、今は望みたい所である。

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まずは、道づくりだ

2014-04-13 15:45:18 | 国際・政治

花曇りの下、2014=平成26年4月も、早半ばに差し掛かろうとしている。先月下旬に始まった、当地愛知の桜の見頃も、山間を除きほぼ終盤。短めの期間ではあったが、北上する桜前線を快く見送りたい気持ちでいる所。「花は誰のもの?勿論皆のもの」であるはずだからだ。それは、今は天界におわす中部伝説の桜守、佐藤良二さんの大いなる願いでもあろう。

さて国花たる桜咲く時季にある我国の、これからを左右するかも知れない、日本国憲法の改正を可能とする状況に道を開く、国民投票法制の法案が、政権与党と大半の野党各党の支持を得て、近く国会にて可決成立の見通しとなった。自称「自由と平和」勢力にとり、不磨の大典と崇められた日本国憲法と言えど、時代の変化への整合は不可欠であり、又、平和条項第9条のあり方にしても、我国の尊厳を守る為の、やむを得ない限度の自衛力の保持行使を全面否定している訳ではない。そうである以上、主権者たる国民市民が、最高法規たる憲法のこれからのあり様をどうするか、その意思表示と審判を行う法的整備は当然必要であり、今までの不備が異常なのである。「国民投票法制が整備されないのは、国民の総意」などとする(法案反対の)社会民主党執行部見解などは、正に「虚偽」の一言。我々国民市民も、そうした虚言に惑わされる事のない様、こうした動きを正しく見守り、自らの意志と信念で、国家的決め事と向き合いたいものだ。

勿論、法制化には課題があるのも事実。憲法改正などの重要法案に際しては、国民の投票権を18歳以上よりとしたいのが、法制化を目指す政権与党の希望。法案にも、施行後4年以内に、投票権付与の18歳以上が謳われているのは事実だが、これは現行20歳よりの公職選挙法規定による他の諸選挙の投票権や、同様の民放の成人規定の見直しと同時の方が良くないだろうか。世間一般にても、現状では18歳成人は、圧倒的多数の支持を得るには至っていない様子。そうであれば、年齢規定をもう一度見直し、施行後4年以内の括りを設けずに、民法や公選法の成人規定見直し時点と同時との規定に改め、早めの成立を図っても良いと思うのだが。全国民の生活に影響する年齢規定は、世間一般の広い理解が得られるまで実施を猶予する姿勢も必要ではないだろうか。

前述の、自称「自由と平和勢力」は、日本国憲法第9条を、今度のノーベル賞候補とすべく、スエーデン王国の同委員会に届け出、受理された様だが、想えば周辺諸国に危害を及ぼさない平和条項と、自国の尊厳保持に最低限必要な自衛力の保持行使は同じ位大切な事共。つまり「車の両輪」と言う事だ。どらかに偏った見方は、同じ位危険であろう。更に、第9条のノーベル賞候補届出は、全日本国民を受賞対象としているやに聞くが、これは同法の、基本的人権の精神に抵触する疑いがある。つまり、個々の日本人の、思想信条、言論表現の権利が蔑ろにされている印象があるのだ。自称「自由と平和」勢力は、基本的人権は、日本国憲法によりもたらされたとする誤った認識がある様だ。こんな事は、タレント 小島よしおさんのお言葉を借りれば「そんなの関係ねえ!」の一言だ。個人の思想信条、言論表現の権利は、日本国憲法のあり様に関係なく原則国家保障されるべきだし、我々国民市民もそれらの概ねの実現の為に、努力する義務を負っているのである。基本的人権は、日本国憲法の為にあるのではない。日本及び日本人の幸福実現の為にあるはずだ。こんな倒錯を通してはいけない。

同様の問題は、我国か同盟国家の安保活動への協力を一定限度可能にする、集団的自衛権の保持行使や、国家秘密保持法制の事共にも言える事だろう。何も、戦前流の「戦争ができる国」を目指そうとする話ではないはずで、これまでの平和貢献とのバランスを取りながら、より昨今の現実に近い、国家としての対応を目指すもので、些かも平和国家の看板を傷付けるものではない事を、改めて理解したいものである。確かに、安倍大臣を先頭とする現政権与党の行き様に焦りの印象が付き纏うのは事実である。拙速は良くない。改憲、集団的自衛権の捉え直しや最低限の秘密保持法制・・・どれも、法制化にある程度の日数や時間を要するのは仕方のない事であり、今は、安易に退かない姿勢を以て、法制化の為の下準備、言わば「道づくり」をする時期だと言う認識の元、慎重な諸事の進行をお願いしたい。

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タモリさんの 昼と夜

2014-04-06 22:34:43 | 芸能ネタ

コナサン、ミンバンワ!2014=平成26年4月も、拙ブログを宜しくお願い致します。

先月末、開花した今季の当地の桜も既に見頃を過ぎ、明日よりは散る様を多く見る事となろう。「無常」と言う言葉の様に、季節は移ろい、桜前線も同じ所に留まるはずはなく、北を目指して移動して行く事だろう。それが真実であると言う様に。今季の当地の見頃はこれまでよりも短かった感じがするも、それも現実の事として受け入れるべきなのだろう。

さて、真実と言えば、昨年来各方面で虚偽の事共が多く生じた印象が強い。一流と言われるホテルや飲食店、食品を扱う店舗などでの産地虚偽表示に始まり、今年に入っては、視聴覚障害を抱えるとされたある作曲家が、別の作曲家に依頼した作品を恰も自身の作であるかの様に、結果として偽ったとされる事案。更に、政府系行政法人の理化学研究所の若手研究員が関わったとされる、新型細胞生成についての研究過程や資料などの虚偽疑惑など、前東京都知事や野党々首の巨額政治資金疑惑などが霞んで見える程の頻度である。最大の事案は、理化学研究所のそれだろうが、渦中の若手研究員は、不正などが許されない研究ノートの作成管理に相当の杜撰さがあったのは事実なるも、一人個人だけでなく、組織が関わった疑いが強く、又、その組織内、あるいは同研究所以外のケースにしても、個人同士などの所謂「馴れ合い」の構図があったのではないだろうか。又、当該するそれそれが、功利を焦った所もあろう。これらの問題の解明の為にも、当事者の各位は、刑事責任を問われるか否かに関わらず、我々国民市民の前に、真実を語る道義的義務を負っている様に感じるのは、俺一人ではあるまい。

さて、虚偽疑惑ばかりが続くと幻滅や失望に繋がり易いのが常の所だが、そうばかりでもない。自らの道を信じ、その多くが「真実一路」だった方もある。意外にもそれは、芸能人であった。司会者 タモリさんである。

本名を、森田一義さんと仰る。1945=昭和20年8月、福岡県ご出身。高校在学中より吹奏楽部にてトランペット演奏と司会をこなし、中退を余儀なくされた大学時代には、モダン・ジャズ研究会に所属、現在の縦横無尽に亘るご活動の原型が作られた様だ。1970年代に入った20代後半の頃、サキソホン奏者 渡辺貞夫さんの九州公演に同行の大学の同級生に面会された折の帰途、同じ宿に泊まり、部屋で談笑していたピアノ奏者 山下洋輔さんのグループの会話に合流、ここでのメンバー達との盛り上がったやりとりに山下さんが感動、当時は本名の森田姓だけを名乗って解散するも、この時の事が縁で再会、以後山下さんのグループ他との交流が続き、東京進出のきっかけとなる。

前述の事が縁で上京したタモリさんの(当時は先鋭的な)パフォーマンスの評判が、間もなく人気漫画家 故・赤塚不二夫さんの耳に入り、芸風や方向性の見極めを図った同氏は、ご自身のTV番組にタモリさんの起用を決意。番組まで日数があり、一旦帰省を望んだタモリさんを、何とご自宅に長期滞在する許可を付与した上で押し留めたのだと言う。下手をすれば、大きな間違いの元であり、当時いかに赤塚さんがタモリさんに全幅の信頼を寄せ、その才能を高く評価されていた事の証左と言うべきだろう。赤塚さんの先見性には、改めて脱帽させられる思いがするのも事実である。

この出演を無事に果たしたタモリさんの物語は、勿論ここで終わりではなかった。赤塚さんや山下さんらの引きで、芸能界本格デビューの運びとなる。1975=昭和50年終盤辺りより、夜間のTV番組をメインに露出度を上げて行く。又、前後してラジオ番組もご担当になり、「オールナイト・ニッポン」の同氏の担当日は、当時俺も楽しみにしていたものだ。この頃から放送作家 高平哲郎さんらTV族との交流も増えた様だ。

1980=昭和55年辺りに、一つ大きな転機があったと言えよう。高平さん同様、喜劇系に強い番組制作者 故・横沢 彪(よこざわ・たけし)さんらの奨めで昼間の帯番組への進出をも果たす。つい先日、終幕を迎えた人気番組「笑っていいとも」シリーズの発進。そのメイン司会に抜擢され、初期不調を見事乗り越え、31年半、8000回を超える長きに亘る番組司会を完遂するに至る。

放送ご出演初期の頃は、確かに先鋭的で際どいご言動も多く、どちらかと言えば深夜系の印象だったが、「笑っていいとも」シリーズの司会時は、その夜型カラーを早くから消し、状況に応じた臨機応変な番組の進め方のできる方だった様に思う。昼間の方は、途中からではあったが、子供達に見せても良いレベルをクリアしていたし、夜の方も、徐々に本来の知性が光るものに変わって行ったのではないだろうか。「変わらずにいる為には、変わって行かなければならない」事を、タモリさんはTV活動の中で、見事に実践されていた様に思う。だからこそ、小学生時代の事故による、片眼失明の悲運を乗り越え、TVの巨人への階段を上って行けたのではないだろうか。又若き日、吹奏楽と共に、日本武道を嗜まれた事も、同氏のその後の人格造りに寄与した所もあろうかと心得る。

もう一つは、人々との繋がりを大切にする姿勢。見る者を楽しませる一方で、一度築いた人脈を決して疎かにせず、常に手入れを怠らない真摯さが見て取れる。上辺では不勉強を装いながら、深い所ではちゃんとしっかり学んでいる。これらは、我々が本当は学ばなければならない事共の様な気がしてならないのである。だからこそ、同氏司会の番組は、長寿を誇るものが多いのだろう。「笑っていいとも」シリーズで共演したSMAPの各位や、モデル兼任タレント ローラさんらが「番組そのものが家族の様だった」と述懐されるのを聞いたものだ。

先年、赤塚さんがご逝去となった折、弔辞を詠まれたタモリさんは「家族以上の恩人」と称え、自らも赤塚さんの作品であるとされ、同氏の死を悼まれた。決して恩を忘れる事のない、尊い人としての姿勢を改めて学んだ気がしている所。「笑っていいとも」シリーズが終わり、喪失感に陥る、所謂「タモロス現象」も生じているやに聞くが、その威光は潰えてはいない。他の看板番組「ミュージック・ステーション」と「タモリ倶楽部」は少なくとも当分は継続されるし、司会者のみならず、俳優や音楽評論家など、複数の顔もお持ちだ。来年はいよいよ古希、そしてTV活動40周年の、大きな節目をお迎えになる同氏、「笑っていいとも」シリーズの司会進行完遂を心より称え、厚く一礼を申すと共に、これからのご活動のつつがなきを祈り、引き続き見守って進ぜる事としたい。

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