Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

2015=平成27年1月回顧

2015-01-29 16:06:37 | 日記・エッセイ・コラム
2015=平成27年も、早や一ヵ月が過ぎようとしている。中東シリア国内にて勃発した、国際イスラム軍事組織による日本人二名の拉致拘束事件は、残念ながら犠牲一名を生じたとされ、軍事組織側は、10年前に、シリア国と隣接するヨルダン王国内にて生じた、数十もの犠牲を生じたテロ事件に関わったかどで、死刑が確定した女囚の釈放と、拘束中の邦人カメラマンの解放を交換する事を画策している模様。但し、ヨルダン王国の空軍飛行兵も拘束されているとされ、同国の意向としては、当然ながらこの飛行兵の解放を優先して目指す事だろう。軍事組織側は、本日夜間までに女囚の釈放がなければ、ヨルダン飛行兵の殺害も有り得る事を予告していると言われ、我国としては、ヨルダン王国側の立場も汲みながら、邦人カメラマンの救出をも併せて目指すと言う、歴史上初の事態に臨む事となる。安倍政権、そして当該官庁の外務省の各位は、連日の徹夜業務で大変なのは分るが、とも角、国際的にも最悪の事態を避ける努力を引き続き全力でお願いしたいものだ。国際イスラム軍事組織関連の女囚釈放には、もう一つの当事国ヨルダン王国を初め、欧米の世論よりも強い異論があるのは承知しているが、人命を優先する立場よりは、心ならずもやむを得ない選択と決断も有り得る事を心得たいと思う。

さて話は変わる。私事で恐縮だが、負傷入院中の拙母は初期治療を一応クリア、続いて歩行機能回復に向けたリハビリテーションの過程に入る事ができた所。まあ高齢につき、相当の日数を要する事だろうが、無理なくゆっくり、しっかり治して戻って来て欲しいと、家族親族共々、折に申している所。留守を預かる父の体調も決して万全ではなく、俺は引き続き拙居所より少し離れた実家に寝泊まりする日々が続く。
今日は、昨年暮れに拙勤務先に日曜出動した代休を賜る事ができ、このブログも何とか更新できたのだが、もう暫くは、できる日に更新と言う状態が続きそう。恒例の、昨秋冬の拙写真帖は、勝手ながら来月発表にずれ込みそうであります。

その写真貼の取材にも長らく貢献してくれた拙愛車 スバル・インプレッサGG2がこの程引退、先日、廃車回送に行って来た。2004=平成16年に新車導入以来、11年間、10万余kmを大きな事故や故障もなく完走、最後まで好調を維持してくれたのは、心より感謝と敬愛の意をもって見送って来た。
又、車の整備で大変お世話になった、当地のR自動車の方々にも、併せて御礼を申す次第であります。
自家用車のある生活は、これでひとまず終止符だが、機会があれば、又保有したいとの意思はある。駆け巡った当地愛知とその周辺の道には、大いに魅力ある所も多く、本当に「又いつか」の想いは持ち続けていようと思う。

そんな訳で、趣味の写真撮影も、依然ままならない次第。合間を見て、拙居所近くの金山公園辺りで、練習撮影の日々であります。次回は来月に入ってからの予定。引き続きかまってやって下されば幸いであります。
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娯楽~カジノよりコミケ

2015-01-25 15:46:18 | 日記・エッセイ・コラム
先年来、政情不安続く中東の地で、遺憾な事態が進行中だ。昨秋来消息の分らなかった、日本人渡航者二名が、一部地域を軍事力で制圧し、国際法上適正を欠く方法で実効支配している国際イスラム軍事組織「イスラム国」に拘束され、内一名が殺害されたとの情報もある様だ。まだ詳細な情報がもたらされない以上、立ち入った見解は控えるが、少なくとも拘束中の一名は、社会通念上適正と思われる報道取材の為に入っていたと思われ、当初の法外な身代金要求共々、生命に関わる様な拘束は、決して許されるものではない。安倍内閣総理大臣以下、我国の政府関係各位も、報道家Gさんの解放帰国に全力を挙げる方針の様だが、どうか人命第一に、周到な計画の上、同氏の安全を祈願しつつ実行をお願いしたい。又、この勢力は歴史的にも極めて残虐性が強く、難しい交渉相手の様なので、そこの所も留意の上臨んで頂きたい。と同時に、我々日本人も、真の国際化の意味をもう一度噛みしめ、国防安保に対する姿勢を再点検する必要があるだろう。

さて話は変わる。ここ数年来、新しい観光収入資源として、米合衆国ラスベガスや、香港のマカオ辺りをモデルにした、所謂カジノと呼ばれる賭け事のできる大型リゾート施設を整備しようとする動きが目立つ様だ。代表的なのが、東京都内、有明周辺だが、大阪府下や長崎県下などの他地域でも動きがあるやに聞いている。確かに、国際水準に近いカジノ・リゾートを整備して、ここの所の為替安などで増勢に転じた外国人観光客をより多く招き、経済振興の一助にしたい心理は分らなくもないが、諸外国の事例についての一連の報道を見ていると、その全計画が成功している訳では決してない。隣国の大韓民国にても、カジノが進出した地域の経済格差が反って増し、負けが込んで多くの負債を抱え、生活苦に陥ったユーザーも少なくない様だ。又も引用で恐縮だが、本日の地元紙 C新聞に載ったある書評を見て参りたい。著者は、精神科がご専門の帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)医師であります。

『書く人~ギャンブル依存国家・日本』

「私たち日本人はギャンブルに慣れっこで、鈍感になっている。官民ともに危機感がない。いままさに国中がギャンブル障害の地獄となっているのに」。燃えるような義憤から生まれた警告の一冊だ。

日本人のギャンブル依存の有病率は4.8%。患者は約536万人。昨夏、厚生労働省の研究班が発表した数字だ。米合衆国など諸外国が1%前後なのに対し、頭抜けて多い。ネットやアルコール依存の患者数より多く、帚木さんが暮らす福岡県全体の人口をも上回る。

長年、精神科医として患者を診てきた。「本人の責任と思われがちだが、ギャンブル障害はれっきとした精神疾患。やめたくてもやめられないのです」と語る。福岡県中間市で開業のクリニックを訪れた100人を調べると、8割強がパチンコ・スロットにより発症していた。

ウソと借金を重ね、家族を崩壊させる。判断能力を失い、犯罪へと走る。ベネッセの顧客情報流出事件の容疑者は、パチンコや競馬の借金が同機とされる。2006=平成18年に母親をハンマーで殴り殺して金を奪った大学生は、血のついていない札をより分けてスロットに直行した。ギャンブルが誘因となった犯罪は、枚挙にいとまがない。

ギャンブルによる、ハラハラドキドキの期待感や危機感で、神経伝達物質ドーパミン優位の脳になると、簡単には戻らないという。つまり「一度たくあんになった脳は、二度と大根に戻らない」。中止すると出る幻覚や、手の震えといった離脱症状は、アルコール依存が一週間程度に対し、ギャンブル障害は一~二ヵ月。だが治療薬がない病気ゆえ、精神医学界は本腰を入れて研究や治療に取り組まない。

戦後、日本政府はギャンブルの統制をやめ、自らが胴元となって公営ギャンブルを展開した。農水省は競馬、経産省は競輪にオート・レース、文科省はスポーツ振興くじ、総務省は宝くじ・・・。国は対策に乗り出さないどころか、ギャンブル進行に血眼だ。「国家自体がギャンブル依存に陥っている」

業界への天下りを含む権益を持つ警察は、パチンコ・スロットをギャンブルとみなさず、マスコミは広告収入をあてにする。一旦廃棄となったカジノ法案が、再び次の通常国会に出されようとしている。依存患者に依存する国家でいいのか?


帚木医師の、この問題提起には本当に考えさせられる所があると思うがどうだろう。ギャンブル依存の大きな発端とされる、パチンコ・スロットの遊技店は、それこそ我国の津々浦々、身近な所にも多くある。つまり、誰が病んでもおかしくないと言う事だ。こんな国民病的な経済資源には早めに見切りをつけ、先日TV報道にもあった、マンガの一大市場、コミック・マーケットの普及にでもテコ入れした方が、余程健康的な気がする。

現状は、やはり東京・有明を最大の会場とするコミック・マーケット、所謂コミケは、俺の記憶が正しければ、最低年一度は催されている様だ。こちらも極言すればオタク的な側面が付き纏い、胡散臭い視線で見られ易いのも事実だが、東京のそれは毎回、混乱を抑えるべく、秩序を以て静粛に運営され、多くの若い来訪者の評価も概ね高い様だ。我国の漫画、アニメーションは世界屈指の高レベルであり、外国よりの参加者、見物人も年毎に増えている様だ。この規模を更に広め、最低でも札幌・大阪・福岡でも時期をずらして開き、様子によっては仙台・名古屋・京都・広島辺りまで広めても良いだろう。

漫画と一口に申しても、中には弘兼憲史さんの作品などの様に、大人の読者を勝ち得た高レベルの作品も多くあるし、これからは、多くの世界の若い世代を呼び込めるのも良い所だ。何よりも、こうした自由な発想と創造の場より、多くの新しい才能が育まれる可能性だってあるのだ。

俺としては、国や地域の経済の為にも「カジノよりコミケ」だと思うがどうだろう。

今回の画像は、毎夏当地・大須にて行われる、アニメーションの登場人物などを模したパフォーマンスの祭祀「世界コスブレ・サミット」の一場面であります・
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自助、共助、そして公助

2015-01-17 16:19:16 | 日記・エッセイ・コラム
新潟磐越と並ぶ、我が思い出の地 神戸を襲った、阪神・淡路大震災より、本日で満20年が過ぎた。俺は20代後半の一時、以前の勤務先の都合で約1年半神戸中心部に住んだ事があり、その折は同様の事情で大阪府南部にいた岐阜の悪友と共に、各所へ出かけていたものだ。JR(当時は国鉄)、そして阪急電鉄三宮駅のガード下は、色んな良き思い出のある場所でもあった。あの震災で、元のその場所は崩落してしまったのだが。

20年前のこの日、当地でも相当な揺れに見舞われた。なかんずく、後半の横揺れが長く、しつこく続くのが気になった。「もしかしたら、どこかで大きいのが来ているかも」と思いつつもう一眠り。7amのTV報道で、殴られた様な衝撃が走ったのも尤もだった。

まず目に飛び込んで来たのが、三宮駅東方で脱線転覆した阪急電車。全部ではないが、鉄道も高速道も高架が倒壊し、住宅地では広範囲に出火した所もある。震度は控えめでも6強、後に7だった事が判明。「大変な事になった」と言うのが第一印象だったのを覚えている。発生の約10年前、三宮界隈の往来が日常だったのだから、尚更だ。

当時の報道を見ても、時間の経過と共に犠牲の方々の人数が増え、悲嘆と共に「一体どうなってしまうのか」との不安が脳裏を過ったものである。神戸の西半分、長田区の状況はご存じの通りの凄惨なもの。ここをメインに、6000を大きく超える住民の方々が斃れてしまった。建物の倒壊は計20万棟にも達し、高校時代に世話になった、当時大阪・兵庫県境に住まわれた方の話では「自分の居る大阪側は辛うじて無事だったが、兵庫側は地獄絵図だった」と述懐されている。多分、この辺りが断層帯だったのだろう。

先年の東日本大震災と並び、大変不幸な出来事だった訳だが、復興への歩みは総じて早かった様に思う。勿論、全部が全部順調に立ち直った訳ではない。中には今でも、震災の後遺症に苦しむ方々がある事をも忘れてはならないだろう。それを踏まえるとしても、関西の方々の復興への決意と取組みには堅いものを感じると言うのが素直な印象だ。俺は震災当時の混乱が落ち着いた頃を見て、神戸周辺に居住の知友達に連絡を入れてみたが、お陰様で犠牲はなく、大きな人的被害は免れていた。又、2008=平成20年夏には、久しぶりで短時間、神戸中心部辺りを覗いてみたが、震災の痕跡はほぼ解消していて、一安心したものであります。

そうは言っても、阪神・淡路、そして東日本の両震災の惨状を拝見すると、決してこれらの悲劇は他人事ではないと思わければならない事も少しは分るし、そうでなければならないだろう。最早、大地震の空白域は、本州では当地東海だけだと言われ、これらの震災復興の足跡より、当地の我々も、防減災の為、少しでも学んでおかなければならないのも事実である。

阪神・淡路大震災のケースでは、救助された方々の内、警察や消防、陸上自衛隊などの行政に救われた人数は、全体の2割弱だったと言われる。他の多くは、勿論自ら助かったケースもあろうが、地域の住民同士が助け合って救われた所が多かった由。この事より、いかに普段よりのご近所との往来や連携が大切かが分る。つまり、地域社会の力が大事だと言う事だろう。地震以外の災害の時も、やはり地域の連携ができておれば、防災情報の伝達も早く、住民のや多くが早めに避難できる強みがあろう。東日本大震災の折見られた、大津波被害を抑えるべく中学生達が早めに避難を促す行動に出た結果もたらされた「釜石の奇跡」がその好例だ。こうした事例に学び、有効な行動を積み重ねられる様になれば、人的被害を大きく減らせる「減災」に結びつけられる事だろう。まずは、急迫した状況に見舞われたら自ら助かる「自助」努力をして、次に周りにいる人々が協力して乗り切る「共助」が大事と言う事だろう。警察や消防、海保や自衛隊が動く「公助」はやはり、最後の手段として理解されるべきだろう。

今回画像は数年前、当地名古屋の悪友達と共に出かけた、山口・島根両県下を走る、蒸機列車の模様。この機関車は、阪神・淡路大震災当時に兵庫県下にて整備中、強い揺れによるダメージを被るも、それを乗り越えて復帰して行った。やはり震災ゆかりの勇者として、称えたい所です。

P.S 次回は1/24(土)以降に掲載予定です。
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山本 昌~我らがレジェンド

2015-01-12 11:24:57 | スポーツ

冬晴れとなった本日、負傷入院中の母の見舞いと、実家の雑用の合間を縫って、ようやく少し時間を確保でき、拙ブログを更新している。
今年に入っても内外の情勢は大いに難しく、フランス国にては先日、某新聞社による過度のイスラム教風刺に起因すると見られる、同教急進勢力による大規模な銃撃事件が発生、十数人もの犠牲を生じる事となった。先程は、同国内にて犠牲各位を追悼する行事も多数参加の上行われた様だ。

確かに、イスラム信者にとりご神体とも言える唯一神アッラーや、預言者ムハンマドに対する不敬が事実なら、それは承服し難い事共であり、言論・表現の自由が尊重されるべきであっても、そこの所は自制を以て臨むのが筋。報道メディアの倫理不在はかねて指摘されており、今回はその不良が最悪の事態を招いたと言う事だろう。報道への積極姿勢が委縮してしまうのは芳しくない事であるのは分るが、行き過ぎ、やり過ぎは他の文化を持つ人々の不興を買う事もあるを、改めて自覚すべきではないか。

その一方で、戦場で使う様な銃火器を、街中で極めて簡単に行使した実行犯達の蛮行も、勿論指弾されなければならない。イスラムにとり「報復は正義」と言われ、前述の様な事由があったにせよ、無辜の複数を殺傷した事は、正に「宣戦布告なき戦争」そのものであり、それは国際法規や、国境を超えた道義によって糾され、裁かれるべきであろう。どの様な理由にせよ、人殺しに正義はないと言う事を、我々も人類として自覚する必要があろうし、10億を超えるイスラム信者の殆どは平和を求め、武力に訴える過激行動に出る向きは、ごく一部である事実にも留意する必要があろう。

とまあ、キナ臭い話題はこの辺にして、今回は、スポーツの世界で頑張る「レジェンド」と呼ばれる中高年のベテラン選手の活躍に、少し触れたい。昨年辺りより、スキー競技の葛西紀明選手の活躍で、この言葉はすっかり馴染んだ感じがするが、他にもプロ・サッカーのカズこと三浦知良選手や大相撲にて健闘の旭天鵬関、カーレーサーでもあるトヨタの現総帥 豊田章男さんにも加わって頂いて良いかも知れない。そして当地の勇者、プロ野球 中日D投手の重鎮、山本 昌選手の事にも触れなければならない。

既にプロ活動30年を超え、昨年は、我国プロ野球史上最年長の49歳で勝利投手に輝いた。もう監督や投手コーチなど、指導者の地位にあってもおかしくない方だが、現役へのこだわりは大変なものと聞く。来年は、いよいよ前人未到の50歳での勝利に挑む事となるが、先日の地元紙 C新聞に載った、ある私立大学教授のお話では、やはり昨今のBクラス定着の原因でもある、打線の低迷が山本投手にとっての不安材料でもある様だ。台所事情が厳しいのは分るが、勝つ為には打てなければならないのも事実。中日球団が、どれだけ本気で対策に出るか?試される所ではないだろうか。
それと、ここは同じ悩みを抱えた他球団の足跡に学ぶ事も少しは必要かも知れない。その球団とは、同様に長年打線低迷に見舞われ、一昨年辺りからようやく復調した広島Cの事だ。リーグにては確かにライバルだろうが、冷静に近年の歩みを観察すれば、復調へのヒントが見えて来るかも知れない。その事が、山本投手を真の「レジェンド」に押し上げる事を心より望みたいものだ。

前述の私大教授の記事は、一時今回拙文中に載せる事ができましたが、携帯にての誤字訂正に失敗、誤消去してしまいました。この点は一言お詫び致しておきます。画像の方は、当地の野球中継にも長年貢献した、当地中心部に聳えるTV塔の、この正月の夜景であります。

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謹賀新年2015's

2015-01-03 16:23:58 | 日記・エッセイ・コラム
新年おめでとうございます。各位、旧年中は大変お世話様でした。今年2015=平成27年も、どうか宜しくお願い致します。
と、冒頭のご挨拶はここまで。

ようやく、今年初の拙記事を載せる事が叶った。昨年末の、拙母の負傷事故入院により、俺の生活パターンも大いに変わり、
父や親族と共に協力しつつ、母の不在を何とか乗り切りたいと願う所。それにしても、毎年末の行事たる年賀状作成を、母の
入院前に片づけていたのは本当に良かったとつくづく思う。近年は、これまでの葉書に加え、Eメールでも送られて来る分が
ある為、尚一層その感が強い。

年賀状には様々な想いがあるのは事実で、幼馴染や親族に学友、それに余り触れたくないのだが、勤務先の上司や同僚などの、
意外な一面が覗けるのは良い所。その反面、やや鬱陶しく感じるのが、一部の知人に毎年決まって送ってくれない向きがある
事だろう。

昨年以前の年初にも記した記憶があるが、年賀状のやり取りの内には、年を経るにつれて、返り年賀だけの人物も現れ、普段
交流のない向きは、送付をやめようと思う事もある。事実、その様な状況を経て、交流が失われた相手もある。その一方で、
「もうくれないだろう」と諦めて送らないでいると、次の年に思い出した様に届く事もあり、喜ばしい反面、予想外でやや
戸惑う事あるのも事実である。

俺は、服喪を初めとするやむを得ない場合以外は、できるだけ毎年途切れさせずにやり取りをしたい方なので、一方的な自己
都合の側面あるは分っているのだが、可能なら毎年お願いできると、との想いがあるのも事実である。

それにしても、余り記すべきではないかも知れないが、今月中旬に行われる予定の、首都圏にての、古くからの写真仲間の
会合参加が叶わないのがやや残念。参加の各位には、大いに有意義な時間にして欲しいし、不参加のやむなきとなった俺は、
母の早い回復に向け、非力ながら可能な協力を惜しまぬ様努めたいと思います。

今年初の画像は、その様な状況下、時間を見て捉えた、拙居所近くの金山公園の静かな大晦日。元日を翌日に控え、長野方面
向けの、JR中央線の燃料輸送も、正月前最後の追い込みであります。

P.S 次回は1/11(日)以降に掲載予定です。
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