Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

「人類の理想」と言う幻想

2016-12-29 12:58:43 | 国際・政治

2016=平成28年も、後僅かとなった。拙方は、これから実家の年内最後の買い物を応援。それから明日にかけ、ボツボツ大掃除と言う段取りになりそうだ。世間では、今日から正月休暇の帰省ラッシュが始まった様だが、移動の各位は、陸、海、空いずれの交通手段であっても、どうかご安全にお願いしたい。一年の締めくくり、或いは、目出度いはずの新年早々、不慮の事態になってしまっては、決して幸いとは言えないと思いますので。

さて本題。先日、米合衆国ハワイ州、真珠湾(Pearl Harbor)の戦跡にて、安倍総理大臣が、米側犠牲者の慰霊に赴かれた。まずは、一言労いを申したい。直接は旧大日本帝国側の専攻ではあったが、その背景は、欧米側の、諸々の対日圧力もあった結果であり、又、旧日本軍の攻勢意図は、あくまでも米軍事基地の攻略であって、侵略ではなかった。よって、今回の安倍大臣の、慰霊と戦争再発防止の宣言は妥当であり、反省や謝罪とかを口にする筋合いのものではない。

然るに、(例の)野党の反応は、(やっぱり)的はずれなものばかり。民進党は、今回の米戦没者慰霊を、予想通り前向きに捉える事なく、「安保法制と、防衛予算の拡大につき、追及する方針」の蓮舫代表見解を表した。相変わらずの「初めに批判ありき」なのでさわりだけにしておくが、問題のどちらも、日米関係の強化の為には不可欠なものだろう。今回の安倍大臣のご行動に関連した問いにはなっていない様に思われてならないのだが。

もう一方の、日共、社民、自由の「容共特亜」三党の「毎度の」批判姿勢は、もう今更取り上げる価値もないので触れずにおくが、要するに「初めに反省謝罪ありき」の、中国大陸と朝鮮半島の難癖を受け売っただけの代物である事は、指摘しておきたい。

今から10年近く前、第一次安倍内閣退陣の折、拙ネット知人のお一人は「今は、批判より労いを」の文言を残された。今は、消去されているのが残念ではあるが、拙者は、大いなる共感を抱いたのを、昨日の事の様に覚えている。第一次政権時の安倍大臣は、深刻な健康問題もあって一度退かれたのであり、容共特亜の偏向した視点を別とすれば、大きな落ち度はなかったからである。だからと言って、当時も今も、安倍政権を、本当は熱く支持したくはない想いもありはするが、それにしても、代りを担える人材が、与野党双方に不在なのが、何とも遺憾。過日も申したが、間違っても蓮舫総理大臣の出現など、絶対にないと申して良い。

これらの、愚連隊と大差ない容共特亜野党共が、日本弁護士連合会や日本教職員組合などと一緒になって、事ある毎に口走るのが「人類の理想」なる、意味不明の標語だ。これは、前述の容共特亜と所謂「お花畑」たる理想主義勢力が、金科玉条の如く見直しを拒み続ける日本国憲法の理想的な適用を意味するらしいのだが、はっきり申せば、そんな事は実現不可能だろう。

考えてもみられよ。日本国憲法を「自由と平和の法典」などとする解釈が、何とも酷いお粗末なもの。「平和」の大切さは、ある意味我々日本人から一番遠い、イスラム教でも強く説かれており、その経典「コーラン」では、平和の実現の為、信徒は何をすべきかが相当に詳しく述べられているそうだ。つまり、預言者ムハンマドは「最も大切な事は平和。その実現の為には、無限の自由との共存など無理」と言う事を、教義を開く段階で悟っていた事になり、その意味では、基督教や仏教より賢明だった事になる。

アフリカ系民族らに対してもそうだったが、特に今の欧米先進諸国は、「自由は無限」である様に見せかけて、イスラム、アジア、アフリカの各勢力を不当に侵奪する所あったのではなかったか。だから時に、すぐに軍事行動に訴えるアル・カーイダやタリバーン、イスラム国ISの標的ともなり得るのである。過激勢力を正当化してはならなくとも。上辺だけの「自由と平和」など、そうした問題多い仕組みの上に飾られた、ただの虚構に過ぎないのである。そんな芳しからぬ背景を持つ日本国憲法の体質を、棒読みする訳には行かない。そんな事共を「人類の理想」として真に受け続ければ、真の「法の下の平等」は守られず、我国の婦女子を初めとする弱者達は、凶悪犯罪や外国による拉致誘拐の脅威から、いつまでも解放される事はないだろう。我国の、真の平和だって脅かされかねない。

経済格差にしても縮まらず、理想にしがみつき続ける事は、結局は、祖国の未来を闇に閉ざす事ともなりかねない。当然、弁護士法に謳われる「社会正義の実現」も看板倒れだ。余談だが、与党の打ち出す、複数の政策項目を、何かにつけて「意味不明」と揶揄する、枝野前民進幹事長は、この「人類の理想」につき、的確な説明ができるのだろうか。是非一度糾したいものだ。

来年、米合衆国は、トランプ新政権が発足する。対日姿勢がどうなるかも、余談を許さない所があり、暫くは、引き続いて安倍政権の頑張りをお願いするしかない。容共野党は、この辺りを全く理解するつもりがないらしく、媚中媚朝さえやってりゃ、平和は守れるとばかり思い込んでいるらしい。バカか。そんな連中にかしずかれる「人類の理想」など「結局は幻想」たる事を強く訴えて、この一年の締め括りにしたく思います。

今年最後の画像は、第一次安倍政権の終わり頃、福島・郡山で見かけた、蒸機出発の様子。戦中戦後の全国を駆け抜けた、代表選手「デゴイチ」ことD51型機。本来は貨物列車の先導を得意とし、又いつか、長大資材ホッパー車や石油タンク車編成の先頭に現れる日を、秘かに楽しみにしている所。勿論「幻想」ぽいのは分っております。画像みたいな、旧世代客車列車の先頭も、似合いの席。追いかける親衛隊は、今も多いです。では、今年も有難うございました。皆様、ご健康安全留意にて、良いお年を・・。

 

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宅配便不祥事は、社会全体の問題

2016-12-27 14:36:53 | 社会・経済

年末に近づき、少しは落ち着いたかもだが、クリスマスの時季までは、我々もよく世話になる、宅配便業界も多忙だった様だ。拙居所のある建物にも、少なくとも日に数回は、日本郵便JPを含む複数の業者が出入りして、頻繁に配送を行っている。又、たまに出向く、近所の業者集配所には、出荷待ちの荷物が多くあり、特に今月は多忙を極めたと思われる。

傍目にも、余裕のなさそうな仕事ぶりが窺えるが、先日、遂にその不安が的中する出来事があった。発生場所は明かされていないが、我国有数の宅配業者の従業員が配送中、大変に輻輳(ふくそう)する業務に耐えかねてか、預かり荷物を路上に放り出し、或いは荷役台車を路上に叩きつけ、などの暴挙に出たと言うのだ。既に、ネット上にも動画が出回り、事態を把握した会社側は、顧客への謝罪と破損などの被害状況調査などに乗り出し、当該従業員の処分も行う由。まずは、プロ失格とも言える所業であり、それは大いに糾されるべきだろう。

その事を踏まえた上で、今の物流業界の大変さ、余裕のなさも顧慮されるべきと愚考する。昭和末期の1970年代後半に始められたとされる宅配便は、小回りの利く個人・企業向けのサービスの強みが奏功し、これまで概ね順調に推移して来たのはご存じの通り。ただ、平成期に入っての通販の隆盛や、今世紀に入ってからの、ネット通販の台頭、更に新参多数による競争激化などで、トラック配送を初めとする労務面の余裕がなく、しばしば輸送事故やトラブルが頻発する事が問題視されて来たのも事実。今回の事件は、その象徴的なケースではないだろうか。

思い返すと、拙自身も、若き日に電機関連企業の物流部門に奉職した事があり、内部共々、宅配業界の大変さが少しは理解できるかと心得るので、不祥事に関わった人物を過分に弁護する意思はないが、少し所感を述べたく思う。

これは恐らく、当該人物個人の余裕のなさも相当にありはするが、やはり会社レベルの業務の組み立てに問題があったと捉えざるを得ない。配送を担う、営業ドライバーの各位は、それぞれに担当エリアを持つが、ある特定の箇所で、業務や連絡が集中したりした場合のフォロー・アップの方法や態勢が十分できる状況だったか、会社側は、当該人物の処分だけで終わらせず、事件の発生や背景を詳細に把握し、再発を起こさない堅固な態勢作りを、謙虚な姿勢で強く進めてもらいたいもの。又、某広告企業で大問題になった、過重労働の実態が、宅配などの運輸業界にも多くある、との指摘も付き纏う。全部は期待できないかもだが、そうした実態をも少しでも明るみに出し、膿を出すつもりでしっかりとした改善を願いたい。交通事故に代表される輸送事故が多発しては、仕事にならない事は、論を待たないはずだから。

同時に、輸送を任せる、我々を含めたユーザー・サイドでも、何ができるかを考える時期に来ているのではないか。最近は、激増するネット通販などの影響で、宅配便業界は、単価の低い煩雑な業務に囚われ、効率良い業務運営ができ難くなっていると聞く。特に多そうなのが、再配達問題。これは個人、特に日中に居所を空けがちな独身者達が、特に自覚すべき事共だろう。商品の注文は良いが、二度三度、配達しても受領されないケースも多く、その為に余分な労力とエネルギーが費やされ、これ又余分な排ガスの発生にも繋がっているのだ。通販側も、ユーザーとの契約時に、必ず、無理ない所で納期の指定ができるかを審査し、誠実な受領を徹底して頂く位の理解と協力を取り付けても良い。一度注文したら、受け取りはその時の都合次第では、泣かされたり危険に晒される人々を増やす事になってしまう。便利な通販も、一定の節度とモラルをもって利用する方が、むしろ企業や社会の損失も抑えられるのではないか。

今回画像は、当地の北郊 稲沢市を発って、首都圏へ向かうJRコンテナ便の様子。高速道利用の、長距離トラック輸送も曲がり角に来ており、ドライバー不足とトラック燃料節減の見地から、できる所で鉄道便を使う「モーダル・シフト」が継続して取り組み中。この日は、編成の前から5両目に、トラック多数を擁する陸運会社の専用コンテナが見られます。ここJR清洲駅は、かつての織田軍・清洲城址にも近く、又、列車写真の好適地としても知られ、愛好者の来訪も多い所です。

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小売・飲食業 24時間営業にこだわる必要はない

2016-12-25 12:54:24 | 社会・経済

今日で、今年のクリスマス期間も終わり。当地愛知は、概ね天候には恵まれた様だ。拙個人は、前回触れた東京裁判の事共が引っかかり、手放しで喜べない心理があるのも事実。まあ、新年を迎える一ステップと捉えれば、平穏な受け止めかな、とも思います。

さて昨夜、社会問題化している、過重労働の緩和(まだ『解消』までは年月を要する事だろう)の為、何をすべきかを討論するTV番組を見た。その席上、ある専門の方が「今の我国は、物やサービスの供給に過剰な所が多々あり、それが多くの過重労働を招く一因となっている」旨の指摘をされていた。その一方、世界的チェーンを誇る、あるファミリー・レストランが、実施していた我国内の全店舗での24時間営業をやめると言う。理由は人員不足との事だが、もう一つ、前述のTV番組でも問題となった、過重労働緩和への対応の意味も大きいだろうと心得る。

現状、珍しくもない24時間営業。特に、コンビニ店と一部の飲食店チェーン、それに主要道路のガソリン・スタンドなどでよく見かけるが、果たして全国各地で続ける必要があるのだろうか?と言うのが拙受け止めだ。

首都圏、関西、中京や北九州、山陽、南東北や北海道の札幌一円と言った、人口の多い地域なら一定の必要は分るが、思い返してみると、コンビニ店の老舗とも言える「セブン・イレブン」にしても、発足当初は店名の通り、概ね7am~11pm間の営業で、深夜帯は閉めていた記憶がある。24Hの終夜営業が広まり出したのは、昭和末期の1980代頃からで、顧客の利便の為と言う、一応の説得力ある大義の為だった様だが、大元は、欧米で広まった事を安直にコピーしただけだったのでは、と愚考する。

そうこうする内に、手軽さがウケて全国に広まり、今や業種、業態の差を越えて「ネコも杓子も24時間営業」に突っ走ったのが実態ではないだろうか。今世紀に入り、省エネルギーなLED照明や、新世代の空調システムが普及した事も、こうした動きを後押ししたと見る。しかし・・

拙者は、この様な終夜営業の店舗を余り利用しないので、大口は利けないかもだが、コンビニ、飲食の各店舗共、深夜帯の客層は、余り芳しい人種ばかりではない様だ。例えば、最近でも時折出没する暴走族連中の溜まり場になったり(広い駐車場を備える、コンビニ店も含む)、店舗関係者とトラブルを起こしたり、薬物などの問題ある物品を取引したりする、芳しくない者達も多い。よく知られる様に、世間の目が行き届かないこの時間帯は、売上金狙いの強盗犯などの標的になり易いのも事実である。

終夜営業取りやめに踏み切った、前述のレストラン・チェーンの英断には、一言拍手と一礼を贈りたい。我々は、ちょっと前の時代までは、深夜の小売・飲食店は閉まるものと大きな認識があった。又、それから、店の閉まる時間帯は極力外出を控え、静かにすべきものとの自覚も生まれたはずだ。安易な24H化の間違った普及は、人々のそうした自覚を失わせ、生き方そのものの節度も損ねた様に思えてならない。そこから、深刻な殺傷や強盗、性暴力など各事件の発生が少なくない事も留意されるべき。「深夜、若い女性が一人で外出できる」などと言うのは、不良メディアが垂れ流した無責任極まる低能文句である事を、もっと理解する必要がある。

これからの時代、24時間営業は、本当に必要のある、限定された所に絞られるべきで、地域を問わず、深夜帯はできるだけ自動販売機などでカバーできる様にすべき。主要国道の多くに見られる「道の駅」の活用が考えられても良いだろう。大型車の給油などで、深夜も開ける必要のあるガソリン・スタンドにしても、できるだけ場所を絞り、又、トラックなどの車上から利用できる状況が分る様、ネットの店舗情報を今まで以上に整備して、終夜営業を絞って行く必要があるだろう。曜日などによって、交替制で深夜営業の店舗を決めるやり方も考えられよう。とまれ「24Hオープン」は普通ではない、と捉えられる様、我々は思考を変えるべき時かも知れない。その事が、過重労働の緩和と地球温暖化抑制に寄与するなら、是非ともそうすべきだろう。

今回画像は、昨年秋、三重・熊野のJR駅にての夜景。午後8時頃ともなると、地方都市では人通りもぐっと減り、終夜深夜の営業の意味が薄い事を思い知らされます。この様な土地でも、多くのコンビニ店が24Hオープン。到底、全国一律で考えられる事ではない様に思われるのですが。

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今年の天皇誕生日に思う事

2016-12-23 20:45:34 | 社会・経済

今日は、今上陛下のお誕生日。遅くなったが、一言奉祝の意を申し上げたい。既に、八十代のご高齢である事もあり、かねて問題とされる、ご公務の軽減を図って、ご健康面に障らぬ様ご自愛をもお願いしたい所。又、昨日生じた、新潟・糸魚川大火へのお見舞いの意をも表され、勿論拙者も陛下の下、一言お見舞いを申す次第。併せて、被災した糸魚川市の、速やかでつつがない復興を合せて祈る次第であります。

さて今年、高齢故のご譲位の意を表された陛下。これを受けての、政府有識者会議も、取扱いをどうするかで議論が進んでいる所だが、見えてきた状況を踏まえて言及が許されれば、拙方は、今上陛下限定の特例法制で、とりあえずは今回のみご譲位への道をつけ、憲法及び皇室典範の見直しをも要する、ご譲位の恒久化については結論を急がず、次代の陛下が即位された後、日数をかけて国民的議論を詰めて行くのが最善と心得る。

今上陛下の、ご高齢に伴うご公務負担をできるだけ軽減して行くべき方向は、全国民一致の見方であり、これは担当省庁 宮内庁が先導して、速やかに実施されなければならない。しかしながら「万世一系」の言葉の如く、皇統及び皇室制度の尊厳と盤石も、これ又未来へ向け堅持されるべき事共であり、ここの所は、ご譲位の常態化への反対意見も、十分に留意されるべきだろう。反対勢力が最も恐れるのは、祖国日本の国家の尊厳と、その象徴たる皇統の骨抜きを図り、ひいてはなし崩しを図る、共産勢力の不良意図を増大させる事にある。その事を放置すれば、我国の国益を大きく損ね、ひいては存亡の危機に陥るのが明らかだからだ。

以上を踏まえ、今上陛下の余生とご健康の為にも、明らかな方針を、速やかに示して頂きたく思う。

国家の尊厳と言えば、同じく今日は、戦後処理の核と言われる、東京裁判こと極東国際軍事裁判でA級戦争犯罪人とされた七名の方々、所謂「殉国七士」の絞首刑が執行された日でもある。我国の戦時政策に、一部は侵略の実態があったとは言え、「一部を全部」であった様に喧伝するこの裁判の全てを承服する訳には行かず、「勝者の裁判」の烙印は、永遠に消えるものではないだろう。「戦争に勝った者は、当然戦争に負けた者を裁きたがる」現実に沿った見方もそれはできるだろうが、もう一方で、やはり「不良は不良」と毅然と捉える姿勢も、又大事なのである。その毅然さに欠けたから、戦後の我国は、自国と自民族の矜持を失い、安易な欧米崇拝に流れて、取るべき道をも誤って、国内外で大きな過ちを重ねて来たのではなかったか。

天皇陛下ご譲位、そして近現代史の両問題は、話すと長くなるので、今回はさわりだけにさせて頂くが、もう一つ、身近な所で流行の感染症、インフルエンザとノロ・ウィルスの事にも簡単に触れておきたい。

今冬、既にかなりの患者を生じている両ウィルスだが、どちらも遺伝子が変異していて、既往の方でも発症の可能性があり、油断ならないらしい。野鳥から感染し、家禽類に大きな犠牲を生じている鳥インフルエンザにしても、世界的には突然変異によって、鳥類から人類に感染する可能性も皆無ではないと言う話を聞いた。又、ノロ・ウィルスに至っては、単体が大変小さく、乾燥にも強い為、根絶が難しいとされる。ワクチンは、対インフルは一応準備されるがノロ向けはなく、予防が大事になりそうだ。まあ、手洗いと嗽(うがい)を入念に行い、トイレなどは、用の後、必ず蓋を閉めての水洗を徹底するなどの策が有効な様だ。それと、複数の方が頻繁に触れる、ドアノブなどを小まめに掃除するなども有効だろう。当然の事だが、鳥や動物の死骸に、みだりに触れたりしない心がけも必要だ。

最後に、拙者が滅多に触れない芸能面を一つ。平成初期から二十年以上に亘り活躍した男性タレント集団 SMAPの解散が後僅かに迫った。「~ロス現象」とか言って、解散を惜しむ多くのファンの心理が分らぬ訳ではないが、二十年余前はアイドルだった五人も、もう今は「偉い人」の立場。会社に例えれば、結成当初の「新入社員」達が、もう今はそれぞれ「取締役」の立場に上がっているのだ。その「立場の変化」を心得るべき。彼ら五人は、順調に出世したのだ。そしてこれからは、それぞれが「社長」として、違う道を歩んで良いと言う事だ。見守る方も、その事を弁える必要がありはしないか。今回画像は、昨年末に訪れた、滋賀県下の京阪電気鉄道京津(けいしん)・石山両線の拠点駅 浜大津の様子。琵琶湖畔に位置し、景観も優れておりまして。

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日本人よ「劣化」に気をつけろ

2016-12-21 14:26:56 | 社会・経済

恐らくは、刑罰逃れを図り、勝手に自殺したのであろう。

昨日付で書類送検された、2009=平成21年秋、島根県下の女子大生殺人・死体遺棄に関わったとされる、男性容疑者の死亡原因についての拙見解である。

冒頭の殺人、死体遺棄並びに損壊容疑で送検された当該人物は、被害者遺体が発見された二日後(同年11/8)に、山口県下の高速道で、表向きは自損事故の不審死を遂げる。犯行にも使われた可能性が高かった乗用車は側壁などに複数回衝突の揚句、出火炎上、容疑者と同乗の実母が焼死したもの。此度、こいつの本名と顔写真がメディアに晒されたが、学生時分に比し「劣化そのもの」であった。

ここで疑問視されるのが、ブレーキ痕などが一切なく、事故や危険を積極的に避けようとした姿勢が全く見られなかった事。幾多の厳重な性能試験を経て製品化される自動車が、大した損傷もなく容易に出火する事など考えられない、などから、衝突前に出火、実母を道連れに心中した可能性が大きくあろう。「一見火災事故」直前に、知人に宛て「大変な事をした」との容疑者の告白も、その事を裏付ける一根拠となろうし、当時の警察関係者の「今思うと、偶発事故ではない可能性もある」との見解も、それをかなりの所で裏付けるものだろう。

この事件の解決が長引いたのは、警察サイドだけの問題ではない。立法、つまり国会の怠慢だ。衆参両院共、権勢争いに狂奔し、必要な法案通過の努力もしない。特に、性暴力対策の国レベルの施策は、女性議員さえ全うに向き合っていないのではないか。こうした目立つ前科のある者を、全国レベルで監視する、欧米では普通に行われている事が、我国だけできないのはどう言う事かを、速やかに振り返って手を打つべきではないのか。

不愉快だったのは、当該容疑者には、この凶行の数年前、東京都内などで連続して強制猥褻事件などを複数回生じた前科あり。三年余りの実刑に服した当時の弁護を行った人物の、無神経かつ無責任な言動だろう。「犯行動機は、女性と無性につき合いたかったから」とか「あの様な大人しい人物が、凶行に及ぶとは信じられなかった」とかだって。「とぼけてんのか、お前は?」と糾したくなるものだ。

こんな痴呆的姿勢で、弁護士法に謳われる「社会正義の実現」ができるとでも思ったら、おめでたいの一言だよな。この前の「死刑廃止宣言」採択時も呆れ返ったものだが、今の日弁連執行部たぁ、こんな呆けた奴らばかりじゃねえの?それだから「人を殺したがるバカ共」とかの不良原稿を、宗教界の大物に読ませる大バカやっても、ろくな謝罪もない訳。ホントに猿ばかりだな!

日弁連執行部の不良は、これからも執拗に拙記事で取り上げるつもりだが、この不良原稿などは、新語・流行語大賞で上位に入った「(保育園落ちた)日本死ね」と同レベルだろう。この新語・流行語の表彰で、受賞式に現れた女性野党衆議はニヤニヤ笑ってたんだと。こいつも日弁連執行部連中と大差ない、雌猿レベルの不心得者だ。前出の選考陣と広告メディアのアホ共は、一切の反省をせず、反論ばかり繰り返しているそうだが、そんな連中に限って、歴史の話題ともなると「日本は、先の大戦の反省を云々」とかぬかしやがる。初めから「下劣」そのものだ。

テメェらの不始末を棚に上げといて、他人様に「反省」とかデカ面で吠ざくんじゃねえよ!お前らが「バカ共」だっての!

もう一つ、拙者が先日拝見して来たネット記事を引用して、現代人の「大いなる劣化」とのご指摘を紹介してみたい。

「孫は『目の中に入れても痛くない』存在と古(いにしえ)より言われるが、殊最近は、他人の孫はそうでもないらしい。保育園増設整備の話が出ると、必ず大きな反対運動が起きるが、日本人はかくも劣化したと言えるのではないか」

拙者はこれを読んで、本当に惜しみない拍手を贈りたくなったものだ。正にその通りであり、地域の子供達は自分の子や孫と同じ、との意識が退化しているとしか思えないからだ。例え、保育園予定地周りの交通事情が危険だったり、住人に夜勤者が多く、日中の静寂を少しでも確保する必要があるとしても。

子供達は一定、騒ぎを起こすものとの前提が全く理解されていない。拙者の餓鬼時分などは、彼達の声などは、騒音として認識されていなかった。今、ちょっとした事でうるさがられるのは、やはりある意味、大人達が劣化しているからとしか思えない。子供達は「未来の納税者」のはずだ。その育成に、今の内から前向きに理解を示し、必要な協力さえしない様では、老齢になって、自らの首を絞める自殺行為だと言う事が、少し考えれば分りそうなものだが、それができない、気がないとはこれ又「猿以下」ではないだろうか。

これら以外にも、街中での咥え煙草など、公共心の欠如とかの大きな問題が挙げられるが、一番深刻なそれは、報道家 櫻井よしこさんらがご指摘の「日本人には、防犯、防災、防疫の各面から、自分達の社会を守ろうとする意識が全然ない」事だろう。これは、個人偏重で、その不条理や不具合が全く見直されない、戦後レジームの病的な所が大きい。今の劣化を招いた日弁連、日教組の両執行部を含む左派容共勢力は、日本国憲法と戦後レジームの病理を、一切見直したくないと言う立場(スタンス)だ。これを打破しない限り、日本人の劣化は止まらないし、政治社会や教育の正常化も果たせない。我々日本人は、最低でも、又、凶悪犯罪に斃れた方々の霊に報いる為にも「今の社会のあり様は病んでいて、それを叩き直さなければならない」との強い姿勢で臨む必要があろう。

今回画像は、年数回のみ公開される、愛知・岐阜県境の、旧国鉄中央線跡にての、紅葉の様子。今年は、今月初で公開を終わり、次回は来年春の大型連休頃の見込みの様です。

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