コナサン、ミンバンワ!
我国の年度は、多くの組織が当年4月~翌年3月。と言う事で今日9/30は多くの所にて半期の区切りとなる日である。期せずして多くの出会いと別れがあるものだが、今日のお題はやや残念ながら後者の方となるのだろう。
唯一の我国々産旅客飛行機、YS-11機が半世紀近くに亘る使命を全う、今日限りにて引退した。同機は戦後間もない1956=昭和31年頃開発着手。1962=同37年初飛行。その後米合衆国航空局の保安基準をクリアの上、1965=同40年より本格デビューに至る。総勢182機で、内87機は中米など海外にて活躍すべく、輸出されている。
独特のプロペラを備えたターボ・プロップ型機で、今となっては少数派。基本部分には往年の大空の若鷲、0式艦上戦闘機の技術も用いられ、エンジンこそ英ロールス・ロイス社の物だったが紛れもない我国航空技術の直系であった。地方空港や離島に多い、長さの短い滑走路に対応できる様要滑走距離は1200m程度に収められ、耐久性の高い機体と相まって使い勝手と信頼性は最後まで優れていた様だ。
欧米航空機メーカーの新機種攻勢に晒されて製造元の採算が悪化した事もあり、YS-11機の生産は1973=昭和48年をもって打ち切られる。航空の世界も世代交代が確実に進み、最後の営業路線は福岡~徳島間と鹿児島~沖永良部間だった様だ。
最終日の今日は、発着の各空港共、同機の最後の勇姿を収めるべく、多くの乗客や愛好者達で賑わった由。我国の空路の基礎を担った同機の功績を心より称えると共に、引き続き活動を続ける航空自衛隊、海上保安庁の専用機や海外輸出の僚友達のつつがなきを祈りたい。(お断り。写真は別機材です。)