昨日は暖かい春の陽気でした。今日は一転して冬に逆戻り。朝から降っていた雨が雪に変わりました。
昨日の礼拝メッセージを聞いて2000年前のエルサレムに思いを馳せました。
*青字が牧師先生の言葉、茶色字がわたしの感想です。
イエス様の復活の後、ペテロとヨハネが宮にいくと、生まれつき歩けない人が「美しの門」の前に運ばれてきました。
「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい(使徒3:6)」とペテロが言って男の右手を取って立たせると、その人はおどりあがって立ち、歩きだしました。その奇跡はエルサレムの町周辺に広がりました。
「神殿に入って行く勇気もなく、神殿の入り口でしおれたような毎日を過ごしていた人は誰でしょう?」
と牧師先生が問いかけました。
それは、かつてのわたしです。イエス様の働きかけがあったにもかかわらず、教会に行けませんでした。何のために生きるのか答えがみつからないまま、しおれたような人生を歩んでいました。
イエス様の十字架と復活がわたしに何の意味をもたらすかわかりませんでした。でも、後にはっきりとわかったのです。
サドカイ派の人たちは、何の権威によってこのことを行ったのかとペテロとヨハネに問いただします。ペテロは権力者の前で堂々とイエスのことを語ります。
50日前、イエスが十字架につけられたときは、逃げ隠れしてしまった弟子達です。それが、こんなに堂々と語れるのは、復活したイエスに出会ったからです。
彼らは、ペテロとヨハネに今後、いっさいイエスの名によって語ったり、教えたりしてはいけないと厳しく戒めました。
それに対してペテロとヨハネは「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうか、神の前に正しいかどうか判断してください。私たちは自分の見たこと、また聞いたことを話さないわけにはいきません(使徒4:19・20)」と大胆に答えています。
こののち、イエスを信じる者の群れが起こって最初の教会ができました。
このことが起きたとき、サウロ(のちのパウロ)はエルサレムにいました。サウロがイエスのことばを聞いたかどうかわかりませんが、イエスさまのことを無視できなくなりました。そして、キリスト者を迫害する者となります。
現代におけるわたしたちに当てはめて考えることができます。
2000年前のできごとを無視して生きていても、無視できないときが来ます。そのときが大切なときで、それはキリストが語りかけてくれたときです。
エマオに向かう道で、弟子たちはイエスとは知らずにイエスと共に歩いていました。
(幸福の王子、わがままな巨人(大男)の作者)オスカー・ワイルドは
「人はだれでも一生に一度はエマオの道へ行く」と言ったそうです。エマオの道とはイエス・キリストと共に歩く道という意味です。
わたしが洗礼を受けたのは22歳でしたが、その前に何度かエマオの道を歩んでいたことにあとから気づきました。
高校生のとき、尊敬する文芸部の先輩がキリスト教を嫌っていたので、何の根拠もなくわたしも嫌っていました。
ところが、幼稚園教諭の資格をとるために受験した学校がミッションスクールで、補欠でぎりぎり入学できました。学校での礼拝の時間がいやでさぼっていたにもかかわらず、聖書物語に興味があって、聖書を読み始めたのは、イエス様が伴ってくださったからなのだと思います。
19歳のとき、友人に誘われて劇団四季の「ジーザス・クライスト・スーパースター」を観ました。
そのとき、人間イエスとして描かれていたことに違和感を覚えました。十字架の場面で劇が終わっており、復活まで演じられなかったことに憤りを感じました。楽屋までいって「なぜ復活の場面をやらないのですか」と文句を言いたい気分になりました。
そのときわたしはイエスの復活を信じていたのでしょうか・・・?イエス様が心の中に働きかけてくださって『十字架の死で終わりではない』と教えて下さったのだと思います。
一度も教会に行ったことのなかったわたしにとって、それは不思議な体験であり、エマオの道の体験でした。

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