ようやくガスが復旧しました。
わたしのためにカセットコンロを探して買ってきてくれた友人に感謝します。
一昨日の礼拝は転任されるH先生のめぐみ教会での最後のメッセージでした。聖書箇所はルカ7:11~17です。
その聖書箇所には、イエス様がやもめのひとり息子を生き返らせたことが書かれています。
H先生は、大震災の前から用意されていたこのメッセージを今の時期にすることを躊躇されたそうです。
愛する家族を失って悲嘆に暮れている人たちがいるのに、このメッセージを聞いたらなぜイエス様はうちの家族を助けてくれなかったのか?と思い、傷が深まるのではという気づかいからです。
メッセージの一部を紹介させていただきます。
イエス様がやもめの息子をよみがえらせたことにではなく、イエス様がやもめとどのように関わろうとしてくださったか。やもめをどのような眼差しで見られたかに注目してほしいです。
イエス様が弟子達と共にナインという町の門に近づいたとき、葬式の列が門から出るところでした。やもめとなった母親の一人息子が死んで担ぎ出されるところでした。大勢の町の人がつきそっていました。
聖書には次のように書かれています。
「主はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい」と言われた。
そして近寄って棺に手をかけられると、かついでいた人たちが立ち止まったので「青年よ。あなたに言う、起きなさい」と言われた。すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めたので、イエスは彼を母親に返された。」
やもめというのは夫を亡くした女の人のことです。当時のイスラエル社会は男性中心の社会なので、女性が外で働くのは難しく、女手一つで息子を育てるのは大変だったようです。その息子が青年になって、たよりにしていたのに突然死んでしまったのです。この女性の悲しみはどれだけ深かったことでしょう。
絶望と悲しみに打ちひしがれた女性をみて、イエス様は「泣かなくてもよい」と言われました。
そのときのイエス様は、キュッとはらわたが締め付けられるほどかわいそうに思われたのです。
イエス様は死に勝利したお方です。
「青年よ、あなたに言う、起きなさい」と死人に向かって命令することのできるお方はイエス様だけです。
ローマ人への手紙11章には「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。」(33節)と書かれています。
神さまは、わたしたちの理解を超えたお方です。その神様の方から近づいてきて下さいました。
わたしの考える筋書きとは全然違うかもしれないけれど、イエス様は行動を起こして下さいます。最善をなしてくださることを信じて前に進んでいきましょう。
と牧師先生が言われました。
『はらわたが締め付けられるほど・・・』という表現に胸が熱くなりました。貧しい名もなきやもめの気持ちを思いやって、かわいそうと思われたイエス様……。
ルカの福音書は、地上で見捨てられた者の福音書と言われています。ルカには、しいたげられた者、貧しい者、女性に対してなされたイエス様の奇跡がたくさん書かれています。イエス様は一度に大勢の人の命を救ったり、ローマ帝国の圧政からユダヤ人を救うということはなさいませんでした。
イエス様はひとりの人に近づいて行かれ、その人の気持ちを理解し、かわいそうに思ってくださいました。
イエス様を信じる前は、神様といえば『偉そうにふんぞり返って上から人間を見下ろしている。そして、恐ろしい罰を当てる』というイメージがありました。
でも、聖書に示されている神様は、全然違います。聖書の神様は人と交流することを求めておられ、ひとりひとりの心を理解し、気持ちに寄り添って下さいます。
もし、このブログをお読みになっている方で悲嘆に暮れている方がおられたら、あなたのためにイエス様が、はらわたがしめつけられるほど悲しんでおられると思ってください。
イエス様は「泣かなくてもよい」と言って下さっています。
イエス様はあなたのために命を捨てて下さいました。

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