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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

「だいじょうぶなわけないよ」と言った子どもたち

2011-03-28 12:57:28 | 教会
「地震こわかったでしょう。だいじょうぶだった?」
教会学校で小学2年生の子どもに尋ねると、

「だいじょうぶなわけないよ。テレビに映っている人の中には、家族の人が死んじゃったり、家を流された人がいるんだよ」
としかられてしまいました。

自分がだいじょうぶなら、それでいいと考えている子どもはひとりもいません。
子どもは、新聞やテレビをみて、子どもなりに被災者たちの辛さ、大変さを自分のこととして受け止めているのだなあと感心し、教えられました。

わたしの通う教会、土浦めぐみ教会では先週の火曜日に福島県に支援物資を届けました。
そのときのようすの動画は、土浦めぐみ教会のHPで見ることができます。

18日に教会で支援物資を集めているという連絡網がまわってきました。わたしは自転車で運べる分だけ持って行こうと買い物に走りました。
(土浦のスーパーでは、地震後一時的に色々な物がなくなりましたが、今はだいたいの物を買うことができます。)

日曜日、支援物資受け付けの部屋が教会学校分級の部屋になっていたので、部屋の前に大きな段ボールを置いて、分級の時間はそこに入れておいてもらおうと思っていました。
ところが部屋に行くと、次々と人々が支援物資を持ってきていて列をなしています。物資は部屋に高く積み上げているので驚きました。その部屋では分級ができませんでしたが、代わりの部屋が与えられて感謝でした。

そして22日(火)に幼稚園バス2台にぎっしり荷物を詰め込んで出かけたのでした。
金曜日に再び出かけ行って、地元で働くボランティアの方たちへすき焼きをプレゼントして、避難所にはトン汁を作って配ったそうです。まさに愛の実践ですね。

以下は礼拝メッセージの一部です。


初代教会は愛の実践をしていました。聖書には持ち物や財産を共有していたと書かれています。
初代教会の人たちは、同じ群れの中に貧しい人がいるのを知って、自分の所有物を売ってそのお金をすすんで捧げていたそうです。


「信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。(使徒4:32)」


そのような中でアナニヤとサッピラは、持ち物を売った代金の一部を持ってきて、それがすべてだと偽りを言いました。すると、ふたりとも突然倒れて死んでしまいました。
一部であるといって捧げればそれでよかったのですが、人だけでなく神さまを欺いた罪は大きかったのです。

人々はその事件を知って神をおそれました。神は生きていて人の心の中を見抜いておられるという畏敬の念を抱いたのです。

神様は、わたしたちの失敗や不十分については無条件で赦してくださいます。でも、不純な動機、偽りの善には厳しく罰せられます。

初代教会の人たちの特徴として勇気と大胆さがあげられます。
使徒がむち打たれたとき、イエスの御名のために迫害されたことをかえって光栄に思い、喜んでいます。

「そこで、使徒たちは「御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら議会から出て行った。(使徒5:41)」

生ける神を信頼しているからこそできる行為です。


2000年前に働いてくださった神様は、今も生きておられ、働いてくださいます。
どんなときでも、どんな場所にでも神様は働いてくださいます。わたしは何もできない小さな者ですが、神様が伴って下さればどんなことでもできると信じて一歩を踏み出していきたいです。


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