「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はりんごの木を植える。」
これは、宗教改革者のマルティン・ルターの言葉です。有名な言葉ですので知っている方も多いでしょう。
昨日の水曜礼拝でこの言葉を紹介していただきました。
常識から考えると、明日世界が滅亡するのならリンゴの木を植えても仕方がないのです。
ルターが言いたかったことは、どんな状況の中にあっても絶望はしないように。なぜなら、神を信じる者にとって、世界の終りは絶望ではないからです。明日、世界が滅びても今日という日を希望を持って生きていく。今というこのときを精一杯生きるようにということなのだそうです。
テレビで被災地からの映像が流れるたびに心が痛み、被害の大きさに唖然とし、目に見えない放射能におびえ、余震に恐れをなしています。
こちらでは、昨日も今日も強い余震がありました。
世の終わり(終末)が近いのではないかとさえ思える今日このごろです。何をしたらよいのかわからず、落ち着かない日々を過ごしていましたが、今日という日をしっかり生きていくことの大切さを教えられました。
もてなすことに心を奪われ、忙しくしていたマルタにイエス様は言われました。
「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。(ルカ10:42)」
イエス様の足元に座って、イエス様の語る言葉をじっと聴いていたマリヤ。必要なことはイエス様の言葉を聴くことだったのです。
予想もしなかった大きな災害が起きて、ナイーブになっている人が多いようです。このようなときにこそみ言葉を聴き、祈ることが大切だと思います。
天地万物を造られ、この世界のすべてを御手に握っておられる神さまに直接祈れるとは、何と幸いなことでしょう。
神様が最善をなして下さることを信じて祈り続けます。

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