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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

忘れ得ぬ人

2011-03-05 21:18:28 | エッセイ

今日は、子ども家庭集会でMちゃんの家にいってきました。ふだん、教会学校に来ていない子ども2人を含め、5人の参加でした。創作紙芝居をし、トランプ遊びをして楽しいひとときでした。

教会で発行している「月報めぐみ」では、月ごとにテーマが決められていて、そのテーマで数人が文章を書きます。今月号は「忘れ得ぬ人」で、わたしは「隣のおばちゃん」という題で書かせていただきました。月報は明日発行です。一足先に紹介します。

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        隣のおばちゃん

わたしは中学一年のとき、父の転勤で東京から神戸に引っ越しました。聞き慣れない関西弁に戸惑い、不安でいっぱいでした。

新しい家に着いたとき、隣家から満面の笑顔でわたしたち家族を迎えてくれたおばちゃんがいました。
「わからんことがあったら、何でも聞いてや」
と言って、おばちゃんはカラカラと笑いました。

母は、おばちゃんとすぐ親しくなり、家族ぐるみでおつきあいが始まりました。おばちゃんには子どもがいませんでした。

妹は、人なつっこい性格なので可愛がられました。無愛想で人見知りの激しいわたしは、おばちゃんに自分から話しかけることはありませんでした。おばちゃんも、わたしとどう接したらよいかわからないようでした。

半年ほどたったとき、蕨を隣に届けるように母から言いつけられました。わたしは、人と話すのが苦手で、誰かの家を訪問するのは苦痛を感じるほどでした。

やっとの思いで蕨を持って行くと、おばちゃんは怪訝な顔で、「この前も蕨もらったで。他の家に持って行くはずなんちゃう。お母さんに聞いてみ」と言って、受け取ってくれませんでした。
母に尋ねると、「まだたくさんあるから、もう一度あげるのよ。また、行ってきて」と言います。
わたしは、受け取ってもらえなかったことのショックと、また行かなくてはならない負担に耐えきれず、泣き出してしまいました。

「もう、行けない」と言うと、「届けるという役目をちゃんと果たしなさい!」と母に叱られました。
わたしは、顔を洗ってもう一度隣へ行きました。しどろもどろに説明すると、今度は受け取ってもらえました。

おばちゃんはわたしが泣いたことに気づき、「Y子ちゃん、純情やねんね」と母に言ったそうです。それ以来、おばちゃんとの距離がぐっと縮まりました。

毎年8月の誕生日には、汗だくになりながらクッキーを焼いてくれました。
人形劇部の卒業公演には、母と共に見に来て、母より先に涙を流していました。

わたしは中学生のころ、孤独の中にあって死にたいと思っていました。自分を気にかけてくれる人はひとりもいないと思い、暗い顔して歩いていると、「どないしたん。元気出さなあかんよ」と、おばちゃんがぽんと肩をたたいてくれました。

死なないですんだのは、おばちゃんの存在があったからかもしれません。
12年の神戸での生活を終え関東に戻るとき、おばちゃんは目を真っ赤に泣き腫らしていました。
おばちゃんは神様が備えてくださった方だったのです。今は天国にいるおばちゃん、おおきに。

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おばちゃんは数年前、老人ホームに入り、去年の暮に亡くなったという知らせがありました。おばちゃんはクリスチャンではありませんでしたが、別れてからずっと、おばちゃんが主に導かれますようにと祈っていました。おばちゃんはきっとイエス様を信じて天国へいったのだと思います。

ところで、蕨を持っていたとき、泣いてしまったわたしの気持ちを読者に理解していただけたかどうか、それが疑問です。また、記憶に残っているおばちゃんの言葉を書きましたが、関西弁は間違っていなかったでしょうか?(コメントをお寄せ下さい)

わたしが、以前はひどい内気で無口だったと言うと、誰も信じてくれません。今でもそういう部分が残っていると自分では思っているのですが……。


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