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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

破られた債務証書

2007-01-07 16:16:28 | 教会

今日教会で聖餐式が行われました。聖餐式とは、イエス・キリストが最後の晩餐でパンとぶどう酒を弟子たちに与え「パンは私のからだであり、杯は私の血による契約である」と言ったことを記念して、パンとぶどう液を会衆に分けるキリスト教の儀式です。キリストの十字架を思ってパンとぶどう液を食するのですが、初めて教会に来た人が見ると、とまどうかもしれません。


今日は礼拝で聖餐式の意味が語られました。
聖餐式は、神さまから人類への領収書だそうです。領収書をいただくということは、負債があったということです。
「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」(マタイ22:37)
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(マタイ22:39)

というイエスさまが言われた2つの戒めを思い起こすと、2つとも守れていない自分に気づきます。それどころか、人を嫌ったり、疎んじたり、嫉妬したり……愛することからほど遠いことばかりしています。その罪ひとつひとつを負債と考えると、巨額の負債があるわけです。そして、どんなことをしても自分では払うことができません。


債務証書 〇〇〇〇様 『罪の報酬は死である』

と書かれている紙を牧師先生が取り出して見せてくださいました。そして、それをビリビリとやぶりました。
わたしは今日Ⅰ礼拝に出たのですが、(礼拝は3回あるのにⅠ礼拝で破ってしまっていいのかな? 同じ物が3枚あるのかな?  ……でも破ってくださって嬉しい!)と思いながら見ていました。〇〇〇〇のところに自分の名前が書かれているような気がしたからです。


そうなんです。債務証書は、キリストの十字架によって破棄されたのです。負債はすでに支払われているから神さまは領収書をくださったのですね。わたしは、素直に感謝して受け取ります。イエスさま、本当にありがとう!

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