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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

「風の種」の種(その2)

2007-01-24 17:34:22 | エッセイ
1月10日-12日に掲載した童話「風の種」について、再び書かせていただきます。

【なぜ「風の種」にしたのか?】
 
風のようにとらえどころのないものより、目に見える物の種にすればもっと書きやすかったかもしれません。
でも、わたしはどうしても風が書きたかったのです。それは小さいころから風になりたいと思っていたからです。
喘息のため、走ることは苦痛でした。早足で歩くのも、坂道をのぼるのも息が苦しくて大変でした。どこかへ出かけようとすると熱が出て行かれないことが多く、家にじっとしていることが多かった少女時代。自分がもし風だったら、どこへでもひとっとびで行けると空想の翼をかって世界一周旅行に出かけていました。


子どもたちにキリストを伝えるため童話を書き始めたのは14年ほど前のことですが、書き始めのころ、風シリーズで春夏秋冬4作の短編を書きました。
短編を書く合間に「地底国の冒険」という長編小説を書きました。そこにも風が出てきます。地底国に迷い込んだ少年が7回姿を変えられるという魔法の薬を飲んで、風になって南極まで行き、さらに宇宙の果てまで行くという荒唐無稽なストーリーです。風になった少年が陽気な風と出会い、その風に助けられて南極に行きます。「風の種」のタオは、このときの風です。「地底国の冒険」で魔法の薬を作っていた老婆が「風の種」に出てきたお婆さんです。


わたしは中学生のころ「グリム」というあだ名がつけられ、学生時代も「グリム」と呼ばれていましたが(学生時代の友人は今でもそう呼んでいます)、もとは「グリムばあさん」でした。グリム童話に出てくる魔法使いのお婆さんと似ているからだそうです。
当時は、そのあだ名が嫌でたまりませんでしたが、後に大好きになりました。
魔女というと恐ろしい感じですが、わたしの書く魔女はどこかぬけていて無邪気。冷たいようであたたかく、とらえどころのない性格です。 


【なぜファンタジーを書くのか?】

自分でもよくわかりません。ストーリーは少しずつ考えて作り上げていくのではありません。家事をしていて、あるときポンと思いつく、というより上から与えられるという感じです。与えられるものは、ファンタジーのストリーが多いのです。長いストーリーでもたいていは一気に結末まで与えられて、何度も頭の中でシミュレーションしてから書いていきます。頭の中で作っている段階では楽しんでいますが、それを言葉にし、人に伝わる文章としていくのは大変な作業です。四苦八苦していますが、祈りつつ、忍耐しつつ書いています。



テーマについては次回書きます。


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