生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

「ヴィーナスという子」を読んで

2017-11-01 16:43:10 | 読書
「ヴィーナスという子・・・存在を忘れられた少女の物語」トリイ・ヘイデン著/入江 真佐子訳(早川書房)を読みました。ノンフィクションです。

これまでも同じ作者の「シーラという子」「タイガーと呼ばれた子」「檻の中の子」などを読みました。でも、この本ほど感動したものはありませんでした。

7歳のヴィーナスは、学校へ来ると石塀の上にのぼってじっとしているだけです。教室に連れて行き、話しかけたり、絵本を読み聞かせても反応がありません。聴覚または脳に問題があるのかと調べましたが、異常はみつかりませんでした。

どうしてここまで心を閉ざしてしまったのでしょうか……。

ヴィーナスを学校に送ってくるのは、ワンダという知的障がいのある姉です。ワンダはヴィーナスのことを「ビューティフル・チャイルド」と言ってかわいがるのですが、ときどきヴィーナスの存在を忘れてしまいます。

トリイのクラスには4人の元気な男の子たちがいて、ちょっとしたことで喧嘩になり、大騒動になります。トリイが明るく歌ったり踊ったり、いろいろ工夫をして、だんだんまとまってきます。でもヴィーナスは、無反応のままです。ほかの子が近づくと、叫び声を上げ獣のようになってしまいます。
そんなヴィーナスには家庭に大きな問題がありました。でも、何度家庭訪問をしても問題は明らかになりませんでした。

トリイの忍耐強さと愛でヴィーナスは次第に心を開き、言葉を発するようになりますが、家庭での問題が発覚して、ヴィーナスの家族はバラバラになってしまいます。

ヴィーナスがワンダに会いたがっていることを知ったトリイは、なんとか終業式のパーティにワンダを連れてきたいと願います。ワンダは50キロも離れた施設に入所していたのですが、車での送迎を頼んで連れてくることができました。ヴィーナスと再会し「ビューティフル・チャイルド」とワンダが言って抱き合う場面は涙があふれました。

人形のように自分の気分でかわいがられ、ときどき存在を忘れられていた少女が、常に変わらず愛されていることを知り、人間らしさを取り戻していく過程が丁寧に描かれています。

常に変わらず愛することはなかなか難しいことです。大恋愛の末結婚したけれど、あっという間に愛がさめてしまったということがよくあります。
人間の愛の限界のような気がします。

聖書には「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに誠実を尽くし続けた。(エレミヤ31:3)」と書かれています。

わたしというのは神様です。神様の愛はヘセドの愛です。人間の愛とは違います。こちらが愛に応えなくても、裏切っても、反抗しても永遠の愛をもって愛してくださる神様のことを想いながら、この本を読みました。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。