昨日はクリスチャン・ペンクラブ童話とエッセイの会、『小さな集い』で御茶ノ水クリスチャンセンターへ出かけました。「虹」というテーマで童話やエッセイを書き、合評会をしました。原稿は前もって参加メンバーに送っておきます。昨日は、7人集まったのですが、余裕があったのでたっぷり時間がとれました。
この『小さな集い』は始まって3年くらいになります。は今まで「机」「雨」「海」「鍵」「クリスマス」「壁」などのテーマで短編童話やエッセイを書いてきています。
もちろんクリスチャン・ペンクラブですから、信仰の証し文学です。
クリスチャンでテーマも同じなら皆同じ様な作品になるのでは?と思いきや、出来上がった物は、それぞれの個性が生かされて全く違う作品になっています。
みなさんの作品を読ませていただけるのは大きな喜びです。
実は、わたしはテーマを決めて書くということが苦手です。
でも、決まりがあったからこそ生まれる作品もあるわけで、今回は自分でも珍しい作品が生まれたとびっくりしています。主人公は動物のチーター。時代は紀元前3000年から2500年ごろです。
提出した作品はもういちど推敲して後日掲載させていただきます。
昨日往復の車中で「ハイジ」(ヨハンナ・スピリ作 矢川澄子訳 福音館書店)を読みました。子どもむけの大判の本で電車で広げるには少しためらいがあったのですが、図書館での返却期限が迫っていましたので、堂々(?)と広げて読みました。
「ハイジ」は、テレビアニメで人気がでたので、そのストーリーは多くの人が知っているでしょう。わたしも「アルプスの少女ハイジ」のアニメが大好きで毎週見ていました。
アニメでは、キリスト教信仰の部分をカットしていますが、原作を読むと、作者が信仰を伝えたくて書いたのだということがよくわかります。
フランクフルトに連れていかれたハイジは、アルムの山が恋しくて元気がなくなっていきます。クララのおばあさまから、お祈りをするように言われ、ハイジは山に帰れるように毎日祈ります。ところがその願いがかなえられないので、ハイジは祈ることをやめてしまうのです。
そんなハイジにおばあさんは言います。
「何でも自分の願いどおりになると思ったら大まちがいよ。いいこと、神様はわたしたちみんなのお父さまで、何がわたしたちのためになるか、ちゃんとごぞんじなのよ。お願いしったって、それがわたしたちのためにならないことなら、かなえてはくださらないの。でも、だからといってすぐに逃げ出したり、神様にあいそづかししたりせずに、心からお祈りすることをつづけていれば、きっといいこともさずけてくださるのよ。……」
ハイジはおばあさんの言葉に素直に従って、再び祈り続けます。
後に山に帰ってから、クララがハイジの山小屋にやってきたとき、ハイジはクララにこんなセリフを言っています。
「神様って、あたしたちがいくらお祈りをしてもそれよりずっといいことをごぞんじのときは、決して聞き届けてくださらないけれど、でも、やっぱりそれはいいことなのね」
ハイジは、フランクフルトで家に帰らせて下さいと祈ったとき、それがすぐにかなえられていたらクララがここにくることはなかったのだということを思っています。
それに対してクララは、それならお祈りする必要がないのでは?と疑問を抱きます。
ハイジは「どんなことでも神様にお祈りしなければだめなのよ。だって、何もかも神様のおかげだということをわたしたちが忘れずにいるってことを神様にわっかっていただかなければ……」と答えます。
ハイジに教えられました。
聖書の言葉
神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)
つづく
西欧では、クリスチャンでなくても、幼いころから聖書に親しんでいる人が多いですよね。
当然のことながら文学にもキリスト教色が出てきますね。
アニメでカットされてしまうのは、本当にもったいないです。
アニメではなく原作に近い訳を多くの人に読んでもらいたいですね。
赤毛のアンもアニメではその部分がカットされていましたか…残念ですね。
ハイジは信仰者としてのあり方を教えてくれますね。
ペンクラブの会、ありがとうございました。
私はみなさまのお話を楽しく読ませていただいて過ごしてしまいました。
早速、文香さまからハイジのお話を教えていただき嬉しいです。
自分が願うこと以上に、神さまがなさりたい事を伺うことの大切さを学んでいます。
それにしてもアンもハイジもこうまで聖書の箇所をカットされてしまうとは、単純にもったいないな~と思いました。