一昨日から息子一家が泊まりに来て、連休後半、我が家はヒックン旋風が吹き荒れました。
24日、25日はCS夏期学校があり、その準備で大忙しです。
8月初めまでに提出しなければならない長編小説の原稿がまだ仕上がらなくてあせっています。
ブログに色々書きたいことがあるのですが、今日は先月のJCPの小さな集いで発表したエッセイを掲載します。
すご坂
父の転勤で東京から神戸に引っ越したのは、中学一年の夏休みだった。山を切り開いて作られた住宅地に新しい家があった。二階の窓から瀬戸内海がみえた。私は、すいこまれるような青い海に感動し、「わーっ、海だ!」と妹とはしゃいだ。
家の横の坂道は急勾配だった。妹と私は、すごい坂なので『すご坂』と呼んだ。坂道には丸いタコの吸盤のような車の滑り止めがついていた。
すご坂の下に病院があった。「ずっと病院にいかなくてすめばいいね」と言ったのは母。転地療法ということもあるから、神戸で喘息が治るのではないかと家族のみんなが期待していた。だが、引っ越して一か月もたたないうちに病院通いすることになった。
喘息の発作時に坂を登るのがどれだけ大変か思い知らされた。私は何で坂の上の家を借りたのだろうと両親を恨んだ。
秋の夜、ひどい発作が起きて母に病院に連れていってもらった。注射で発作が鎮まり、帰りに坂を登るとまた発作が起きてしまった。とても登れない。母は中学生の私を背負うことができなかった。母は、父を呼びに街灯もない真っ暗な坂道をひとり駆け上って行った。
『どうしてこんなに苦しい目にあうの? このまま喘息が治らないのなら、死んだ方がまし!』私は道路にうずくまってつぶやいた。ポタポタと涙が坂道にしみこんだ。
道路脇には堰があり、山からの水が音を立てて流れていた。堰の向こうは熊笹が茂り、風がふくとザワザワと揺れた。恐ろしい獣が潜んでいるような気がして私は心底恐ろしくなった。空を見上げると星が光っていた。「神さま、助けて!」と心の中で叫んだ。
じっとしていられず、私は丸い滑り止めの上に手を乗せて四つん這いになって坂道を登ろうとした。苦しくてほとんど進めなかったが……。
間もなく両親が駆けつけ、私は父に背負われて無事家に戻った。その後、漢方薬で癒され、大きな発作は起こらなくなった。
それから30数年後、私は久しぶりに『すご坂』に行った。堰にはコンクリートのふたがかぶせられ、坂の脇にはしゃれた家が建ち並び、すっかり様子が変わっていた。
坂道はコンクリートが重ねて塗られていた。道の端を見ると、数個の丸い滑り止めが残っていた。私は思わずかかんで滑り止めの上を指でなぞった。私の涙がしみこんだ場所だ。
神様の存在を知らなかったが、あのときの叫び声は確かに神様に届いていたのだ。
ずっと登ることしか考えていなかった。努力して人より上になろうと思っていたときは、苦しかった。でも、クリスチャンの成長は下っていくものだと聞いて価値観が変わった。
もしあのとき、茂みの中から恐ろしい獣が出てきたとしたら、坂を下っていけば逃げることができたのだ。
坂の一番下まで降りたとき、神様が背負って、てっぺんまで連れて行って下さるのだ。父に背負われて家に無事にたどり着いたように。
無事、夏期学校を終えて帰宅しました。
>本当の苦しみの中にあっても、being・ありのままの私を受け入れ、許して下さっている神の大きな愛
にわたしも包まれて、心から主をほめたたえます!
人より上になろうと思っている人の何と多いことでしょう!少々つらくてもがんばって得た、見下ろす快感!
私もそうでした。
でも虚栄心に満ち、嘘だられけの自分を捨て去る作業がどれだけ難しいことか・・・、それは人より上になろうとする作業の何倍・何十倍それ以上に大変であることを実感しています。
時々、Give up! です。
努力もしないで、ただ助けて!ではなく、素直に神様に従う強い決意を持ちつつ、神様と対話しながら進んで行きたいです。
本当の苦しみの中にあっても、being・ありのままの私を受け入れ、許して下さっている神の大きな愛を感じます。
【心を尽くし、精神を尽くし、知力を尽くして神を愛し、自分を愛するように、隣人を愛しなさい】
マタイ 22:37-40
明日の夏期学校では孫がお世話になります。
教師の皆様のご奉仕に感謝いたします。
安全が守られ全員が楽しいひと時となりますように、そして文香さんのご健康をお祈りしています。