教会学校では、来週暗唱聖句大会があります。聖句カードの1ページには5~6の聖句が書かれていてそれがA~Zまであります。
Fまでの聖句(33個)をまず覚えて、意欲のある子どもはZまで順に覚えていきます。その他にヨハネ15章1~17まで覚えると個人賞がいただけます。わたしは3週間で33の聖句とヨハネ15章を覚えたつもりでしたが、頭の中が飽和状態になってしまいました。
ひとつ新しいものを覚えるとひとつ忘れるので困ってしまいます。聖書箇所もなかなか覚えられません。小学2年生の子どもに負けています。(3週間で62個の聖句を覚えた小2の子どもがいます)
先日読書会で読んだ本、「乙女の密告」の中では、ドイツ語を暗唱する乙女たちが出て来ます。「忘れる言葉はその人にとって大事な言葉」というセリフがあって、意味深いなあと思いました。小説の中で乙女たちが覚えていたのは『ヘト アハテルハイス』(アンネの日記)でした。主人公は最後に大切な言葉を自分のものにして語っています。
覚えるためには、繰り返し声に出して読み、何度も何度も口の中で唱え、大変な努力を必要とします。
暗唱するうちに言葉が自分の中に入ってくるのがわかります。
また、暗唱しなければ何度読んでも気づかなかったであろう言葉に出会い、はっとさせられることもあります。
ヨハネ15章に
「あなたがたがわたしにとどまり。わたしがあなたがたの中にとどまるなら……」と繰り返し書かれていいますが、7節だけは、「わたしのことばがあなたがたにとどまるなら」になっています。「ことば」という語が入っているのはなぜでしょう……。
ヨハネ1:1に「ことばは神であった。」と書かれているので、わたし=ことばと解釈できますが、あえて「ことば」と書かれているのはなぜでしょう……。
7節の後半には「何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます」と書かれています。
イエス様ご自身が心に入って下さり、聖書のことばが自分のものになったときには、願い求めることが神さまと同じになっているのではないでしょうか。
名誉欲、金銭欲などのように自分のことだけを考えて求めるのでなく、神様のみこころにかなったことを求めるようになるのではないでしょうか。
だから、「あなたがたのためにそれがかなえられます」と言っているのでしょう。「あなたがたのために」という言葉も意味深いです。
「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えてこれらのものは与えられます。マタイ6:33」
と同じ意味になると思いました。
子どもたちの心の中に、また私の心の中にもたくさんのみ言葉を住まわせることができるように祈り求めます。
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