生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

追いかけてくる“いつくしみと恵み”

2007-08-24 12:55:48 | 教会

この間の礼拝は、F教会のK先生からメッセージをいただきました。
その日は夏期学校の翌日で、ふらふら状態で教会に行ったので、いつものメッセージを書き留めるノートを持っていくのを忘れてしまいました。メモに書いたのですが、その紙が見当たらなくて、今週は礼拝メッセージについての記事は書けないと思っていました。

今朝、デボーションで詩編23篇を読んで涙を流したとき、この間の礼拝メッセージの感動を思い出しました。少ししか書いていませんでしたが、メモがみつかったので書かせていただきます。(青字がK先生のメッセージ、緑字は聖書のことば、茶色字がわたしの感想)

詩編23編からのメッセージなのでまず、それを紹介します。


1主はわたしの羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
2主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
3主は、わたしのたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
4たとい死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、
それが私の慰めです。
5私の敵の前で、あなたはわたしのために食事をととのえ、
私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は、あふれています。
6まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと
恵みとが、私を追ってくるでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。



6節にわたしのいのちの日のかぎり、いつくしみと恵みとがわたしを追ってくるでしょう。と書かれています。
『いつくしみと恵み』というのは神さまの愛、すなわちイエス・キリストによって罪赦された赦しの愛です。
自分が主によって罪赦されたことを喜ぶことがいちばん大切です。


確かに気持ちが落ち込み、憂鬱になっているときは、罪赦されたことを忘れているときです。


神さまがおられ、守って下さる。神さまに愛されている。神を感じるという喜びが従者のようにずうっとついてくるのです。


従者のようについてくるというのは、嬉しいですね。苦しいのに無理して喜ぶのではありません。どんな状態の時でも神さまが一緒にいて下さることが喜びなのです。



哀歌3:22には私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。と書かれています。


自分の罪を思い起こしたとき、滅びるしかない者だということに気づきます。まさに主が赦しを与えて下さったから滅びないですんでいるのですね。



喜びは神との交わりです。永遠に主の家に住まうという天国の希望による喜びです。


地上での生涯が終われば天国に行けるという喜びはあります。でも、それまでが長いのです。人生の中で色々な苦しみに出会うと不安と恐れに取り囲まれ、とても喜んでなどいられなくなります。


でも、イエスさまと関係を持っているなら、聖霊の働きによって、いつくしみと恵みが追いかけてきてくれる人生になるのです。


いつくしみと恵みが追いかけてきてくれる……。そういえば、今までの人生をふりかえると……そうでした。今回の夏期学校も……。

K先生が会衆に向かって、
「あなたは神さまから祝福をいただいていますね。」と言われたとき、「はい、溢れるほどたくさんいただいています」と心の中で答えました。



あなたは私に、命の道を知らせて下さいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。詩編16:11

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