童謡「ぞうさん」の歌詞は誰でも知っていると思います。
同窓会報を読んでいて、「ぞうさん」の作詞者まどみちおさんの思いが書かれている文章を見つけました。
この地球上の動物で像ほど鼻の長い動物はいません。像の子は『ぞうさん、お鼻が長いのね』と言われました。「鼻が長くて変だ」と言われたように受け取るのが普通だと思います。
しかしこの像は、いかにもうれしそうに『そうよ、母さんも長いのよ』と答えます。長いねと言ってくれたのがうれしくてたまらないかのように、褒められたかのように、自分も長いだけでなく自分の一番大好きなこの世で一番尊敬しているお母さんも長いのよと、誇らしげに答えます。
この像がこのように答えることができたのは、この象が像として生かされていることを素晴らしいことだと思い、幸せに思い有難がっているからです。誇りに思っているからです。
像に限りません。けものでも虫でも魚でも鳥でも、草でも木でも数かぎりない生き物がみんな各々の個性を持たされて生かされていることは、何物にもかえられない素晴らしいことです。
「ぞうさん」は、単なる像の紹介ではなく、この世に生きるすべての動物の存在を肯定し、「そのままの姿がいちばん素晴らしいのだから、自信を持って生きなさいよ」と告げているというのです。
まどさんの思いを読んで、短い詩にこめられている思いを知り、胸があつくなりました。
像が像として生かされていることを素晴らしいと思えたのはなぜでしょう……。
おそらくお母さんが「長い鼻って素敵なのよ。像にしか与えられていないプレゼントよ。わたしたち、像でよかったね」と自分の存在を喜び、長い鼻を肯定的に受け入れていたからだと思います。
その根拠は、(動物も人間もひとりひとり神様によって造られた存在である。)ということです。
「初めに、神が天と地を創造した。(創世記1:1)」という聖書の言葉からきているのです。
まどさんは、クリスチャンではなかったようですが、教会に通われていたことがあり、その考え方に聖書の影響が表れたのではないかと私は思います。
子育てにおいて、自分が大切な存在であることを子どもに伝えられる親が増えることを祈っています。
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この地球上の動物で像ほど鼻の長い動物はいません。像の子は『ぞうさん、お鼻が長いのね』と言われました。「鼻が長くて変だ」と言われたように受け取るのが普通だと思います。
しかしこの像は、いかにもうれしそうに『そうよ、母さんも長いのよ』と答えます。長いねと言ってくれたのがうれしくてたまらないかのように、褒められたかのように、自分も長いだけでなく自分の一番大好きなこの世で一番尊敬しているお母さんも長いのよと、誇らしげに答えます。
この像がこのように答えることができたのは、この象が像として生かされていることを素晴らしいことだと思い、幸せに思い有難がっているからです。誇りに思っているからです。
像に限りません。けものでも虫でも魚でも鳥でも、草でも木でも数かぎりない生き物がみんな各々の個性を持たされて生かされていることは、何物にもかえられない素晴らしいことです。
「ぞうさん」は、単なる像の紹介ではなく、この世に生きるすべての動物の存在を肯定し、「そのままの姿がいちばん素晴らしいのだから、自信を持って生きなさいよ」と告げているというのです。
まどさんの思いを読んで、短い詩にこめられている思いを知り、胸があつくなりました。
像が像として生かされていることを素晴らしいと思えたのはなぜでしょう……。
おそらくお母さんが「長い鼻って素敵なのよ。像にしか与えられていないプレゼントよ。わたしたち、像でよかったね」と自分の存在を喜び、長い鼻を肯定的に受け入れていたからだと思います。
その根拠は、(動物も人間もひとりひとり神様によって造られた存在である。)ということです。
「初めに、神が天と地を創造した。(創世記1:1)」という聖書の言葉からきているのです。
まどさんは、クリスチャンではなかったようですが、教会に通われていたことがあり、その考え方に聖書の影響が表れたのではないかと私は思います。
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