静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

講壇の花

2012年07月08日 | 生花
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2012年07月03日 | 天のマナ

 「主イエスとの交わりを深く」

 主イエスは、どこにおられるのでしょうか。父なる神の右の座であります。そこだけにおられるのではなく、聖霊なる神を通して、主イエスを救い主と信じるクリスチャンの内にいてくださいます。さらには、教会(呼び出された者たち)にいてくださいます。共に会堂に集まり礼拝をささげる場で、セル・グループで分かち合い祈りあう場で、ディボーションをして祈る場で、主イエスは私たち一人一人に、み言葉を通して語り、御手で触れてくださるのです。

 人生は何で決まるのでしょうか。名誉や財産でしょうか。はたまた学歴、功績でしょうか。それらのものは過ぎ去っていくものであります。人間の霊を満たすものではありません。人生は、何度主イエスに触れていただいたかで決まるのです。主イエスによって心身の癒し、魂の救い、罪の赦し、自我のきよめ、悪習慣などの縛るものからの解放、聖霊による満たし、神の国の確かな希望をいただいて歩むのです。あなたは、主イエスとの交わりが深くされているでしょうか。深くされていくことを求めましょう。

 「あなたがたは、神によって召され、御子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに、はいらせていただいたのである。」(Ⅰコリント1:9)

2012/7/1

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

主日説教要約

2012年07月01日 | 説教要約

「祈りの場と祈りの時」 マタイによる福音書21章12~22節

 エルサレムに入られた主イエスは、十字架を目指して進みます。本日は、「宮きよめ」「枯れたいちじくの木」から、祈りについてみ言葉をいただきましょう。

Ⅰ 祈りの場

 宮に入られた主イエスは、宮の庭で商売をしている者や鳴く動物を外へ追い出しました。主イエスはなぜ怒りそうされたのでしょうか。それは、「わたしの家は、国民の祈りの家ととなえられるべき」とイザヤ書のみ言葉を語って示されました。本来の祈りの場が失われていたからです。祈りの場が、利欲を求める強盗の巣になっていたのです。祈りの場の本来の姿を主イエスは取り戻されました。

Ⅱ 祈りの時

 宮きよめの出来事をはさみ、枯れたいちじくの木のことを記されています。これは、主イエスの行為による譬えであります。葉ばかりで実がならないこの木は、エルサレムにある神の民を示しています。神の恵みをいただきながら、信仰の実をみのらせていないのです。神の求めに応えられない神の民は、神の裁きを受け枯れることを意味しています。ローマによって滅ぼされます。

 私たち教会は、真の神の民です。私たちの祈り場はどうなっているでしょうか?集中して神にささげているでしょうか?祈りの時、実をならす信仰の祈りをしているでしょうか?

 主なる神に喜ばれる信仰による祈りをささげましょう。

2012/7/1 説教者 杉本守

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

講壇の花

2012年07月01日 | 生花
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする