静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2010年01月10日 | 天のマナ
「成人式を迎える」
 
 20数年前、私も成人式を迎え、東京中央教会の青年賛美集会で、7、8名の同輩とちょっとした成人のお祝いをしていただきました。

「どんな成人になりたいか」とのインタビューを受け、み言葉の色紙をもらいました。ささやかなものでしたが嬉しい想い出です。時が経つのも早いもので、長女が成人式を迎えます。街の成人式に行くのもよいかと思いますが、神の家族の中で育てられた者ですので、神の祝福のもとで、神の家族の中でお祝いされることがさらに素晴らしいことなのです。

 親バカな者なので、物を購入するのが嫌いな私が、かなり奮発してこの機会に、デジタルビデオカメラを購入しました。娘達を始め、神の家族である教会の皆様もどんどん撮りたいと思っています。すべて主の恵みです。感謝に絶えません。 

   
 「主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがな い。」(詩篇136篇1節)

2010・01・10
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講壇の花

2010年01月10日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2010年01月03日 | 説教要約
「隠れた事を見ておられる神」 マタイによる福音書6章1~8節

 6章は、神を信じる者の生活のことが記されています。特に当時のユダヤ人たちは、施し、祈り、断食を非常に重要視していました。主イエスは、これらのことについて、真の信仰者の姿を語りました。

Ⅰ 人前での義
 ユダヤ人の中でもユダヤ教の一派であるパリサイ人達は、これら三つのことにおいて、本来の目的である「神の栄光のための施し、神に聴いていただくための祈り、神との深い交わりのための断食」を変えてしまい、自らの信仰の深さや敬虔な生活の表明として、人に見られ人に聞かれるために誇示していたのでした。
 彼らは、人々から賞賛されることによって、報いは受けてしまっていました。

Ⅱ 神の前での義
 しかし、主イエスは、彼らのようになるのではなく、真の信仰者は、これら三つのことにおいても、人々にも自らにも(自らの善行を何時までも誇り覚えていないで忘れること)知られないように隠れた所でしなさいと述べたのでした。
 それは、隠れたところにおいでになる父なる神、隠れたことを見ておられる父なる神が、あなたに報いられるからであります。

 「すると隠れた事をみておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」

 私達クリスチャンの歩みが、何よりも主に喜ばれる信仰者でありたいのです。

2010/1/3 説教者 杉本守
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天のマナ

2010年01月03日 | 天のマナ
 「主イエスを喜ぶことは」
 
 2010年の教会のみ言葉は、「主を喜ぶことはあなたがたの力です。」(ネヘミヤ記8章8節)のみ言葉です。

 新しい年にあたり、私達は、「力」をいただきたいと願うのです。ここでいう「力」とは、「世の中の力」とは違い、「聖霊の力」であります。「聖霊の力とは、御霊の賜物であり、御霊の実」であります。「人間的な力」の弱さや限界を知らされている私達に必要で欠かせないものは、まさしく「この聖霊の力」であります。ではどうしたら「この力」を得られるのでしょうか。それは、「主を喜ぶこと」です。「聖霊なる神を喜んで歓迎し、心に迎え入れ、主なる神をほめたたえること」です。

 この一年、礼拝、祈祷会、セル・グループだけではなく、家においてもデボーションで、家事の中で、仕事場でも賛美が内から湧いてくる時、神の力に満たされるのです。

2010/1/3
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講壇の花

2010年01月03日 | 生花
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主日説教要約

2010年01月01日 | 説教要約
「主を喜ぶことはあなたがたの力です」ネヘミヤ8章1~12節

 2010年の教会への主のみ言葉を頂きましょう。

Ⅰ 主のみ言葉によって生きる
 バビロンから解放された神の民は、神殿、城壁を完成させました。神の民は、外側ではなく、新しいスタートに際して、内側の再建、神の民としてふさわしくあるために、み言葉(モーセの律法)に6時間以上聞き入ったのでした。そして、「アーメン、アーメン」と地にひれ伏し応答したのでした。

Ⅱ 主を喜ぶことによって歩む
 神の臨在の中に語られた神の言葉によって、自らの今までの罪を示され、また神の深い憐れみを知り、彼らは泣いたのです。その民にネヘミヤは、「この日は聖なる日であるから、泣くことをやめなさい」と語り、泣くのではなく、主を喜びなさいと述べたのです。

 この年、私達は「力」を得たいのです。力を得るためには、主を喜び、主をほめたたえることであります。主を喜ぶことが私達の力なのですから。

2010/1/1 説教者 杉本守
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