静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2007年02月04日 | 説教要約
「罪を赦す神」

 幾日かたって、イエスがまたカペナウムにお帰りになったとき、家におられるといううわさが立ったので、多くの人々が集まってきて、もはや戸口のあたりまでも、すきまが無いほどになった。そして、イエスは御言を彼らに語っておられた。すると、人々がひとりの中風の者を四人の人に運ばせて、イエスのところに連れてきた。ところが、群衆のために近寄ることができないので、イエスのおられるあたりの屋根をはぎ、穴をあけて、中風の者を寝かせたまま、床をつりおろした。イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、「子よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。ところが、そこに幾人かの律法学者がすわっていて、心の中で論じた、「この人は、なぜあんなことを言うのか。それは神をけがすことだ。神ひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」。イエスは、彼らが内心このように論じているのを、自分の心ですぐ見ぬいて、「なぜ、あなたがたは心の中でそんなことを論じているのか。中風の者に、あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きよ、床を取りあげて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに言い、中風の者にむかって、「あなたに命じる。起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。すると彼は起きあがり、すぐに床を取りあげて、みんなの前を出て行ったので、一同は大いに驚き、神をあがめて、「こんな事は、まだ一度も見たことがない」と言った。(マルコによる福音書 2:1-12)

 主イエスの初期宣教は、ガリラヤ地方でありました。今日の記事は、その中のカペナウムで起きた主イエスによる神の国の到来であります。

Ⅰ 主イエスに向けて表された信仰
 四人の者によって運ばれてきた一人の中風(身体が麻痺する病)を患った者が、主イエスがいる家の前に運ばれてきました。しかし、足の踏み場も無いほど満員でありました。けれども彼らはあきらめずに、屋根をはがしてまで主イエスの前にこの者を出したのでした。ここに主イエスに対する信仰と隣人愛を見るのです。

Ⅱ 主イエスの恵による御業
 主イエスは、何よりも彼らの信仰を見たのです。そして、病いの癒しだけではなく、病いの奥にある罪さえも赦されたのです。言い換えますと罪が赦されたことの一つのあらわれとして、病いを癒されたのです。どうして主イエスは罪を赦すことができるのでしょうか。主イエスこそ、罪を赦す権威をもってらっしゃる神であり、罪を十字架で負われて、罪に打ち勝った救い主だからであります。
 
 時に私達一人では、主の前に出られない時もあるでしょう。また、一人では導けない所にも出くわします。その時は、信仰の友に、また三、四人で出たいのです。そして、圧倒的な主イエスの御業を体験させてもらおうではないでしょうか。

2007年2月4日
説教者 杉本守牧師
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