「神の僕を支える神」 使徒行伝7章54~8章3節
7人の執事として選ばれた中のステパノの殉教から、主のみ言葉をいただきましょう。ステパノは、偽証者たちが訴える議会に立たされても、石を投げられ殉教していく最中にあっても、彼の顔は天使のように輝き、彼の言葉は福音を伝え、赦しを与えとりなしをなし、神への信頼で溢れていました。殉教の中でもあっても、豊かな神の栄光があらわれたのはどうしてなのでしょうか?
Ⅰ 主を見上げる神の僕
ステパノを追い込みたい者達は、偽証人を立てます。しかし、ステパノは福音を語り、神はどこにでも存在しどこにでも自らをあらわし救う方であると述べます。さらに、預言者を迫害し、救い主を十字架に付け、神の言葉に逆らう彼らの罪を指摘し、悔い改めの時を与えます。けれども、彼らは悔い改めずステパノに対して激怒するのです。このような中、ステパノは輝いていました。それは、彼が人々を見ていたのではなく、天におられる父なる神と主イエスを見ていたからです。
Ⅱ 神の僕を支える神
彼らは、ステパノを石で打ちます。しかし、その中でステパノは主を信頼し、自らの魂を主なる神にゆだね、石を打つ者達を赦しとりなすのです。彼はこのようなことができたのは、主イエスが彼を特別に支えていたからであります。そして、主イエスが彼のうちにいて、主イエスの十字架の祈りを彼になさしめたのです。
神は、天をみつめる神の僕を常にみていて、どんな危機においても必ず支えてくださり、神の栄光をあらわす場、神のみ業をあらわす場とされるのであります。決して恐れることはありません。
2013/10/6 説教者 杉本守