「高価で良い真珠」 マタイによる福音書13章45-46節
「また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。」(マタイによる福音書13章45-46節)
初めてこの箇所を読んだ高校生の時、私は「変な話し!」と思いました。だって、真珠を一個買うために、持ち物を売り払うなんておかしいですよね。「この商人、明日からどうやって暮らしていくのかしら?」なんて、心配もしました。とにかく、ありえない話しだと思いました。
私は、真珠などの宝石とかには興味のない人間で、真珠の良さがわからないからそう思ったのですけど、真珠の良さを知っている人には、この商人の気持ちが分かるのでしょうか?
そう思っていたある時、本を読むと「この真珠はイエス様のことである」ということが書かれていました。イエス様を本気で求めている人は、すべてを捧げていくことができるということ?
私は、「そこまでイエス様を求めていないなぁ。きっと、まだ、イエス様の良さがわかっていないんだな。もっと、イエス様の良さがわからないとクリスチャンにはなれないよね」。そんな風に不安を持ったこともありました。でも、そんなことを思いながらも、ちゃっかり洗礼を受けてしまいました。こんな私のためにも、イエス様は十字架にかかって下さったと信じましたから、神様の赦しを確信して洗礼を受けました。
さて、聖書のお話にもどりましょう。確かにイエス様は、私たちにとって真珠、宝です。しかし、忘れてはいけないことがあります。それはまず、イエス様が私たちを「真珠」、かけがえのない宝物だと思っていること、そのことを決して忘れてはいけません。
「私の目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している」(イザヤ書43章4節)
これは、有名な御言葉ですから、クリスチャンなら知っている人も多いと思います。「尊い」という言葉は、原文では、「かけがえのない、代用品のない」という意味があるそうです。「あなたという人間はたった一人しかいない。だから、あなたは貴重な存在なのだ。私は、あなたを愛している」と神様はおっしゃっているんですね。
そのようなわけで、良い真珠を捜している商人は「イエス様」です。そして、イエス様は「良い真珠」である私たちを見つけてくださいました。そして、それを買い取るために尊い血潮を流されました。ご自分の命を差し出してくれたのです。
「私が、良い真珠? 高価な真珠? そんなことは、信じられない」と思う方もいるでしょう。「自分は、できが悪い。いつも人に見下されている。鼻で笑われたことだってあるんだ」。そうやって自分自身を卑下し、「こんな私のためにイエス様がご自分の命を投げ捨てるなんて、ありえない。他の人のためならわかるけど、自分のためにそんなことをするわけがない」、と心を頑なにする人もいるでしょう。。
しかし例え、あなたやあなたの周りの人が、あなた自身の価値を認めなかったとしても、イエス様は、あなたの価値を認めてくださっています。あなたの良さを誰よりも理解してくださり、愛しているのです。それなので、あなたを一生懸命捜し求めてくださったのです。私たちは高価な良い真珠です。
イエス様とずっと一緒にいれば、イエス様がいつも私たちを綺麗にみがいてくださいます。 私たちよりも、私たちの価値を知っているイエス様を、私たちの「真珠」、宝として受け入れ、この身を委ねていきたいですね。
2008/2/24 説教者 酒井有希子(日本ホーリネス教団 清水キリスト教会)
日本ホーリネス教団 清水キリスト教会 〒424-0873 静岡県清水市有東坂2-321-9 TEL:0543-46-8191 FAX:0543-46-8191 |
校正:M.S
こんな私でも高価な真珠として探し出してくださったんだと思うと嬉しいです
自分で自分自身を汚してしまって、真珠とは思えないような私を見つけ出してくれたイエス様に感謝します