「あなたの人生の主人は」 マタイによる福音書6章19~24節
あなたの宝はなんでしょうか?ある人はお金かもしれませんし、またある人は地位や名声かもしれません。家族という人もいるでしょう。宝は大切なものです。イエス様は宝を持つことを否定してはいません。何かを素晴らしいと価値を認めること、それらを大事にすることは、神が人間に与えた思いです。
しかし、だからといって何でも宝にしていいかというと、そうではありません。何を宝にするのか、そのものは宝にふさわしいのかと考える必要があります。なぜなら、主イエスは「あなたの宝のあるとろに、あなたの心もある」と言われています。何を宝にするかによって、その宝は、その人の歩みに大きな影響を与えるのです。
お金の亡者になり身を滅ぼすことも聞きますし、地位にしがみつき醜態をさらす話もあります。逆に、社会的な貢献をし後世に励みを与える話もあります。主イエスは、「あなたの宝を天に蓄えなさい」と言われました。宝に使われるのではなく、宝を用いて、神の栄光のために用いるのです。自分のためにではなく神のために、隣人のために使うことが、天に宝を蓄えることです。これこそが、富を主人にするのではなく、神を主人にする歩みです。その者をどんなに神は喜び祝されるでしょうか。
2010/1/31 説教者 杉本守
あなたの宝はなんでしょうか?ある人はお金かもしれませんし、またある人は地位や名声かもしれません。家族という人もいるでしょう。宝は大切なものです。イエス様は宝を持つことを否定してはいません。何かを素晴らしいと価値を認めること、それらを大事にすることは、神が人間に与えた思いです。
しかし、だからといって何でも宝にしていいかというと、そうではありません。何を宝にするのか、そのものは宝にふさわしいのかと考える必要があります。なぜなら、主イエスは「あなたの宝のあるとろに、あなたの心もある」と言われています。何を宝にするかによって、その宝は、その人の歩みに大きな影響を与えるのです。
お金の亡者になり身を滅ぼすことも聞きますし、地位にしがみつき醜態をさらす話もあります。逆に、社会的な貢献をし後世に励みを与える話もあります。主イエスは、「あなたの宝を天に蓄えなさい」と言われました。宝に使われるのではなく、宝を用いて、神の栄光のために用いるのです。自分のためにではなく神のために、隣人のために使うことが、天に宝を蓄えることです。これこそが、富を主人にするのではなく、神を主人にする歩みです。その者をどんなに神は喜び祝されるでしょうか。
2010/1/31 説教者 杉本守