「神によって心をきよくされる」詩篇101篇1~8節
「わたしは全き道に心をとめます。あなたはいつ、わたしに来られるでしょうか。わたしは直き心をもって、わが家のうちを歩みます。」(2)
ダビデの讃歌であり、おそらくダビデが王位についた初期のものであるだろうといわれています。国を正しく治める王として、まず自分自身が、家庭が、国家が次のようでありたいとの祈りが込められています。
Ⅰ 神と共にあゆむことによって心きよくある
「全き道に心をとめます」「直き心をもって、わが家のうちを歩みます」とあります。彼は、倫理的道徳的以上に、神との関係においてきよくありたいと願っています。神と自分との間に何も置かず、まっすぐであることであります。自分の心がきよくされていく時、家も、国家も主の臨在の場となるでしょう。
Ⅱ 罪から離れることによって心きよくある
「目の前に卑しいことを置きません」(3)とあります。罪の誘惑になるようなことを目の前に置かないということです。それだけではありません。誘惑する者たちから距離をとるということです。世に置かれ生かされているクリスチャンですが、世に浸かってしまうのではなく、しっかり境界線を設けるべきです。さらに、クリスチャンの交わりの中に身を置くのです。礼拝はもちろん、祈祷会、小グループなどに積極的に出るのです。常に主を目の前において、罪から離れきよくあり続けることです。
「若い人はどうしておのが道を清く保つことができるでしょうか。み言葉に従って、それを守るよりほかありません。」(詩篇119:9)
2014/8/24 説教者 杉本守
「わたしは全き道に心をとめます。あなたはいつ、わたしに来られるでしょうか。わたしは直き心をもって、わが家のうちを歩みます。」(2)
ダビデの讃歌であり、おそらくダビデが王位についた初期のものであるだろうといわれています。国を正しく治める王として、まず自分自身が、家庭が、国家が次のようでありたいとの祈りが込められています。
Ⅰ 神と共にあゆむことによって心きよくある
「全き道に心をとめます」「直き心をもって、わが家のうちを歩みます」とあります。彼は、倫理的道徳的以上に、神との関係においてきよくありたいと願っています。神と自分との間に何も置かず、まっすぐであることであります。自分の心がきよくされていく時、家も、国家も主の臨在の場となるでしょう。
Ⅱ 罪から離れることによって心きよくある
「目の前に卑しいことを置きません」(3)とあります。罪の誘惑になるようなことを目の前に置かないということです。それだけではありません。誘惑する者たちから距離をとるということです。世に置かれ生かされているクリスチャンですが、世に浸かってしまうのではなく、しっかり境界線を設けるべきです。さらに、クリスチャンの交わりの中に身を置くのです。礼拝はもちろん、祈祷会、小グループなどに積極的に出るのです。常に主を目の前において、罪から離れきよくあり続けることです。
「若い人はどうしておのが道を清く保つことができるでしょうか。み言葉に従って、それを守るよりほかありません。」(詩篇119:9)
2014/8/24 説教者 杉本守