「礼拝を重んじる」
クリスチャン生活の中心は、礼拝です。軸がしっかりし土台が堅固であればあるほど安定
します。先週の祈祷会でも伝道の書より、礼拝の大切さが語られました。「神の宮に行くとき
(礼拝のとき)には、その足を慎むがよい(新改訳:自分の足に気をつけよ)」(伝道の書5:1)とあります。いつの間にか礼拝が習慣化、形式化、形骸化し、宗教的義務となり機械的に
守るような傾向になっていないかを吟味する、顧みなさいということです。
「近寄って聞くのは」とそのあとに続きます。礼拝とは、求めをもった私達が真の神の前に
畏敬を持ちへりくだりひざまずき、神との霊的いのちの交わりにおいて、神の御言葉に聴き
照らされ悔い改め、満たされるものです。
礼拝が始まるときに、礼拝堂にいる兄弟姉妹が少ないことをおぼえます。真の神の前に
出る備えができているでしょうか?遅れることがないよう自分の足に気をつけましょう。
2011・1・30