「助けなる神を待ち望む」詩篇42篇1~11節
この詩篇は、敵の襲来によりエルサレムの都を追い出され、ヘルモン山麓にあった詩人が、エルサレムでの礼拝を思い起こしながら、生ける神との出会いを渇望しているものであると言われています。
Ⅰ 主なる神を慕い求める者
エルサレムの都を追い出され、敵からは「お前の神はどこにいるのか」とののしられる苦境の中で、この詩人の魂は神を慕いあえいでいます。それは神によってしか彼の魂は満たされず、鹿が谷川を求め渇きを潤したいように、渇いていたからでありました。さらに彼の心はうなだれ思いみだれていました。しかし、彼はその自分自身に言い聞かせます。「どうして、なぜ、うなだれ思いみだれる必要があろうか。私には真の生ける神がいるではないか。神を待ち望め」と。
Ⅱ 満たされる主なる神
神を慕う者に対して神はどのように応えるのでしょうか。詩人は、過去の恵みの経験からも知っていました。神は、神を慕う者にいつくしみをほどこし、なお助けを与え経験させ、神をほめたたえる者に変えさせられるということです。ですから、詩人はそう賛美したのです。
私たちは、うなだれているのでしょうか、それとも主なる神を慕っているでしょうか。神を慕う者を必ず神は満たし、神をたたえる者にされるのです。今週もこの御言葉を経験させていただきましょう。
2011/5/22 説教者 杉本守