「主イエスの前に立つ時が近い」
今年度も終わります。今年度も激動の年でした。二回(9月と2月)、いつものように会堂に集まって礼拝を捧げることができず、自宅礼拝となりました。静岡教会も創立してから70年間、こんな経験は始めてでした。「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる」(マタイ24:7)とあるように、今の時代、戦争、地震、ウィルスなど、終末の前兆であり、主イエスの再臨が近いことを思います。
新年度が始まります。4月より進級そして進学(高校、大学、専門学校)、転勤での職場など新しい環境で歩む兄姉もおられます。期待半分不安半分でしょう。主の助けに支えられ、主の祝福が豊かにありますようにお祈りしております。
私たちも今年度も守られたことを感謝し、来年度も主への期待をし、また再臨を待ち望む者として、いつ主イエスが再臨されてもよいように、信仰の目を覚ましていましょう。「(真の平和なる)主よ疾く(すぐに、急いで)来たりて、世界を治め給え」との新聖歌464の歌詞を思い、「マラナタ(主よ、来たりませ)」(Ⅰコリント16:22)が響きます。
今年度も終わります。今年度も激動の年でした。二回(9月と2月)、いつものように会堂に集まって礼拝を捧げることができず、自宅礼拝となりました。静岡教会も創立してから70年間、こんな経験は始めてでした。「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる」(マタイ24:7)とあるように、今の時代、戦争、地震、ウィルスなど、終末の前兆であり、主イエスの再臨が近いことを思います。
新年度が始まります。4月より進級そして進学(高校、大学、専門学校)、転勤での職場など新しい環境で歩む兄姉もおられます。期待半分不安半分でしょう。主の助けに支えられ、主の祝福が豊かにありますようにお祈りしております。
私たちも今年度も守られたことを感謝し、来年度も主への期待をし、また再臨を待ち望む者として、いつ主イエスが再臨されてもよいように、信仰の目を覚ましていましょう。「(真の平和なる)主よ疾く(すぐに、急いで)来たりて、世界を治め給え」との新聖歌464の歌詞を思い、「マラナタ(主よ、来たりませ)」(Ⅰコリント16:22)が響きます。