「神のみこころが行われるように」 マタイによる福音書26章36~46節
本日は、十字架の前夜、主イエスがゲッセマネの祈りをした記事から、みことばをいただきましょう。
Ⅰ 悲しみとおそれ
主イエスの生涯で、主イエスがここまでこれほどの苦悩をあらしている記事はありません。あの荒野での40日の断食のあとの誘惑の時にでさえ、主イエスに余裕さえ感じられます。「苦しみもだえはじめられた」「汗が血のしずくのように地に落ちた」「悲しみのあまり死ぬほどです」とあります。なぜここまでの苦しみを、それは「罪のない方が罪を負われ、神に捨てられ圧倒的な神の裁きを受ける」ということがどんなに大きな苦しみであるか、また罪とはなんと恐ろしいものかを示しています。
Ⅱ 主なる神のみこころがなりますように
なぜ、主イエスはこんなに大きな苦しみを負われたのでしょうか。最後には、主なる神のみこころが十字架に進むことであること、それ以外に人を罪から救う道がないことを確認されたからであります。これしかあなたを救う道がこれ以外にないなら、あなたを救うためにはこれしかないなら、あなたが救われるなら、この十字架という杯を飲もうと主イエスは立ち上がられたのです。ただあなたを愛し救うために。
なんと感謝でしょうか。私の救いのために、あなたの救いのためにです。
2011/4/10 杉本守