静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2018年03月11日 | 天のマナ
「十字架によって贖われた者として」

 先週の礼拝説教を講壇で取り次ぎながら、教えられました。それは、ロバの子を解いて行こうとした弟子たちに、持ち主らが「そのろばの子を解いて、どうするのか」と言いました。主イエスは、彼らが「なぜ、そんな事をするのか」と言うと弟子たちに前もって伝えていました。
弟子たちが主イエスの言葉「主がお入り用なのです」と応えた時、彼らは理解しロバの子を渡したのでした。この言葉のやり取りの中で、主イエスと彼らの間の関係がどれほどのものかが問われています。ロバの子を渡したことから、麗しい豊かな関係でありました。

 時に、神が私になされることや語られることが十分理解できずに、「なぜ、どうして」と問いますが、続く主の言葉「主イエスがお入り用なのです」に、今度は私が主イエスと私の関係の深さを問われるのです。その応えは、十字架の愛を体験している者として、「わかりました」と献身し、時には握っているものを手渡し、時には重荷を負い主の後を進むのです。
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