静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2016年10月23日 | 天のマナ
「自分の理想か神の御心か」              
 
 私たちクリスチャンは、律法主義者にならないように気を付ける必要があります。律法学者は、旧約の律法を良く知っておりました。それに生きようとしておりましたが、生きることができずに、知識だけのものとなったり、形式的ものになったりしてしまいました。そして、自分はできていると勘違いし、また人々にも律法の重荷を負わせるだけでした。私たちは聖書を読み聴く中で、神の御心に従いたいと願います。そしてそれは、ひと足ひと足、主なる神によって私たちの内になされていくわけですが、ついついプロセス(過程)を無視し、それもいつの間にか表面的な自分の理想にすり替え、それに固執してしまい、できていない人を裁き、ついにはできていない自分を裁きます。自分の理想の結婚、自分の理想の家庭、自分の理想の教会、自分の理想の牧師、自分の理想の信徒と・・・。自分の理想に固執し過ぎて、神の御心よりも自分の理想を優先してしまってはいけません。神の御心が示された時、自己中心の自我では従えませんが、きよめられた自我なら従えます。自分の理想を成そうとしているのか、神の御心を成そうとしているのか、神の御業が成されることを阻んでいないかを各自が問うことが大切です。
「むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれることであるかを、わきまえ知るべきである。」(ローマ12:2)
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