静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2015年01月11日 | 説教要約
「主を恐れることは知恵のはじめ」 詩篇111篇1~10節

「主を恐れることは知恵のはじめである。これを行う者はみな良き悟りを得る。主の誉は、とこしえに、うせることはない。」(10)

 この詩篇と次の112篇は、各行がヘブル語のアルファベット(アーレフ、ベイト・・・タウまでの22文字)で始まるいろは歌になっています。最初のハレルヤを抜かすと22行です。時代は、捕囚後のものではないかと言われています。

Ⅰ 主に感謝する

 1節の「正しい」とは、神によって義とされ、神との関係がまっすぐにされている者であります。そういう者たちが集まる場で神に感謝をささげています。神に感謝をささげる理由は、神の恵みは深く、神のみわざは偉大で栄光と威厳とに満ちているあるからです。具体的には、神の民との契約に基づき、食住を与え、贖うことさえもして下ったことです。


Ⅱ 主を恐れることの幸い
 出エジプトの出来事、バビロン捕囚からの解放の出来事という救済の歴史を圧倒的な力をもって導く神。私たちが普段恐れている、おそれるべき人、おそれるべき出来事は、おそれることではなく、この世界を造り、この世界を治め、この世界を導き、この世界のすべてを御手の中に治めているこの真の神をおそれることこそ、知恵のはじめであります。これなくしては、どんなに一生懸命であったとしても暗中模索でしかありません。すべての源はこの主なる神なのです。

 ですから、この真の神をおそれる時に知恵を得、しっかりとした歩みができるのです。

2015/1/11 説教者 杉本守

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天のマナ

2015年01月11日 | 天のマナ
 「大人のクリスチャン」
 
 信仰生活を歩んでいますと、私たちは、時々、主のテスト(訓練)を受けます。そのテストは、「あなたの自我はきよめられているか」というものであります。精一杯奉仕する中で、誰にも評価され感謝されず、むしろ、改善要求のみを言われることがあります。その時、テストを受けているのだと感じます。ジョージ・ミューラーは、その奉仕の秘訣を尋ねた人に「わたしがジョージ・ミューラーに全く死んだ日がありました」と言いました。続けて、「自分の意見、好み、趣味、意志に全く死んだ日が。世界に対して、その賛成に対しても、非難に対しても死にました。わたしの信仰仲間や友人の賛成や非難に対してさえも死にました。それ以来、わたしは自分を神だけに認められるように努めてきました。」とも言いました。
 
「ほめられても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても、神の僕としての自分をいいあらわしている。」(コリントへの第二の手紙6章8節)。これに尽きます。

2015/1/11
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講壇の花

2015年01月11日 | 生花
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