静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2011年05月22日 | 説教要約

「助けなる神を待ち望む」詩篇42篇1~11節

 この詩篇は、敵の襲来によりエルサレムの都を追い出され、ヘルモン山麓にあった詩人が、エルサレムでの礼拝を思い起こしながら、生ける神との出会いを渇望しているものであると言われています。

Ⅰ 主なる神を慕い求める者

 エルサレムの都を追い出され、敵からは「お前の神はどこにいるのか」とののしられる苦境の中で、この詩人の魂は神を慕いあえいでいます。それは神によってしか彼の魂は満たされず、鹿が谷川を求め渇きを潤したいように、渇いていたからでありました。さらに彼の心はうなだれ思いみだれていました。しかし、彼はその自分自身に言い聞かせます。「どうして、なぜ、うなだれ思いみだれる必要があろうか。私には真の生ける神がいるではないか。神を待ち望め」と。

Ⅱ 満たされる主なる神

 神を慕う者に対して神はどのように応えるのでしょうか。詩人は、過去の恵みの経験からも知っていました。神は、神を慕う者にいつくしみをほどこし、なお助けを与え経験させ、神をほめたたえる者に変えさせられるということです。ですから、詩人はそう賛美したのです。

 私たちは、うなだれているのでしょうか、それとも主なる神を慕っているでしょうか。神を慕う者を必ず神は満たし、神をたたえる者にされるのです。今週もこの御言葉を経験させていただきましょう。

2011/5/22 説教者 杉本守

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天のマナ

2011年05月22日 | 天のマナ

 「一番幸せな者」 

 

 ある人が、何千もの賛美歌を作詞したクロスビーにこう質問した。「神様はあなたにこれほどの才能を下さったのに、なぜ目が見えないようにされたのか私にはわかりません」。クロスビーはこう答えた。「もし私がこの世に生れた時ひとつだけ願いが聞かれたのなら、私は盲人にならせて下さいと言ったはずです。」「えっなぜですか?」「それは私が天国に行った時、初めて見るお方がイエス様なのですから」。また、彼女はこんな言葉を残している。「信仰人は不運を不平する人ではなく幸運を創造する人である。私に一切の同情心を持たないで下さい。なぜなら私はこの地上で一番幸せな人なのですから」。(ゴスペルベンチャー教会が贈る信仰偉人伝「ああ、この人も!」より)

 

「平和をつくりだす人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」(マタイ5章9節) 

神の助けにより神の栄光をあらわす者として今週も歩もうではありませんか。

2011/5/22

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講壇の花

2011年05月22日 | 生花
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