「わたしの罪をお赦し下さい」詩篇25篇4~11節
この詩篇は、ヘブル語のいろは詩であり、他に8つの詩篇がこの形式をとっています。
また、この詩篇は、神の前にへりくだった者の詩とも呼ばれています。
Ⅰ 神の前に自らを認める
2節にある「わたしの敵」とは、ダビデをねたみ命をねらうサウル王のこと、またダビデの王位をねらう子供達のこととも見ることができますが、ここでは続きを読むときに、自らの罪、また罪を犯させようとするサタンであるとみることもできます。
詩人は、罪の赦しを三度(7、11、18)にわたって求めます。それほどに人の罪は網のように絡みついてくるのです。詩人は罪を認めへりくだり、神との絆の中にあって神を救いの神、恵み深く正しい神と見上げます。
Ⅱ 神の救いの道に歩む
4節の「大路、道」とは神の示される正しい道であり、踏む固められた道であり、主の赦しと救いであります。主はへりくだる者、神の前に自らの罪を認め悔い改める者に、9節にあるように、この道を教え踏ましてくださるのです。
私たちにも罪はからみついてきます。しかし、主イエスは十字架ですでにその赦してくださっています。また、サタンに勝利してくださっています。その赦しと勝利を受けて、いっさいの重荷とからみつく罪とをかなぐり捨て、神の国にむけた信仰の歩みをし続けてまいりましょう。
2010/6/13 説教者 杉本守
この詩篇は、ヘブル語のいろは詩であり、他に8つの詩篇がこの形式をとっています。
また、この詩篇は、神の前にへりくだった者の詩とも呼ばれています。
Ⅰ 神の前に自らを認める
2節にある「わたしの敵」とは、ダビデをねたみ命をねらうサウル王のこと、またダビデの王位をねらう子供達のこととも見ることができますが、ここでは続きを読むときに、自らの罪、また罪を犯させようとするサタンであるとみることもできます。
詩人は、罪の赦しを三度(7、11、18)にわたって求めます。それほどに人の罪は網のように絡みついてくるのです。詩人は罪を認めへりくだり、神との絆の中にあって神を救いの神、恵み深く正しい神と見上げます。
Ⅱ 神の救いの道に歩む
4節の「大路、道」とは神の示される正しい道であり、踏む固められた道であり、主の赦しと救いであります。主はへりくだる者、神の前に自らの罪を認め悔い改める者に、9節にあるように、この道を教え踏ましてくださるのです。
私たちにも罪はからみついてきます。しかし、主イエスは十字架ですでにその赦してくださっています。また、サタンに勝利してくださっています。その赦しと勝利を受けて、いっさいの重荷とからみつく罪とをかなぐり捨て、神の国にむけた信仰の歩みをし続けてまいりましょう。
2010/6/13 説教者 杉本守