静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日説教要約

2010年02月07日 | 説教要約
「よくしてくださる神」 マタイによる福音書6章25~34節

 先週の「神を主人とし、富を主人にせず、自らの宝を天に積む」というメッセージの続きです。「ではどうやって生活をするのか、富に頼らず神に頼るので大丈夫か」との思いがでてくるのではないでしょうか。経済生活の問題は私たちにとって身近で重要なことです。

Ⅰ 思い煩うな
 主イエスは、根拠なしに上記のことを語りませんでした。では、主イエスの根拠とはなんでしょうか。主なる神は、人間にいのちといのちをおさめる器なる身体を与えられました。ですから、いのちに必要な、また身体に必要な衣食住を与えないわけがありません。空の鳥も野の花も神によって造られ、神によって養われ飾られています。人間は、創造の冠であり、他の被造物よりもはるかに優っています。主なる神は、神のひとり子イエスを私たちを救うために与えられるほどに愛してくださってるのですから、当然、衣食住も与える方です。だから、心配をする必要はないのです。

Ⅱ 神の国と神の義を求めよ
 私たちのすべきことは、思い煩うのではなく、主なる神を信頼し、神の国と神の義とを第一に求めていくことです。神の国とは神の支配です。神との交わりによって、神の愛と恵みの支配が、自らの魂に満たされることです。
 次には、神の義を求めることです。神の義とは、神との正しい関係をもち、信仰によって神に義とされ続ける歩みです。神と自らの間に他のもの(罪、欲、自己中心)をいれないようにすることです。

 神の救いのうちにある者として、よくしてくださる神に信頼し、第一に神の国と神の義を求めていきましょう。

2010/2/7 説教者 杉本守

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2010年02月07日 | 天のマナ
 「でも → そうなんだね」 「自分のことばかりではなく」(ピリピ2:4)

 会話の中で、自分が話す言葉に気をつけて、どんな言葉が多いか注意してみました。そうすると薄々は気が付いていましたが、話し相手が考えていたことや感じたことを語った後、それに対するわたしの応答は、「でもさ」「それでも」「だけどさ」「そうはいっても」という言葉から始まっていたことが多いと確認したのです。気をつけていても、よく口からこれらの言葉がでるのです。考えが違う場合は、すぐに「受け入れる」ことは難しく考慮させられるでしょうが、「受け止める」ことはすぐにできるのに、「でも」は受け止めることさえもしないということです。

 できる限り「でも」ではなく、「そうなんだね」という言葉にしたいのです。「そうなんだ。○○さんはそう思うんだ。そう考えるんだ。わたしはこう考え、こう感じるよ」と、普段の生活の中で、相手の語る言葉とともに考えや感情を受け止めて、その上で自らの考えや感じたことを話せる者になりたいのです。そして、いろんな角度からの考え方による豊かな会話がなされ、共に受け止め、共に教えられ、主の栄光があらわされるためにさらに共に考え、主に喜ばれるものを共に築きたいのです。

2010/2/7

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

講壇の花

2010年02月07日 | 生花
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする