静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日説教要約

2010年02月21日 | 説教要約
「裁き合いからの解放」マタイによる福音書7章1~5節

本日も山上での主イエスの言葉に耳を傾けましょう。

Ⅰ 裁くな
 主イエスは、「裁くな」とおっしゃいました。私達は、聖書を基準に善悪の判断をし、悪からは遠ざかります。これは大切なことです。しかし、それとは別に、「裁き」の誘惑にあります。「裁く」とは、他人のあら探しをして批判し、断罪することです。あわれみのない心をもって罪ありとのみ定めることです。姦淫の場で女を捕らえて、主イエスのもとに彼女を訴えた者達の姿です。彼らは、彼女の心の叫びに耳を傾けることもなく、彼女が立ちなおれるようにしようという思いも少しもなく、ただ断罪したいだけでした。

 なぜ主イエスは「裁くな」と言われたのでしょうか
 人間は、裁く相手の一面しか知ることが出来ないからです。表面的で部分的なことしか知れないのに、それで裁いたのなら、あなたもそのようにされるからです。また、人間には人を裁く資格がないのです。それは、自分のうちに材木があるのに、他人の目のおがくずを取り除けることができないのです。姦淫の女を訴えた者達は、「罪のない者が石を投げつけるがよい」との主イエスの言葉に、自らの内にある材木をおぼえ、下を向いて帰っていったのです。

Ⅱ 愛しなさい
 では、主イエスはなんとおっしゃったのでしょうか。それは「愛しなさい」ということでした。まず、自らのうちにある材木を、神の前に認めて謙虚になり、きよめを受け取り除いてもらうことです。そうしたら、偏った表面的な味方から解放され、罪にある者が一番願っていること(罪から離れ立ち上がること)をどのようにしたらいいのかが、はっきり見えるようになります。そうしたら、本当の意味でその方からちりを取り除くことができ、その方を助けられるのです。それが愛するということです。

 主イエスの愛をいただき、裁き合いから解放され、愛し合うものとされましょう。

2010.2.21 説教者 杉本守
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2010年02月21日 | 天のマナ
「人を建てあげるキリスト者」
「いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい」(コロサイ4章6節)

「世の中で一番簡単なことは、人を非難することであり、一番難しいことは人を建て上げることである」という言葉を聞いたことがあります。ニュースを見ながら、オリンピックを観ながら、誰もが自分なりの評論家になり批評をし、「良くやった」とか「まだ駄目だ」とか、「自分だったら、ああはしない」とか「自分だったらもっとうまくやる」とか、言ったり思ったりしています。

 「言うのは易し、行うのは難し」という昔の諺にもありますが、実際の自分がその場に置かれたら、非常に困るのではないでしょうか。正論のようなことを言って批評することも簡単であります。しかし、それをなしている方々の状況や背景などを知り、自らが同じ立場に置かれたら、自分が頭ごなしに述べた通りのことを行えるでしょうか?大きな誤解や勘違いで赤面することも多々あるのです。

 わたしたちの言葉が、主の愛から生まれ、人を建て上げる塩で味付けられた言葉でありたいのです。

2010/2/21
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

講壇の花

2010年02月21日 | 生花
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする