静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2007年04月22日 | 説教要約
「神に仕える者は」

新約聖書・マルコによる福音書 3章13-19節

 『さてイエスは山に登り、みこころにかなった者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとにきた。そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。こうして、この十二人をお立てになった。そしてシモンにペテロという名をつけ、またゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、彼らにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。つぎにアンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、それからイスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。イエスが家にはいられると、』

 マルコによる福音書3章に戻り、主イエスの生涯を再び見ていきます。本日の箇所は、主イエスが12弟子を選ばれた箇所であります。主イエスは、12弟子を通して神の国(神の支配)を訪れさせるのです。

Ⅰ 呼び寄せられ立てられた者達
 重要な出来事(洗礼、変貌、十字架)の前に主イエスは、夜を徹して祈られたのであります。この弟子を選ぶ時もそうでありました。旧約における神の民(イスラエル)の12部族に対応して、新約の時代、新しい神の民の中核に12弟子を据えられたのであります。その人達の過去の姿を見ると、親ローマである取税人マタイと反ローマの熱心党のシモンという相反する者だったり、一般庶民の漁師であったりとさまざまであります。けれども、私達の人間の考えとは違い、主イエスは深い神の知恵をもって、選ばれたてたのでありました。

Ⅱ 呼び寄せられ立てられた目的
 なぜ、主イエスはこれらの者達を選ばれたのでしょうか?まずは、主イエスの御傍に置くためであります。主イエスご自身の愛を豊かに注ぎ、神に仕える者の姿を
見せ、互いに愛し合うためでありました。続いて、教育と訓練を積み、福音宣教に遣わすためであります。主イエスは、弟子達を通して、神から離れサタンの支配、罪の支配の中で迷い痛んでいる人に神の国(神の愛の支配)を訪れさせるために選び立てたのであります。その宣教の前進のために特別な権威を授けられました。

 主イエスは、12弟子を使徒として選び召し用いになられました。主イエスは、この時、私達を神の聖徒として選び、同じ目的のために用いてくださるのです。まずは、主の御許で主の愛を注いでいただき、宣教に遣わされていきましょう。

2007年4月22日 説教者 杉本守
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天のマナ(2007/4/22)

2007年04月22日 | 天のマナ
「憎しみからは何も良いものは生まれません」   
  先週は、日本でも海を越えたアメリカでも大きな銃の事件が起こりました。被害者、被害者の家族、そして私達も心を痛めました。遺族関係者に神の特別な慰めを祈り、福音が痛んでいる人、迷っている人に届くように励みたいのです。
ペンシルバニア州のランカスターという田舎町に、アーミッシュと呼ばれる、敬虔なクリスチャンの村落があります。この平穏な村落に、最近悲劇が起こりました。銃を持った男が小学校に乱入して、少女達を射殺した後、自殺したのです。なぜこんな事件が・・・・・。ところがこのやみの事件の中に、光が輝きました。後日、大けがを負った少女が、自分の姉の行為を語り出したのです。彼女の姉は、妹やほかの幼い少女たちを逃すために身を呈したのです。犯人が少女を射殺すると、残りの彼女たちは互いにかばいひるまなかったのです。さらに驚いたことに、アーミッシュの人達は、「私達は犯人を赦します。憎しみからは何も良いものは生まれません。赦して、前進します」とメディアに訴えました。そして犯人の葬儀に参列し、犯人の妻や家族に、慰めの言葉をかけたのです。憎しみからは何も良いものは生まれません。主イエスの十字架の愛により、良きものを生み出す愛とよるゆるしを人間が受けていくことを願い、福音を伝えたいのです。
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講壇の花

2007年04月22日 | 生花



2007年4月22日
担当J・S姉

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