考えてみれば自分は、昭和12年5月24日生まれの現在82歳だ。
近頃、頭の方が少々というべきか、かなりの「呆け虫」である。
総合病院で、脳神経外科に定期に通っているいる。
他の皮膚科、泌尿器科、また時には眼科にも1年に一回程度診てもらってる。
自分ではすっかり病院慣れしているつもりなんだけれども、必ずしもそうとは言えないこともある。
自身の過去を振り返ってみれば、随分、むちゃな生活、生き方をしてきたなと思うが
これも今更どうこう言えるものでもない。
生まれ育った新潟県内の豪雪地帯を出てからの年月、出来事を思い出してみても相当なものだ。
当時の日本経済の規模を考えて見ればわかるが、いまのそれに比べてみれば、何100分の1なんだろうか?。
あるいは、もっと少ないのかもしれない。
「高度経済成長に支えられての今の日本国」
大多数の日本人は敗戦の弊害、破壊からの生き残るために、なんでもいいからその日一日喰えるものを求めて
毎日、動き回ったのだ。
そして敗戦の日本兵士たちの帰還。でも「外地での戦争」に派遣された兵隊たちの惨めな帰還。
「出征するときの勢いもなく、一様に体が小さく見えたのは自分だけではないと思う。」
「何もない日本」それからの、日々の運、不運が自分のような子供にも想像できた。
大方の老人たちは、当時のことを話したがらない。何故か?
「話してみてもしょうがない。嫌な思い出を早く忘れたい」
この思いを心の奥にしまって、今日まで生き延びてる人も少しはいる。
ところで、この先「日本国はどうなる?」といえば大方の若い世代の人は、「心配する要素は極めて少ない」
と見ている。または、そんなこと「考えもしない」というところか。
でも、「人が人間という生き物である限りは争いの種は尽きないのだ」。
このことは、日本国が出来て以来の歴史を見ていればわかること。
「人間は機械やコンピューターではない」いわば、「動物の進化した生き物」だからだ。