外科の先生がお腹を触って、「うん、これは癌だ」と診断していたのは昔のこと。今では胃癌であれ、大腸癌であれ、あるいは肺癌、乳癌、前立腺癌などでも、手術の前に病巣の一部を採取して組織検査に出し、病理医が癌の診断をすることが常識になってきました。
また、手術で切除した胃などの組織も、癌の進行度や治癒度を調べるために病理に送られます。更に、不幸にして亡くなられた患者さんを解剖して、生前には診断のつかなかった病気の進行を調べるのも病理医の業務。
これだけ仕事の範囲が広く、ますます重要度が増しているのに、病理医の人数は全然増えていません。規模の大きな総合病院で、放射線科医と病理医は大学に要請しても人を出してくれない、という苦情をよく聞きます。そりゃそうでしょう。大学でも不足していますから。
病理への入局者を何とか確保したい、という医局の悲願にも関わらず、慢性的な人手不足が続くのはなぜでしょうか。簡単ではないですが、対策を考えてみたいと思います。
多くの医師が自分の専門を決定するのは、医師免許を取得して研修医となってからです。研修医にとって、病理医はどのように見えているのでしょう?
ローテート研修、と言いまして、研修医は各科を少しずつ回りながら、どの科のことも少しはわかるように経験を積み、その間に自分を生かせる専門科を選んで行くのが普通です。しかし、病理を回ってやろうという研修医は少数です。
研修医は国家試験に合格して、病院に配属された段階では、本当に何もできません。ゼロから経験を積むわけですから、ともかく患者さんを早く診療できるようになろう、ということで内科や外科、救急などの診療に直結した科で研修を受けたがります。これは当然のこと。
裏方である病理のことなど、ひとまず置いといて、というのが一般のパターンでしょう。かくして、研修はしたけど病理のことはよくわからない、という若手医師が次々に生まれるわけです。知らないのだから、入局など考えもしないでしょう。
これには我々にも責任があって、人手不足で研修医の相手がなかなかできないのです。意欲のある研修医が、外科で受け持った自分の症例について病理に質問に来る。あるいは学会発表のために病理所見を聞きに来る。これは病理にとって有難いことです。しかし、仕事を抱えているとなかなか時間が割けない。
このようにして病理医は、「検査部の奥でずっと座っている無愛想な親父」という評価を受けるわけです。いや、無愛想なんじゃなくて、顕微鏡の見過ぎで目が疲れているだけなんですけど。
仕事は多いし、患者さんにはお会いできないですが、病理にもいい点はたくさんあるのに、研修医がはなから入局先として考えてくれないのはもったいない。ちょっと宣伝させてもらいましょうか。
患者さんに会わない職種なので、「この人を診断して、治してあげよう」という実感の欲しい人には確かに向きません。しかし自分のペースで仕事がしやすいですし、人と話すのが苦手な人にも向いています。
あ、余談ですが、ある名医が、「我は包帯するのみ。神が治したもう。」と言ったのが美談になって、今でも「医者は謙虚なのがいい」と思っている方が多いようですが、私の実感には合いません。救急の多い外科など、徹夜や飯抜きは当たり前。手術と検査と救急の連続で、3日に1度しか横になれなかった、なんてことも珍しくありません。こんな生活が何年も続くのですよ。ここまできついと、職務意識とか義務の念だけで勤まるはずもなく、脳内麻薬が分泌されてハイになっていないともたないでしょう。
ですから、この中で成功する人というのは、並外れた強い意志の持ち主です。「神に成り代わって、この患者は俺が治してやる!!」というようなキャラクターでないと、抜きん出た努力などできるわけがありません。だいたい「我は包帯するのみ」と言った人の時代(16世紀)は、本当に包帯するしかなかったのです。謙虚さはもちろんいいことですが、その前にその医者の技術や経験、仕事に掛ける熱意をよく見られますように。
閑話休題。病理医の待遇は、病院に勤務する限りは他の科とたいして変わりません。まあ、内科の方が薬屋さんからボールペンとかメモ帳とかをもらい易い、というのはあります。最近は広告入りのUSBメモリをお土産にしている薬屋さんが多いですね。私もあれ欲しいんだけど、残念ながら病理には来てくれません。それから、病理で開業は難しいです。
仕事は疲れますが、少し減らしてもらえるなら高齢でも診療できるのは大きなメリットでしょう。極楽親父の所属する病理学教室で、最年長の現役病理医は確か84歳!だったと思います。これは特殊な例ではありますが、個人差はあるにしても、外科などより医師としての寿命が長いことは確かです。高齢になるともちろん視力は衰えますが、病理診断は視力検査よりはむしろ美術品の鑑定に近い作業なので、視力よりも経験が重要なのです。
若い医師にとって一般の臨床科と病理で一番違うのは、一人前になるまでの配属先じゃないでしょうか。一般の医師が初期研修を終えてからも長く市中病院でレジデントを続けるのに対し、病理は大学院に入学するのが基本なので、同級生よりも早く大学に戻って博士号を取ることができます。
だから早く大学に帰って研究したい人や、医学博士が早く欲しい人にはとても向いています。若手医師にとって、この「大学に帰って博士号のために研究をしている数年間」は体力的にも経済的にも非常に厳しい時期です。苦しい時期を先に終えてしまえば家庭を安定させることができるため、「医者同士のカップルで子供の世話ができない!」なんて危機も回避できます。
医者同士のカップルって、周りを見ると珍しくありません。大学時代から研修医時代にかけて、閉鎖的な環境で生活していますし、同じ理科系でも工学部などと比べて女性の割合が高いからでしょうか。同級生との結婚を予定している研修医の皆さん!どちらか1人が病理に入れば、子供の世話で悩まなくて済みますよ。
こんなことで病理医が倍増するかって?まあ、始めたばかりですから。個人の雑記のようなブログを続けることが、少しでも宣伝になればとささやかな期待を抱いています。
また、手術で切除した胃などの組織も、癌の進行度や治癒度を調べるために病理に送られます。更に、不幸にして亡くなられた患者さんを解剖して、生前には診断のつかなかった病気の進行を調べるのも病理医の業務。
これだけ仕事の範囲が広く、ますます重要度が増しているのに、病理医の人数は全然増えていません。規模の大きな総合病院で、放射線科医と病理医は大学に要請しても人を出してくれない、という苦情をよく聞きます。そりゃそうでしょう。大学でも不足していますから。
病理への入局者を何とか確保したい、という医局の悲願にも関わらず、慢性的な人手不足が続くのはなぜでしょうか。簡単ではないですが、対策を考えてみたいと思います。
多くの医師が自分の専門を決定するのは、医師免許を取得して研修医となってからです。研修医にとって、病理医はどのように見えているのでしょう?
ローテート研修、と言いまして、研修医は各科を少しずつ回りながら、どの科のことも少しはわかるように経験を積み、その間に自分を生かせる専門科を選んで行くのが普通です。しかし、病理を回ってやろうという研修医は少数です。
研修医は国家試験に合格して、病院に配属された段階では、本当に何もできません。ゼロから経験を積むわけですから、ともかく患者さんを早く診療できるようになろう、ということで内科や外科、救急などの診療に直結した科で研修を受けたがります。これは当然のこと。
裏方である病理のことなど、ひとまず置いといて、というのが一般のパターンでしょう。かくして、研修はしたけど病理のことはよくわからない、という若手医師が次々に生まれるわけです。知らないのだから、入局など考えもしないでしょう。
これには我々にも責任があって、人手不足で研修医の相手がなかなかできないのです。意欲のある研修医が、外科で受け持った自分の症例について病理に質問に来る。あるいは学会発表のために病理所見を聞きに来る。これは病理にとって有難いことです。しかし、仕事を抱えているとなかなか時間が割けない。
このようにして病理医は、「検査部の奥でずっと座っている無愛想な親父」という評価を受けるわけです。いや、無愛想なんじゃなくて、顕微鏡の見過ぎで目が疲れているだけなんですけど。
仕事は多いし、患者さんにはお会いできないですが、病理にもいい点はたくさんあるのに、研修医がはなから入局先として考えてくれないのはもったいない。ちょっと宣伝させてもらいましょうか。
患者さんに会わない職種なので、「この人を診断して、治してあげよう」という実感の欲しい人には確かに向きません。しかし自分のペースで仕事がしやすいですし、人と話すのが苦手な人にも向いています。
あ、余談ですが、ある名医が、「我は包帯するのみ。神が治したもう。」と言ったのが美談になって、今でも「医者は謙虚なのがいい」と思っている方が多いようですが、私の実感には合いません。救急の多い外科など、徹夜や飯抜きは当たり前。手術と検査と救急の連続で、3日に1度しか横になれなかった、なんてことも珍しくありません。こんな生活が何年も続くのですよ。ここまできついと、職務意識とか義務の念だけで勤まるはずもなく、脳内麻薬が分泌されてハイになっていないともたないでしょう。
ですから、この中で成功する人というのは、並外れた強い意志の持ち主です。「神に成り代わって、この患者は俺が治してやる!!」というようなキャラクターでないと、抜きん出た努力などできるわけがありません。だいたい「我は包帯するのみ」と言った人の時代(16世紀)は、本当に包帯するしかなかったのです。謙虚さはもちろんいいことですが、その前にその医者の技術や経験、仕事に掛ける熱意をよく見られますように。
閑話休題。病理医の待遇は、病院に勤務する限りは他の科とたいして変わりません。まあ、内科の方が薬屋さんからボールペンとかメモ帳とかをもらい易い、というのはあります。最近は広告入りのUSBメモリをお土産にしている薬屋さんが多いですね。私もあれ欲しいんだけど、残念ながら病理には来てくれません。それから、病理で開業は難しいです。
仕事は疲れますが、少し減らしてもらえるなら高齢でも診療できるのは大きなメリットでしょう。極楽親父の所属する病理学教室で、最年長の現役病理医は確か84歳!だったと思います。これは特殊な例ではありますが、個人差はあるにしても、外科などより医師としての寿命が長いことは確かです。高齢になるともちろん視力は衰えますが、病理診断は視力検査よりはむしろ美術品の鑑定に近い作業なので、視力よりも経験が重要なのです。
若い医師にとって一般の臨床科と病理で一番違うのは、一人前になるまでの配属先じゃないでしょうか。一般の医師が初期研修を終えてからも長く市中病院でレジデントを続けるのに対し、病理は大学院に入学するのが基本なので、同級生よりも早く大学に戻って博士号を取ることができます。
だから早く大学に帰って研究したい人や、医学博士が早く欲しい人にはとても向いています。若手医師にとって、この「大学に帰って博士号のために研究をしている数年間」は体力的にも経済的にも非常に厳しい時期です。苦しい時期を先に終えてしまえば家庭を安定させることができるため、「医者同士のカップルで子供の世話ができない!」なんて危機も回避できます。
医者同士のカップルって、周りを見ると珍しくありません。大学時代から研修医時代にかけて、閉鎖的な環境で生活していますし、同じ理科系でも工学部などと比べて女性の割合が高いからでしょうか。同級生との結婚を予定している研修医の皆さん!どちらか1人が病理に入れば、子供の世話で悩まなくて済みますよ。
こんなことで病理医が倍増するかって?まあ、始めたばかりですから。個人の雑記のようなブログを続けることが、少しでも宣伝になればとささやかな期待を抱いています。