いーなごや極楽日記

極楽(名古屋市名東区)に住みながら、当分悟りの開けそうにない一家の毎日を綴ります。
専門である病理学の啓蒙活動も。

病理医倍増計画

2005年09月03日 | 病理学もしくは病理医
 外科の先生がお腹を触って、「うん、これは癌だ」と診断していたのは昔のこと。今では胃癌であれ、大腸癌であれ、あるいは肺癌、乳癌、前立腺癌などでも、手術の前に病巣の一部を採取して組織検査に出し、病理医が癌の診断をすることが常識になってきました。

 また、手術で切除した胃などの組織も、癌の進行度や治癒度を調べるために病理に送られます。更に、不幸にして亡くなられた患者さんを解剖して、生前には診断のつかなかった病気の進行を調べるのも病理医の業務。

 これだけ仕事の範囲が広く、ますます重要度が増しているのに、病理医の人数は全然増えていません。規模の大きな総合病院で、放射線科医と病理医は大学に要請しても人を出してくれない、という苦情をよく聞きます。そりゃそうでしょう。大学でも不足していますから。

 病理への入局者を何とか確保したい、という医局の悲願にも関わらず、慢性的な人手不足が続くのはなぜでしょうか。簡単ではないですが、対策を考えてみたいと思います。

 多くの医師が自分の専門を決定するのは、医師免許を取得して研修医となってからです。研修医にとって、病理医はどのように見えているのでしょう?

 ローテート研修、と言いまして、研修医は各科を少しずつ回りながら、どの科のことも少しはわかるように経験を積み、その間に自分を生かせる専門科を選んで行くのが普通です。しかし、病理を回ってやろうという研修医は少数です。

 研修医は国家試験に合格して、病院に配属された段階では、本当に何もできません。ゼロから経験を積むわけですから、ともかく患者さんを早く診療できるようになろう、ということで内科や外科、救急などの診療に直結した科で研修を受けたがります。これは当然のこと。

 裏方である病理のことなど、ひとまず置いといて、というのが一般のパターンでしょう。かくして、研修はしたけど病理のことはよくわからない、という若手医師が次々に生まれるわけです。知らないのだから、入局など考えもしないでしょう。

 これには我々にも責任があって、人手不足で研修医の相手がなかなかできないのです。意欲のある研修医が、外科で受け持った自分の症例について病理に質問に来る。あるいは学会発表のために病理所見を聞きに来る。これは病理にとって有難いことです。しかし、仕事を抱えているとなかなか時間が割けない。

 このようにして病理医は、「検査部の奥でずっと座っている無愛想な親父」という評価を受けるわけです。いや、無愛想なんじゃなくて、顕微鏡の見過ぎで目が疲れているだけなんですけど。

 仕事は多いし、患者さんにはお会いできないですが、病理にもいい点はたくさんあるのに、研修医がはなから入局先として考えてくれないのはもったいない。ちょっと宣伝させてもらいましょうか。

 患者さんに会わない職種なので、「この人を診断して、治してあげよう」という実感の欲しい人には確かに向きません。しかし自分のペースで仕事がしやすいですし、人と話すのが苦手な人にも向いています。

 あ、余談ですが、ある名医が、「我は包帯するのみ。神が治したもう。」と言ったのが美談になって、今でも「医者は謙虚なのがいい」と思っている方が多いようですが、私の実感には合いません。救急の多い外科など、徹夜や飯抜きは当たり前。手術と検査と救急の連続で、3日に1度しか横になれなかった、なんてことも珍しくありません。こんな生活が何年も続くのですよ。ここまできついと、職務意識とか義務の念だけで勤まるはずもなく、脳内麻薬が分泌されてハイになっていないともたないでしょう。

 ですから、この中で成功する人というのは、並外れた強い意志の持ち主です。「神に成り代わって、この患者は俺が治してやる!!」というようなキャラクターでないと、抜きん出た努力などできるわけがありません。だいたい「我は包帯するのみ」と言った人の時代(16世紀)は、本当に包帯するしかなかったのです。謙虚さはもちろんいいことですが、その前にその医者の技術や経験、仕事に掛ける熱意をよく見られますように。

 閑話休題。病理医の待遇は、病院に勤務する限りは他の科とたいして変わりません。まあ、内科の方が薬屋さんからボールペンとかメモ帳とかをもらい易い、というのはあります。最近は広告入りのUSBメモリをお土産にしている薬屋さんが多いですね。私もあれ欲しいんだけど、残念ながら病理には来てくれません。それから、病理で開業は難しいです。

 仕事は疲れますが、少し減らしてもらえるなら高齢でも診療できるのは大きなメリットでしょう。極楽親父の所属する病理学教室で、最年長の現役病理医は確か84歳!だったと思います。これは特殊な例ではありますが、個人差はあるにしても、外科などより医師としての寿命が長いことは確かです。高齢になるともちろん視力は衰えますが、病理診断は視力検査よりはむしろ美術品の鑑定に近い作業なので、視力よりも経験が重要なのです。

 若い医師にとって一般の臨床科と病理で一番違うのは、一人前になるまでの配属先じゃないでしょうか。一般の医師が初期研修を終えてからも長く市中病院でレジデントを続けるのに対し、病理は大学院に入学するのが基本なので、同級生よりも早く大学に戻って博士号を取ることができます。

 だから早く大学に帰って研究したい人や、医学博士が早く欲しい人にはとても向いています。若手医師にとって、この「大学に帰って博士号のために研究をしている数年間」は体力的にも経済的にも非常に厳しい時期です。苦しい時期を先に終えてしまえば家庭を安定させることができるため、「医者同士のカップルで子供の世話ができない!」なんて危機も回避できます。

 医者同士のカップルって、周りを見ると珍しくありません。大学時代から研修医時代にかけて、閉鎖的な環境で生活していますし、同じ理科系でも工学部などと比べて女性の割合が高いからでしょうか。同級生との結婚を予定している研修医の皆さん!どちらか1人が病理に入れば、子供の世話で悩まなくて済みますよ。

 こんなことで病理医が倍増するかって?まあ、始めたばかりですから。個人の雑記のようなブログを続けることが、少しでも宣伝になればとささやかな期待を抱いています。
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公務員は減らせるか

2005年09月01日 | たまには意見表明
 国家および地方財政再建の策として、公務員の大幅削減および給与削減が主張されることが多いですが、マニフェスト(政権公約)などに記載されているということは、それが国民にとって利益になるんだという目論見があるからでしょう。大手の新聞もこの論調に乗っている記事が多いようです。あたかもそれが「改革」の本質であるかのように。

 でも実際に公務員が減って、給与も下がったとしたら、何が起こるでしょうか?新聞はそこまで解説してくれていません。極楽親父のように、人生も半ばを迎えますと、「説明できないもの」、「ムードだけで進められているもの」は胡散臭いという経験が身に着いています。今日はこの「今そこにある胡散臭さ」について考えてみましょう。

 まずお断りしておきますが、極楽親父は地方公務員です。従ってこの問題について利害のない立場ではありません。しかし、財政再建と公務員の処遇については、利害のない国民はいないはず。それなのに論調を引っ張っているのは一部の人たちだけ。

 皆さん関係があるんですよ。それぞれの立場から考え、声を上げなければ、ムードに乗っかって「改革」とやらを実現したつもりが、ごく一部の人たちだけの利益のために奉仕させられていただけ、という苦い思いをまたも負わされることになりかねません。今までの政治とは、まさしくそういうものだったからです。

 民間ではリストラの嵐が吹き荒れたのも昔のことのようですが、その時期に「良いリストラとは本社をリストラすること」と聞いたことがあります。会社の価値を調べるアナリストが言ったことらしいですが、つまり現場の職員を切り捨てるよりも、会社が肥大化する中で権益を拡大してきた、よく調べれば会社にとって貢献度の低い管理部門の病巣を探して切除しなさい、という格言のようです。

 経営者にとっては、現場の下級職員を切る方がずっと簡単。現場の職員はほとんど派遣、という会社もたくさんあります。しかし、これは大きな木を剪定するのに、根から切って行くようなもの。現場のリストラが過ぎると、確実に会社のポテンシャルは低下します。典型例がダイエーではないでしょうか。

 あの巨大なダイエーの経営が傾いてから、極楽家の近所のダイエーでは素人目にもわかるリストラが実行され、ローカルながら売れているテナントが追い出され、本社の管理部門が選んだであろう、どこにでもある陳列ケースが取って代わりました。パートの店員に商品のことを聞いても要領を得ず、仕舞いには店員が店頭から消え、探すのに苦労する始末。その一方で、ビール会社からの派遣の人でしょうか、目の前で困っているお客に目もくれず、何もない空間に向かって発泡酒の試飲を呼び掛けている滑稽さ。これじゃ売れませんよ。

 同じ時期にイトーヨーカ堂に行ったら、店員が自分の売り場に気を配っているのがよくわかり、気持ち良く買い物できました。商品を売るのは人だというのがよくわかりました。

 公務員を減らすという意味合いは、当事者である官庁と国民の間に大きな差があると思います。単に「多く辞めさせればいい」という数合わせでは、現場が機能しなくなり、公共サービスの大幅な低下を招くでしょう。現場の人数は減っても、業務の量は減らないからです。では、「良いリストラ」のために切除するべき「病巣」とは誰でしょう?極楽親父の脳裏には、一部の国会議員の顔がありありと浮かびます。でも、そんな人ほど辞めさせるのが難しいんですよ。

 給与削減も、新聞が書き立てるほど簡単じゃありません。強引な論調では、「2割以上の削減」とか書いてありますが、一律で減らせると思ってるんでしょうか?それだけ減らされれば、技能のある人から出て行くに決まってるからです。極楽親父は病院での地位が高いわけではありませんが、日本の歴史上でも3,000人に足りない特殊資格者なので、転職先には全く困っていません。過剰気味の勤務が少しこたえていますし、家族にも不自由な思いをさせているので、業務が正当に評価されないなら、すぐに移るつもりです。

 強引な給与削減で最初に出て行くのは、公務員を辞めても他で十分に評価される人たちでしょう。市民病院の腕利き外科医、世界から注目される研究者、児童から慕われる学校の先生、独自の技術を持つ技官、航空自衛隊のトップガンなど。公務から足を洗うことで、彼らにはより良い待遇が約束されています。こうした「つぶしの利く人」が公務員を続けているのは、地位や給与での評価は十分でないにしても、必要とされている自覚があるから。「公務員なんかいらない」という風潮が強くなれば、喜んで出て行くでしょうね。

 残った病院や研究所や施設の機能を、派遣や業務委託でカバーできるでしょうか?大学病院で散々「定数削減」の弊害を見てきた者として、新聞が無邪気に書き立てているような、リストラさえすればという論調に疑問を感じます。

 もちろん、税金で公務員を雇っているわけですから、決定権は納税者にあります。リストラが必要なのも確かです。ただし目下の雰囲気では、「日産のようなリストラ」よりは「ダイエーのようなリストラ」に近づいているように思えてなりません。

 カルロス・ゴーンさんは大の運転好きで、車そのものや製造、営業の現場を自ら見て回ることを重視された人だそうです。国や地方自治体の機関が実際にどう機能しているのか、為政者はもとより、多くの人に現場を見て理解してほしいものだと思います。
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