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いーなごや極楽日記

極楽(名古屋市名東区)に住みながら、当分悟りの開けそうにない一家の毎日を綴ります。
専門である病理学の啓蒙活動も。

最高裁の不平等選挙認定を支持します

2011年03月25日 | たまには意見表明
 平成21年8月30日の総選挙小選挙区において、1人別枠方式による定員割り振りが看過しがたい不平等を生じているとして争われていた裁判で、最高裁判所大法廷は選挙無効を求めた原告の要求を退けましたが、それは是正に十分な時間があったとは言えなかったためであって、有権者が憲法に基づいて要求する1票の価値の平等に反しているという解釈をしました。

 選挙の度に割を食っている都市部の有権者からすればこれは当然のことで、普通選挙において、ある有権者の票の価値が他の有権者の2倍以上あるということは、要するに1人で2票以上持っている人がいるのと同じことで到底認めることができません。

 過疎地の別枠方式に全く意味がないとは言えませんが、日本を小選挙区に分けてみれば、都市部よりむしろ過疎地の方が多いのです。1人別枠方式で優遇されて当選した議員が会派や派閥をなし、あるいは利害を共有することで過度に都市部の有権者の権利を損ねていることの弊害は明らかであり、遅きに失したとは言え最高裁判所がここまで言及してくれたことには賛同します。

 この国の税金を負担しているのは都市部の企業や住民です。都市部が稼ぎ、過疎地が予算を「確保」して遣うといういびつな関係は政治を大きく歪めており、このままでは国全体が貧する原因になります。まともな民主主義が実現されるためには、何より負担に応じた政治的権利が与えられることです。「代表なくして課税なし」とはアメリカ独立のスローガンになった有名なキャッチフレーズで、まさしく議会制民主主義の本質を表しています。私も都市部の勤労者として課税に見合うだけの選挙権を求めます。
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吮疽の仁(せんそのじん)なくば

2011年03月17日 | たまには意見表明
 見慣れない言葉でちょっと難しいですが、吮疽(せんそ)とは今で言えば感染症による皮下の膿、我々が言う膿瘍(のうよう)を口で吸い出してやることらしいです。兵士は戦闘によって外傷を受けますよね。それが原因で膿瘍を生じた場合、現代でも切開と排膿、つまり切って膿を出してしまうことが標準的な治療です。

 無数の病原菌を含む膿瘍があるままでは抗生剤もあまり効きません。ましてろくな薬剤のない昔の中国においては、膿を搾り出さない限り感染が広がって、壊疽を起こして死ぬことになります。吮疽の仁(せんそのじん)とは、自分の口を相手の患部につけて膿を吸い出してやるほどの愛情を表しています。

 まあ、自分の子どもに対してならできるような気がしますよね。これを一国の将軍が部下に対してやって見せたので歴史に残ったのです。どこまで本当の話かはわかりませんが、これをやったのは中国戦国時代の名将と言われた呉起。元々安定した勢力基盤がなく、あまり人望のなかった人らしいのですが、部下の膿まで吸って職務に専念したため、奮い立った兵士が勇猛な戦いぶりを見せ、立派な戦績を残したそうです。

 ただし、「一将功成って万骨枯る」というのが世の習いです。将軍の意気に感じて奮戦した呉起の部隊は功績こそ大きいものの戦死者が多く、その国の女は息子が徴兵されて呉起将軍の部隊に入ったと聞くと嘆き悲しんだそうです。他の将軍は呉起ほど評判が良くなかったため、出世しない代わりに戦死者も少なかったとのことです。

 これを現代にも適用すると、余程の目標がない限りは、将軍や上司なんて「立派でない」人の方が部下には都合がいいことになります。戦乱の世では多くの戦死者が出たとしても、運良く生き残れば大出世ができたわけですが、現代の日本ではサラリーマンが下手に「吮疽の仁」みたいな上司に何もかも捧げたところで、少しばかりの昇給と引き換えに健康や家族を犠牲にするのが関の山だと思われます。私も前に仕えた上司の中で、きつい要求をしてきた人がたいして人徳者でなかったことに感謝しています。

 患者さんのためとか、医学のためなら多少は家族に我慢してもらう場合もあるでしょう。でも、出来の悪い上司が押し付けてくる仕事は、「病院のため」とか「上司本人のため」とかの割に合わないものです。それでも呉起将軍みたいな人に説かれれば無理をしてしまうのが人情というものかもしれません。「男子の本懐」とか「士は己を知るものの為に死す」という場合もありますので。

 こんな成語を持ち出したのは、もちろん我々の首相閣下の発言が気になったから。YOMIURI ONLINEによれば、かねてから東京電力の対応を批判していた管首相は、東電本社に出向き、「撤退などあり得ない。覚悟を決めて下さい。撤退した時は東電は100%潰れる」と幹部に怒鳴り込んだらしいです。責任の重大さも疲労困憊しているのもわからなくはありませんが、幹部はともかく、前線で危険な任務を負っている技術者が、これで奮起するはずがないでしょうが。

 私が技術者なら、こんな小心者の上司のために何十年分もの被爆をするのは真っ平御免。さっさと家族の元に帰りたいと思うでしょう。情けないったらありゃしない。少なくとも、多くの国民は必死の作業を続ける技術者や自衛隊、警察、米軍などの方々に心から感謝し、応援しています。皆さんがこの首相の発言に辛抱ならず、直接面会を求めて謝罪させても誰も文句を言いませんよ。
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入試問題流出は大きな問題にならない。ただし京大の場合。

2011年03月01日 | たまには意見表明
 京都大学の入試において、試験時間内に英語と数学の問題の一部がインターネットの質問サイトに投稿されて問題になっているようです。調査では早稲田、立教、同志社でも同じような問題流出があったようですね。

 質問サイトにアクセスしたIDを調べるには警察からの要請が必要なので、京大は今回の事件を偽計業務妨害で告発したそうです。とりあえずこれで騒ぎは収束するでしょうね。ただし京大だけです。東大とか京大といった旧帝大の入試問題は記述式が主体で、問題量も相当に多いのできちんと勉強していないと厳しいものです。外部に有能な協力者がいてリアルタイムで回答してくれるならともかく、いつどんな答えがアップロードされるかわからない一般の掲示板に頼っているようでは合格点を取るのが難しいでしょう。問題が流出したとされるサイトを見てみると、やっぱりベストアンサーが付くまでに時間の掛かっているものが多く、これでは試験時間内に回答するのが困難です。

 また入学してしまえば就職活動以外は遊んでいられる一部私大文系と違い、国公立大の卒業認定はかなり真面目です。教養課程の語学でもきちんと出席して勉強しないと容赦なく落とされますので、自力で入試に受からない人が紛れ込んでも無駄になることが多いでしょう。

 これに比べると私大は甘いですよ。推薦で入った人、小学校の知能テストみたいなAO入試で入った人、帰国子女枠、スポーツ推薦、一芸入試など学力レベルがばらばらなので、かなり学力面で厳しい人でも卒業までたどり着けるようになっていたはず。聞いた話では、スポーツで有名なある私大では、答案用紙の名前欄の横に「XX部」と書いておけばきちんと照合してくれて、白紙でも満点の扱いになったそうです。スポーツで入った特待生は競技での期待が大きく、一般の講義を聴いている暇なんかほとんどありませんから。

 従って、危機感を持って入試の監督体制を見直さなければならないのは私大の方だと思います。一次試験の足切りがないので受験者数が膨大だし、それを採点するためにマークシートを多用。まあ私大にとって入試は大きな定時収入でもあるので、受験者数を絞るわけにもいきません。むしろ地方会場を増やして受験料稼ぎに躍起になっているのが現状です。せめて会場で携帯電話だけは使えないようにした方がいいですね。

 今回の事件を受けて、少なくとも来年度からはほとんどの会場で携帯電話持込が禁止になるでしょう。aicezuki君も、京大に受かりもしないのに対策だけ教えてくれてご苦労様というところです。もしかしたら他の大学は合格したかもしれませんが、これも一芸と考えれば実害はないんじゃないでしょうか。少なくとも早稲田が合格させた広末涼子とか福原愛に比べれば、まだ入学してから講義に出る見込みはありますから。

 犯人が特定できなければ今回の手口はわかりませんが、受験生が貴重な試験時間を潰して実利の期待できない犯罪を犯すというのも動機不明です。自分の親指入力テクニックを誇示したいのか、何か新しい携帯の使い方を見つけたのか、単なる愉快犯なのか。いずれにしてもaicezuki君が受験生だとして、本気で合格しようという意欲が感じられません。受験生よりリスクの低い立場の人が、何か別の方法で入試問題を手に入れ、受験生と偽装して流出させた可能性も消せないなと思います。

 そもそも入力は親指のブラインドタッチでできるとしても、回答は液晶画面を見ざるを得ないでしょう。ポケットの中で親指を動かしていても外からはわかりにくいかもしれませんが、画面を見つめていたらどんな試験官だって気付きます。「試験時間内に質問サイトを見る気はなく、実際に外部からの回答を見たのは試験終了後である。このことは携帯電話会社のアクセス記録から証明できる。」と主張された場合、法律的にはこれが犯意を持ってなされた行為なのかどうか判断が難しいかもしれません。
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大相撲改革は警察主導になる

2011年02月16日 | たまには意見表明
 先日、「大相撲八百長報道の意図するもの」で考えてみた続きです。八百長が明白になったとして、大相撲をどうやって再生するべきかということですね。

 まずは徹底したソフトランディング。八百長を認めた数人を追放して、トカゲの尻尾切りで納得してもらう。理事には警察出身者の名前を借りる。世界には大相撲どころでない難問が山積みになっています。野次馬的に騒いでいるだけの人も、そのうち小向美奈子が収監されたりすればそっちに目を向けるだろう、という日本相撲協会が考えていそうな近未来像。

 大相撲のファンは何十年と年季の入っている人が多く、だいたい八百長がありそうだなんてことは言われるまでもなく承知しています。こうした通(つう)の人は優しいですから、本場所が再開されればまた切符を買ってくれるでしょうし、テレビも見てくれるでしょう。相撲が格闘技だったのは野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)が命懸けの勝負をした時代のことであって、こうした優しいファンは、興行として年間に本場所で90番、地方巡業やトーナメントでも多くの取り組みに出場するプロの力士にそこまで要求しません。たまにいい立ち合いがあれば、「ガチンコ」と言って誉めてくれます。

 こういうタニマチが求めるのは、単なる強さじゃなくて様式美だと言われます。だから勝負に強くても外国人は駄目、と臆面もなく言えるわけ。こうしたお爺さん連中が望むのは、ある意味で歌舞伎みたいな伝統芸なんでしょう。歌舞伎では、例えば牛若丸と弁慶のどちらが勝つかなんて最初から決まっています。でも誰も八百長だなんて怒らないでしょう?相撲も同じとは言わないまでも、ある程度の筋書きは許容してきたんです。血筋が良くないと主役になれないのも、大相撲の外国人排斥に似ていますね。


 ただこれでは昔からの「大人の事情」を解さない新しいファンが離れていく危険がありますし、NHKも老人専用の中継番組にはしたくないでしょう。お爺さんの多い横綱審議会などはソフトランディングが心地よいと思いますが、新聞やネットで改革案を出してくれている文化人や財界人は、八百長を排してもっときちんとした勝負にしたいようです。

 例えば、取り組みが前もってわからないように当日まで秘密にするとか、負けたら終わりのトーナメント戦を導入するとか、有効な提案はいくつも出ています。テニスやゴルフみたいにオープン参加にして、部屋に所属しないフリーの力士が出場できるようにするとか、横綱や大関のような肩書きは名誉職にして、収入の過半を賞金が占めるようにするとかも考慮すべきでしょう。フリーの力士が出場できるようになれば、例えばハワイの力士がそのまま土俵に上がり、モンゴルの力士が幕内力士と対戦するようになる。あるいはフットボール出身のボブ・サップみたいな選手が出場してくる。こうなるとノスタルジックな観点からは許容できないかもしれませんが、土俵が活性化して真の大相撲に近付く気もします。

 素人が本場所に出ちゃ危ないって?それなら本場所出場者を決める予選を開けばいいでしょう。相撲の盛んなハワイやモンゴルに教習所を置いて、予選の大会を勝ち残った選手だけ本場所に上げればいい。ボクシングや総合格闘技だってやっていることです。鎖国で外国人選手やアマチュア選手をほとんど排斥して、守りに徹してきた今までの方針を変え、本当に相撲を国際化するために攻めに転ずるのです。日本のローカル競技だった柔道が、世界に進出して"JUDO"という最も普及した格闘技になったのを見習えばいいでしょう。


 まあでも、残念ながらソフトランディングで終わっちゃうんだろうなというのが私の予想です。何しろ相撲協会の体質を変えたくない人が多すぎる。実はその「変えたくない」筆頭が題名に書いた警察だという気がしているのです。

 メールを公表して八百長を裏付けた警察が、なぜ改革に反対するかって?

 だって、談合の通じない外国人力士が増えたり、オープントーナメントになったりして真剣勝負ばかりになったら、警察の介入する余地がなくなるじゃないですか。今この時期に、これだけの規模でメールを公表したのは、かなり周到な計算があるのだと思います。相撲協会は全力士に携帯電話提出を求めるなど、一応は八百長の全貌解明に努力しているようなポーズを取っていますが、「古いのは壊れた」とか「機種変更した」とか言われて調査が進んでいないようです。

 でも、警察が強制捜査に進んだら?

 八百長は法律で禁じられていないらしいので立件の対象でないにしても、野球賭博あるいは相撲賭博の容疑はあるわけです。強制捜査の理由なんてどこからでも出てきます。いや、既に相当の証拠を押収しており、公表分はそのごく一部だと見るのが合理的じゃないでしょうか。それじゃなぜ全部公表して、水面下の八百長を白日の下に曝さないのかと言われれば、恐らくそれは警察の温情です。まあ、金の卵を産むがちょうを殺さないことを「温情」と言うならです。

 大阪場所が中止になるタイミングで公表したのも、温情の表れかもしれませんね。自前の両国国技館で開催できる東京場所と違って、会場を借りて行う地方場所の収益は相対的に少ないはずですから、大阪場所が中止になっても過大な損失にはなるまい、ということでしょう。ただ、相撲協会に任せておくと全容解明が進まず、ずるずると次の場所も中止になる可能性はあります。

 警察は今回の事件で相撲協会に恩を売ると同時に、「私たちが何を求めているのかわかってるでしょうね?」と圧力を掛けているのだと思います。もし警察の意向に背いた方向で改革が進むなら、その時は残りのメールをぶちまけて相撲協会を焼け野が原にしてやるぞ、という暗黙の脅しじゃないでしょうか。このように空想すると、相撲協会は警察出身者を理事に採用するのは当然、その他にも極めて警察寄りの改革手段しか取れないだろうということになります。

 私の本心では格闘技としてのオープンな"SUMO"が希望なので、警察とお爺さんしか喜ばないような路線を改革と呼びたくないのですが、今は悪い予想が当たりそうな気がして相撲への興味を日々失っています。できれば誰かに「違う!」と言って頂きたいのですが。
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ついに演出と技術まで学芸会!の大河ドラマ

2011年02月14日 | たまには意見表明
 歴史好きの極楽息子(大)に付き合ってNHKの大河ドラマ「江」をちょっとだけ見てみました。内容にはもとより期待しておりません。NHKの、と言うより日本の時代劇の顔だった大河ドラマも、ハイビジョン時代になって時代劇ファンを切り捨て視聴率だけ稼ぐようになった昨今、2004年の「新撰組!」でSMAPの香取慎吾が近藤勇を演じたり、2005年の「義経」で同じくジャニタレの滝沢秀明が義経に扮したりで、アイドルに思い入れのない中年男性が見ても得るところのないライトドラマ(とでも言うんでしょうか?)に変化していたのは知っていましたから。

 それでも大河ドラマと言えば、若手が主体の連続テレビ小説(通称朝ドラ)に比べればお金も手も掛かっているし、息子が見るにはいいのかと思っていたのですよ。朝ドラは食事をしながら気軽に見る人が多いでしょうから、まあ学芸会でも許されるでしょう。もっとも、私は食事をしながら他人のお子様の学芸会を見る趣味はないので、職員食堂に行くときは朝ドラの再放送時間を外して行っているぐらいです。私の勤める病院の職員食堂ではなぜか他のチャンネルに替える人もいないのですが、騒々しい民放のバラエティを見たいわけでもなく、高齢の嘱託職員が暇そうに学芸会ドラマを見ているのに文句をつけようとは思いません。こちらが離れればいいだけです。

 さて「江」の話でした。映画やドラマの出演者って、話題先行で若手を抜擢しても、脇役をベテランで固めればしっかりしたドラマになるものだと言われてきましたよね。息子の好きな「ハリー・ポッター」なんてその典型で、最初はオーディションで抜擢された主役の3人がまだほんの子どもでしたが、イギリスを代表する名優でしっかり周りを固めています。

 例えばマクゴナガル先生のマギー・スミスは「ミス・ブロディの青春」でアカデミー主演女優賞、また「名探偵登場」「ナイル殺人事件」「眺めのいい部屋」「天使にラブ・ソングを」などのヒット作で重要な役を演じています。スネイプ先生のアラン・リックマンは「ダイ・ハード」「ロビンフッド」「マイケル・コリンズ」に出演の演技派、「ハリー・ポッターと秘密の部屋」に出演のケネス・ブラナーはイギリスを代表する舞台俳優の至宝。こういう脇役が優れた演出の下でしっかりドラマを演じてくれるから、映画として見られるものになっているわけです。音楽や撮影などのサポートも見事でした。

 しかるに「江」では、演出すら朝ドラレベルになっているんじゃないですかね。それに俳優のアップばかり狙うカメラワークが一緒になって、まるで芸能人のインタビュー番組ですよ。のべつまくなし顔面のアップ、怒声と絶叫ではテンションが高すぎてドラマに見えません。犯罪報道ならこれでいいのですが。こういう「自分の子どもさえ大きく写れば」のカメラワークも学芸会の父兄レベルだと思います。何でここまで落ちちゃったの?

 私はプロにはプロの仕事をしてもらいたいと思います。プロが素人の真似をしちゃいけない。民放の紀行番組などで時々、素人がハンディカムで撮ったような手ブレをわざと出していることがありますが、あんな下手な演出を見せられると以降のプログラムなど何があっても見たくなくなります。「江」のカメラも同じ。寿司屋のカウンターに座って、大きさがばらばらの握りが出されて、「お客さん、庶民的でいいでしょう?」なんて言われたら、そんな店にはもう行きません。プロに対して素人芸なんか最初から望んでいないからです。「江」のスタッフはそれをわかっていない。

 原作を踏まえて、明智光秀を単なる主殺しの悪者としてではなく、武将としての生き方に苦悩した上でその望みを果たせなかった悲劇の人物として描こうとする原作の意図が薄々はわかるのですが、せっかくの市村正親さんの熱演が、周りの演技のカルさと犯罪報道カメラワークに翻弄されて、やけに浮いて見えたのはお気の毒でした。せめて対比される羽柴秀吉はもっときちんと描かないと、視聴者が何を見ていいのかわからなくなります。そう、主役に変則な演技をさせたときは、脇役で締めるのがまともな演出だと思いますよ。

 最近は地上デジタルの自局CMばかり元気なNHKですが、決して安くない受信料をお支払いして、この程度の看板番組しかできないようでは、ますます大画面デジタル対応テレビの購買意欲が失せようというものです。受信料は強制ですから、「こちらが離れればいい」ともいきませんものね。さすがにニュースが見られないのは困りますから。
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大相撲八百長報道の意図するもの

2011年02月03日 | たまには意見表明
 大相撲の八百長報道は昔から週刊誌にたびたびあったことですが、今回は八百長を仕切っていたと見られるメールが警視庁に押さえられ、十両力士ら3人が関与を認めたことで話題になっているようです。昔から相撲を見ていた人にとっては、「大関互助会」やら「千秋楽の無気力相撲」やらで、八百長がないはずはないとの認識があったはずですが、動かぬ証拠が出たのは歴史上初めてかもしれません。

 警視庁によれば、八百長そのものは違法と言えないので立件の予定はないそうです。馬鹿を見たのは高い料金を支払って本場所を見に行った観客であって、八百長をしないという契約があるわけでもなく、むしろ観客も薄々とは八百長の存在を知っていたわけですから犯罪とはならないのでしょう。まあ、ここまで明るみに出れば観客動員数や視聴率に影響しないはずはありませんが。

 警視庁は元々相撲関係者による野球賭博の捜査をしていてメールを押収したので、相撲の興行については真剣勝負であろうが芝居だろうが関与する立場にありません。大相撲興行の監督官庁は文部科学省ですから。立件の可能性がないのなら、本来は通信の秘密で守られるべきメールがなぜ公開されたか、という相撲関係者の指摘があったそうです。これは当然でしょう。

 新聞記事によれば、捜査当局は広く公益を鑑みてメールの内容を文部科学省に報告し、報道機関にも概要をリークしたそうです。確かに観客や視聴者には重要な情報であり公益があると言えますが、違法すれすれという感じがします。危ないですね。

 そこまでの批判を見越して警察が八百長疑惑に立ち入ろうとする意図を考えてみましょう。まずは単なる世間体。警察はこんなに手柄を挙げたぞ、というデモンストレーションです。もうひとつは、相撲興行に介入するための布石です。警察庁も省庁ですから、自由になる天下り先が欲しい。マスコミに日本相撲協会を大いに叩かせて、八百長の再発防止を目に見える形で受け入れさせる。警察関係者の天下りを理事などに採用するルートができれば、観客や視聴者にもわかりやすい対策になるし、警察庁や警視庁も潤うということです。

 昔から問題を起こしがちな興行団体などは、それを理由に警察のいい縄張りになっているんですよ。警察署の管轄ごとにパチンコ屋に団体を作らせて便宜を図ってもらうとか、全国規模の業界団体やパチンコ機器メーカーに元警察幹部が再就職するとか。新聞では、大相撲の八百長を取り締まる法律がない、と法律の不備を問題にするような論調ですが、これ警察の意向をそのまま載せてるだけでしょ。法律があれば、文部科学省の聖域だった日本相撲協会に、警察が大手を振って入れますからね。
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招き猫とまねきTV判決はどっちが石頭か

2011年01月21日 | たまには意見表明

 JAF Mateの新年号はわが愛知県特集。表紙は正月らしく常滑焼の招き猫。常滑は招き猫の産地として日本一だそうです。

 さて、「まねきTV」なるテレビ番組転送サービスが最高裁で著作権侵害と判定され、サービスを提供していた被告の永野商店が敗訴したことが話題になっています。ここまで一審、二審では「著作権侵害に当たらない」と判断されていたものが、ここに来て原審の判決を差し戻したものです

 まねきTVが利用しているソニーの「ロケーションフリー」を原審では「一対一の通信であり不特定多数の公衆に送信するものではないから、自動公衆送信とは言えない。従って著作権者の有する送信可能化権を侵害するものではない。」と解釈したのに対して、最高裁では「公衆送信のうち既に自動公衆送信が規制されている状況では、その準備段階を規制するのが送信化可能権保護規定の趣旨に当たる。」と捉えています。(判決文が素人には難解なため意味が通るように編集しており、原文ほど厳密ではありませんが、こういう解釈だと思います。)

 しかし、次の文に「あらかじめ設定された単一の機器宛てに送信する機能しか有しない場合であっても,当該装置を用いて行われる送信が自動公衆送信であるといえるときは,自動公衆送信装置に当たるというべきである。」とあるのは、要するに「自動公衆送信装置だから自動公衆送信装置なんだ。」という理屈であって、原審の解釈を論理的に否定したようには見えません。こんなので納得できる人いるのかな。かなり無理筋の判決という気がします。

 この解釈では、自動公衆送信装置の範囲がどんどん拡大されてしまいますね。これと「ホスト業者が送信の主体」という牽強付会を組み合わせれば、あらゆるプロバイダやレンタルサーバが著作権侵害に該当してしまう可能性があります。かねてから問題視されていた「検索エンジンすら違法とされる異常な状態」を是正するどころか、猛スピードでネット以前の時代に回帰を促すような判決に、多くのネットユーザーが憂慮を表明しているようです。

 アゴラなどの投稿を見てもわかるように、最高裁が化石頭でテレビ局を保護しようとしたところで、このネット時代に対応できないテレビ局が滅びの道にあることに変わりはなく、今回の判決には戦後に闇市で食料を買うことを潔しとせず餓死された山口良忠判事の名前などが思い出されまして、法律家というのは時として法令で何を守るのかが見えていないものなのかなあ、と感じられます。裁判所がこんな体たらくだから、判決が常識から乖離しないように、素人でしかない裁判員を入れようなんて話が出てきたんでしょうかね?
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地上デジタルの大本営発表

2010年07月28日 | たまには意見表明
 この3月末で地上デジタルの普及率が83.8%に達したと報道されています。それから更に4ヶ月経過していますから、今ではもっと高い普及率になるんでしょう。ただし去年9月の69.5%から半年で14.3%も急上昇した数字には疑義を挟む声もあり、名古屋の一般的な住宅地に住む私の実感にも合いません。極楽家の近所では地上デジタル用の瀬戸タワーを向いたUHFアンテナは大まかに60%程度、これにCATVや光ファイバーを入れても80%を越えるのは難しいでしょう。全国にはUHFの受信自体が難しい地域がかなり残っていることを考慮すれば、政府と業界が「あるべき普及率」を演出した可能性は否定できません。

 この大本営発表に対して、「地上デジタル完全移行の延期と現行アナログ放送停止の延期を求める」提言が発表されました(以下「今回の提言」とします)。

 地上デジタル計画への反対提言としては、もう8年も前の「地上波デジタル放送への国費投入に反対する」が記憶にありますが、この時は経済学者が中心となって地上波デジタルへの移行に反対したものです。今回は地上デジタルそのものに反対するのではなく、準備不足をカバーするための時間的余裕が必要だという提言ですね。経済学的には既にマイナスだと指摘されていますが、計画がここまで進んでしまった(つまり国費が投入されてしまった)せいか経済学者はあまり参加していません。

 ただ賛同者に名を連ねる鬼木 甫(おにき はじめ)情報経済研究所所長はこの問題を専門とする経済学者であり、「地上アナログテレビ停止(停波)の経済分析」なる研究があります。今回の提言は、当然ながらこの研究を踏まえていると考えられます。

 今回の提言を読んでみると、総務省が地上デジタル普及率の算出方法として、かなりバイアスの掛かりやすい方法を採用していることがわかります。まず人口に対する抽出率が地域により大きく違っている。それからランダムに電話を掛けて、電話に出ない世帯は調査から外しているわけですね。この方法だと、そもそも地上デジタルを理解していない高齢者世帯や、電話にあまり出ない単身者などは母集団から省かれてしまい、調査の公平性が損なわれるとあります。これは当然ですね。実際に普及率調査のアンケートと、より精密な「国民生活基礎調査」による収入分布に無視できない差があり、収入の低い高齢者世帯や単身者などがアンケートから相当数漏れていると推定されます。

 このため今回の提言によれば、実際の普及率はせいぜい60%台だろう、というのも納得できるものです。地上デジタル対応テレビの出荷台数から見ても妥当な数字でしょう。(対応テレビは、既に廃棄されたものも含めてやっと5,000万台が出荷されたと報じられており、日本全国の1億3千万台と言われるテレビの半分にも及びません。)このまま予定通りにアナログ放送を終了すれば、その時点でテレビが見られなくなる世帯が約500万、デジタルに対応できないテレビが数千万台発生すると予測されているのももっともなことです。実際の地上デジタル受信率を無視した拙速なアナログ放送停止は、低所得者層を積み残して発車するようなものであり、不況の折に新たな自己負担を躊躇する低所得者層のテレビ離れを引き起こすものです。

 放送局が経営への悪影響を懸念している、と言われるサイマル放送(デジタルと並行して同じ番組をアナログでも放送する)にしても、今回の提言では、放送局の負担は個々の家庭が地上デジタルに対応するコストに比べれば相対的に低いものであり、それよりアナログ放送終了によって視聴世帯が大幅減少することで広告料が減少する損失がずっと大きいはず、と明快です。

 問題も解決策もはっきりしています。アナログ放送終了を2-3年延期し、経済学的に国民全体の負担が最も軽くなる最適点(鬼木所長の研究では2013-2015年)まで余裕を持たせ、その間に跡地のオークションを準備するのが国民の財産を一番生かせる政策だと思います。
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タイ製日産マーチに思う

2010年07月14日 | たまには意見表明
 日産マーチが新型になりました。今回は思い切った燃費の改善とコスト削減が課題だったようで、生産を全面的にタイに移管することでベースモデルが100万円を切ったそうです。

 私は今回のマーチそのものにはあまり興味がありません。燃費のために余裕を削ったエンジン設計や、コスト削減のためにプレスを簡略化して、先代のような特徴がなくなったデザインは、子どもの頃からのクルマ好きの琴線に触れません。気になったのは2点です。まず、現政府とタクシン派の対立で大混乱だったタイですが、日産はもう安定したと見たのでしょう。マーチは日産のエントリー車として重要な車種なので、生産の大きな障害は避けなければいけません。自動車生産は多種多様の部品産業があって初めて成立するので、今回の決定はタイ全土の政情がかなり落ち着き、持続した経済成長に向かうだろうということを示します。

 より大きな話題は、「日産がついに国内生産に見切りをつけた」ということです。法人税が高く、役所の許認可により経営の自由度は低く、労働市場も硬直化して生産コストの高い日本に工場をいつまでも置く理由がなくなってきたのでしょう。日本の実力以上の円高ももちろん原因になっているはずです。

 タイで生産されるマーチの品質が、このクラスの大衆車として十分なものであれば、この動きは拡大していくものと予想されます。ベンツやBMWのようなプレミアムカーでも一部は南アフリカとか中国で生産しているのですから、日本で販売する乗用車をアジアで生産するのにたいして不都合はないでしょう。日産が先駆けたと言うよりは、これまで日本のメーカーの腰が重かったと言うべきかもしれません。日産はコンパクトカーをタイで生産し、ティアナのような大型自動車を中国や韓国で生産して日本で売ることを考えているのでしょう。先日はホンダの二輪を全面的に値下げすることが発表され、コスト削減のために海外生産比率を上げる、とありました。日産と同じ流れだと思います。

 こうした海外シフトの結果、日本では雇用が失われます。政治はどうしても有権者の声やマスコミの論調を無視できないものですが、「世論」として大企業をすべからく強いもの、悪いものとして叩いて来た結果、割を食うのは誰なんでしょう?企業には海外に逃げるという選択肢があります。結局は日本を捨てることもできず、職を得られない一般国民が収入を閉ざされるだけではないですか。

 なぜ新型マーチが日本の工場で生産され、「地方格差」に苦しむ地方の台所を潤すことがなかったのでしょうか?例えば、基地問題が話題になる毎に「東京を中心とする日本の他の地域の犠牲になっている」という意見の出る沖縄です。なぜ沖縄県に日産の工場ができないのでしょう?

 少し前のデータですが、沖縄県の財政状況が公表されています。平成18年度の自主財源比率はわずか28%弱。巨額の国費を投入してもかつかつの状況である、と沖縄県が認めています。これで「犠牲になっている」とはどういう意味なのでしょう?少なくとも経済的には「東京が沖縄の犠牲になっている」のが真相です。沖縄の基地負担が小さいとは言えませんが、あれだけの設備と人員を擁するのですから、経済的にはむしろ大きなメリットのはずでしょう。まさか、基地がなくなれば遠い本州から工場が次々に誘致できるとでも?わざわざ遠い沖縄に、本州や九州と同じような賃金を払って工場を建設する企業なんかほとんどないですよ。

 そう、「本州や九州と同じような賃金を払って」というのが一番の問題だと思います。本土に比べれば平均賃金の低い沖縄で、生活費の安い沖縄で、なぜ本土とたいして変わらない最低賃金が定められているのか?表のように、沖縄の最低賃金が629円で九州や四国、山陰各県と変わらないのなら、企業が沖縄に進出するはずがないじゃありませんか。一見公平に見える最低賃金こそが、沖縄を貧しくする悪平等の根源です。

 基地と観光以外に大きな産業のない沖縄県ですが、下手な政府の補助もあって(東京よりは安いでしょうが)賃金や物価が高止まりし、いつまでも産業が興らないのです。労働力も市場で売買される商品ですから、政府が公共事業を引っ張って買い支えている間は硬直化して下がりません。今や東京が地方を経済的に支えていく余裕もなくなったのですから、分不相応な市場介入は止めて、地方の賃金を下げてしまうしか選択肢はないと思います。

 最低賃金を下げることで、確かに名目上は東京の労働者に比べて賃金が下がりますが、地方の物価はそれに連動して下がらざるを得ませんし、低廉な賃金に魅力を感じて進出する企業が増えるでしょう。実質的には投資や職が増えて豊かになるはず。今のタイと一緒ですよ。沖縄がタイになれないのは、今のところ政府に依存できるからです。税金は払わず、産業は乏しく、企業の誘致もしない、基地は嫌、で本土並みの経済発展を、って誰が見ても無理です。

 沖縄に観光旅行に行ってみて感じることですが、沖縄県産の農産物は割高で魅力が今ひとつ伝わりません。沖縄の商店には「県産パイナップルを食べよう」とかポスターが張ってありました。沖縄の人でもフィリピンのパイナップルを食べているのはなぜか?賃金が高止まりしているために、県産のパイナップルが安くできないからです。フィリピン並みとは言いませんが、観光客が実感できるほど物価が安くなれば、観光客も滞在客も爆発的に増えます。日産がタイに生産を移したのはなぜか、タイでリタイア後の人生を過ごす日本人が増えたのはなぜか、考えてみましょう。沖縄に必要なのは本土と共通の最低賃金ではなく、本土と違う物価水準だと思います。

 沖縄で基地反対運動をされている方は、「本土に沖縄の心はわからない」とか言う前に、普遍的な市場の仕組みについて考えてみてはどうでしょうか。日産は「沖縄の心がわからない」のでも「タイの心がわかる」のでもなく、タイに安くて質のいい労働力があったからタイに行っただけです。沖縄がタイのような魅力的な投資先あるいは滞在先になり、自主的に産業を誘致して豊かになったときに初めて、「もう基地はいらない」と言えばいいのではないですか?
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溶けないヒマラヤの氷河(IPCCの不都合な真実再び)

2010年01月21日 | たまには意見表明
 イギリスの新聞系サイト、TIMESONLINEによれば、2007年のノーベル平和賞を受賞した「気候変動に関する政府間パネル」(Intergovernmental Panel on Climate Change、IPCC)の第四次評価報告書において、地球温暖化の例のひとつとして挙げられたヒマラヤの急速な氷河消失が、実は極めていい加減な経緯で報告されたものであり、このため全世界が誤った判断に誘導された、とあります。

 IPCCの報告書はこうです。"Glaciers in the Himalaya are receding faster than in any other part of the world and, if the present rate continues, the likelihood of them disappearing by the year 2035 and perhaps sooner is very high if the Earth keeps warming at the current rate."つまり「ヒマラヤの氷河は他の地域に比べて速やかに減少しており、地球温暖化が継続し、氷河の減少する勢いが続くなら2035年あるいはそれ以前に氷河が消失する可能性が非常に高い。」

 IPCCは気象学者などによる専門家の団体と見做されているようですが、学者はある仮説の是非を判断するについて、自分で実験や調査、解析を行ったり、他の学者による論文を参考にしたりします。あらゆる学術論文は他の論文を下敷きにして、より先の真実を解明するのが目的ですから、関連分野の論文にはきちんと目を通してその正否を判断し、そのため必要なら追加調査も行います。その結果、自分の論文に引用する先行論文を支持する場合も否定する場合もあるわけです。

 新たな論文も好き勝手に出していいわけではなく、投稿誌により査読(つまり審査)されます。ほとんど査読のないローカル誌もないことはありませんが、そんな健康食品の広告みたいないい加減なもの、誰もまじめに読まないでしょう?世界的に名の通った投稿誌(最近はネット上のサイトも多い)ほど査読は厳しいのが当然です。厳しい査読に堪えて採用された論文は信用度が高く、世界中の学者から喜んで引用されるようになります。一流誌にどれだけ論文を掲載したか、が学者の実績になるのですから。

 ところがこのヒマラヤ氷河の消失をIPCCが報告するにあたって、直接の研究も調査もしていないインド人学者が、専門家向きではなく一般読者向きに、憶測をかなり交えて語ったインタビューから起こした記事を、検証もせずに第一級の資料として採用してしまったらしいのですね。著者のHasnain自身も、「査読や学術誌への掲載を経た論文ではないことをわかった上で扱って欲しい。」と認めているそうです。これ、私も医学者の端くれですから、仰天するほど驚きました。何ていい加減な!

 一体、学者が学術報告をするときに、一般向けの雑誌、つまり他の学者による査読を受けていない記事を参考にするって、考えられますか?しかもIPCCは世界中の政府に働きかけて、その長期的な政策を誘導することで人類の生存に貢献しようという団体です。報告書にはこの上ない厳密さが求められるのに、ですよ。TIMESONLINEが取材した氷河の研究者によれば、Hasnainの(証拠のない)見込みはやはり荒唐無稽であるようです。

 この件に関するIPCCの姿勢は不誠実極まりないと言うしかなく、去年の暮れに問題になったデータ操作事件、「クライメートゲート事件」と併せて考えますと、もはや報告書全体の信頼度について疑問を持たざるを得ない段階まで来ていると考えます。現議長ラジェンドラ・パチャウリの特定企業との癒着の疑いも持たれており、ひょっとすると「地球温暖化」そのものが巨大な詐欺であったという可能性まで考えなければなりません。

 このような状況では、IPCCの報告を重視して一方的に炭酸ガスの大幅排出削減を宣言し、日本から製造業の実質的な追い出しを決めてしまった鳩山内閣の政策は極めて稚拙であり、排出権取引で(パチャウリの関与する)ドイツ銀行を大喜びさせるために国民に長期の経済後退を押し付けるという歴史的な愚策です。

 一山当ててやろう、日本政府がカネを出すぞ!みたいな連中と、そいつらが召抱える政治家、学者が地球温暖化問題を雪ダルマみたいに大きくして、実態がどうなのかわかりにくくしてしまったのは明らかで、この辺で政府も個人も冷静になった方がいいと思います。地球温暖化問題を過大評価することで、より対応が必要なはずの貧困や紛争、経済危機などに手が回らなくなることは、日本にとっても世界にとっても大きな損失となるはずだからです。
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名古屋から変わるか教育委員会

2009年09月02日 | たまには意見表明
 新聞各紙によれば、名古屋市の河村市長が教育委員に学習塾経営者を任命の意向とのことで、なかなか面白い試みだと思いました。早速名古屋市教育委員会について調べてみようと思ったのですが、事務局のページしか見当たらず、どういう人が教育委員を務めているのかわかりません。教育委員会は自治体の首長から独立して教育業務を行うとされているはずですが、現状では市役所の一部局という扱いなのですね。

 そこで愛知県教育委員会のサイトを見てみました。教育委員の紹介もあります。PTA代表、弁護士、大学教授、元校長、会社社長ときて、最後の教育長だけ肩書きがないのは、県の職員でしょうか。

 戦後しばらくの間、教育委員は公選制でした。当初は予算や人事にも大きな権限があり、かなりの有力者が委員になって自治体首長と対立することもあったようで、これを嫌った政府により公選制廃止と権限の大幅な縮小が決定されて今に至っています。首長の任命制となった教育委員は、県や市の職員の横滑りであることも多く、首長から独立して教育行政を執行するという目的が形骸化しています。

 私は小学校と中学校が名古屋市立、高校が愛知県立でしたが、いずれも教育委員会の存在をほとんど感じませんでした。文化財の管理や文化活動の主催、表彰、教材の追認、広報などが業務のようで、教育委員会において教育の現場を左右する決定がなされたという記憶はありません。こんな名誉職みたいな機関がわざわざ独立している意味はない、と多くの人が感じるでしょう。これなら教育委員なしの事務局だけで十分です。

 不活性化した教育委員会が社会の要請に対応できていないという指摘は以前よりあって、臨時教育審議会や教育改革国民会議でもこのことに言及されています。東京では一時的に中野区が準公選制を導入していますが、元の公選制と同じように上からの圧力で潰されます。首長にとって、公選制の教育委員は余程目障りなんでしょうね。

 私は責任の所在がはっきりしていれば教育委員が公選でも任命でも構いません。現状では法律的に公選制の復活が困難であり、任命制を維持しつつ教育委員会が活性化するような人選を考える必要があります。名誉職と化した教育委員会を改革して教育効果を上げるためには、教育の現場を熟知する委員が必要です。「学習指導のプロ」と言われれば、子供を持つ名古屋市民の多くは学習塾の先生や予備校の先生を連想するのではないですか?河村市長によれば「小中学生の7割が塾に通っている」現状で学習塾を敵視しても益はありません。

 学習効果を本当に上げようと思えば、東京や名古屋市の多くの家庭では塾通いを選択します。これは学校の先生が必ずしも能力不足だからではなく、落ち着いて学習指導ができるシステムになっていないからです。生活指導や行事、不登校や犯罪など、学習指導以外のことで時間と労力を奪われ、1クラスが40人では意欲的な先生だって参ってしまいます。塾経営者が教育委員になったからと言って、これを直ちに学習塾の環境に近づけられるわけではありませんが、学校における業務の優先順位を塾の目から評価するのはとても意義のあることだと考えます。だって、昔も今も学生の本分は勉強なのに、あまりに雑事に追われる先生が多いと思いませんか?

 教育委員会の介入により学校が本来の教育機能を回復できたなら、この名古屋発の試みに大きな意義があったことになります。河村市長の政策には、今まで正直言って感心したものがありませんでしたが、今回の教育委員会の人事にはお金が掛かるわけでもなく、餅は餅屋にという当然の選択なので期待しています。
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不自由地デジに対抗!絶品YouTube HD

2009年07月13日 | たまには意見表明
 既得権べったりの業界側委員に引っ張られて迷走から抜けられない情報通信審議会が、すったもんだの末に「原案通り答申」を決めたようです。これで地上デジタルの普及が加速されるということは考えられません。

 B-CASを残したままでは地上デジタルは相変わらず不便で高コストなのはわかり切っているのに、どんなに視聴者から批判があろうと、力づくで潰されるまでは消費者無視路線を貫こうというわけですから、放送業界や著作権団体の鉄の結束には感心するしかありません。破局が2年後に見えていてなお回避できないのですから、関所ビジネスの甘い汁は中毒になるもののようです。

 一方で、地上デジタルが潰れてくれても視聴者はあまり困らないだろうな、という根拠は日々強化されているのです。例を挙げれば、YouTubeのコンテンツは際限なく増え続けていますが、当初はその敷居の低さから低品質、低画質の代名詞のように批判を受けていました。品質については投稿サイトならではの玉石混交ぶりで、情報さえあれば優秀なコンテンツを自由自在に利用できます。例えば、世界で最もレベルの高い大学のひとつであるUC Berkeleyでは講義のほとんどをYouTubeで公開しており、ノーベル賞受賞者の講義を無料で視聴できます。最近は京都大学も同じような試みを始めており、アクセスしやすいプラットフォームが最高品質のコンテンツをも引き付け始めている、と言ってもいいでしょう。

 コンテンツの品質が優れていれば画質は二の次、という人も多いでしょうが、12月から誰でも簡単に利用できるようになったHD画質の動画は、画質でも地上デジタルを追い詰めるものです。私は「くろいきしゃぽっぽ」が大好きな極楽息子(小)のためにYouTubeのSL画像をあれこれ再生しているのですが、その中でJoMiFuさんの一連のHDコンテンツには驚愕しました。

 この人は映像プロダクションの関係者らしく、ビデオ撮影や編集に関しては完全なプロフェッショナルです。題材、カメラアングル、編集、画質いずれもHDコンテンツとして非の打ち所がない素晴らしいもので、もしSLや北米の風景が嫌いでなければぜひご覧になって下さい。もっともPCへの負荷は非常に大きく、極楽家のQ9300/4GB+8800GTの環境でもコマ落ちが発生しましたので、できれば最新スペックのPCかYouTube対応テレビで視聴することをお勧めします。移り行く風景のグラデーションが美しいので、液晶よりはプラズマの方が楽しめるでしょう。

 これなんか、番組として見るとNHKのスペシャル番組並の完成度ですよ。こんな高品質のコンテンツが年々蓄積されていくとしたら、いんちきHD(ビットレートが低く、本来のHD収録コンテンツも多くないため画質はHDとして物足りない)の地上デジタルや、TVショッピングばかりのBSデジタルなんか消滅しても痛くも痒くもないように思います。

 他にもearth-touch.comとか、日本ではjapan-geographic.tvとか充実した動画データベースが活動を続けています。ただしjapan-geographic.tvは「登録ユーザ」に求められる条件が少々面倒であり、その割には長いだけの素人っぽい動画が多いので、私は最初に登録したままほとんど利用していません。YouTubeなどの敷居の低いデータベースが充実すると共に、その役目を終えるもののようにも見えます。
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子供にわからないハリー・ポッターの世界

2009年07月01日 | たまには意見表明

 東海中学・高校で生徒が各界の有名人を呼んで一般参加者に公演してもらう「サタデープログラム」という恒例の企画があります。今年はハリー・ポッターの翻訳者である松岡佑子さんの講演があったので極楽息子(大)のお供で行って来ました。

 まあ、あんまり気は進まなかったんですよ。作者のJ.K.Rowlingさんならともかく、松岡さんじゃ子供の喜ぶ話にはならないと思ったので。

 結果は残念ながら予想通り。この人、話が下手ですね。どこで話を盛り上げるのか、ポイントを全く考えてない。開始早々、各巻発売時のプロモーションで自分が魔女に扮した写真が何枚も続いて、いきなり聴衆の興味が削がれてしまったのがわからないでしょうかね。誰が翻訳者のコスプレなんぞ見たいと思いますか?満員の聴衆はみんなハリー・ポッターのために集まったんであって、松岡さんのために集まったわけじゃありません。いい歳をして(1943年生まれと記載あり)、1時間足らずの枠内で、聴衆がどんな話を聞きたいのかも考えないんですね。

 その後も自分の友達の話とか、会社を継いだ話とかが続き、残された短い時間で「日本語の乱れを憂慮している」という話になりましたが、「俺様訳」であまりに有名になった松岡さんが他人のことをとやかく言えるのか、と思ったのは私だけではありますまい。闇の帝王ヴォルデモートが自分のことを「俺様」と称するのは多くの読者に不評であり、最も緊迫した場面であるハリーとヴォルデモートの対決が、「ドラえもん」でのび太とジャイアンの口喧嘩を見るような連想をさせてしまうのは艶消しだと同意せざるを得ません。もっともこれは訳文全体の雰囲気にもよるものであり、「俺様」を他の言葉に入れ替えたからと言ってすぐに直るものでもないでしょうが。

 講演によれば松岡さんは「杜子春(とししゅん)」などの芥川作品を気に入っているようですが、それならば芥川作品においてクライマックスを生かすための抑制の効いた筆運びを参考にしてくれれば良かったのにと思います。杜子春が人間関係に絶望して仙人に弟子入りを嘆願する場面、責め苦の後で畜生となった母親が許しの言葉を与える場面、そして「蜘蛛の糸」でカンダタの意思に反応して糸が切れる場面、いずれも直前には効果的な「間」があり静寂があります。どこで劇を盛り上げるか、どこで読者を惹き付けるか、巧みに仕掛けていたのです。

 去年のことですが、極楽息子(大)に「蜘蛛の糸」を読んでやった時には、最後の場面で怖がって泣き出さんばかりでした。それに引き換え、「俺様」と自己主張の強いヴォルデモートの台詞をいくら読んだところでたいして怖さなど感じないでしょう。登場まで間を持たせて、「名前を言えないあの人」「知っているはずの人」と時間を掛けて怖さを演出してきた作者の意図が、いざヴォルデモート本人が現れてみると「なーんだ」に近い印象を抱かせて頓挫するのは、作者だけの責任とは思われません。

 翻訳家という人種は、自由奔放でも許される印象のある原作者に比べると生真面目な人が多いんだと思います。ただ真面目すぎると松岡さんのように遊びがなくなり、間違いがないだけの文章になってしまう恐れがあります。松岡さんは翻訳家としてより同時通訳者としてのキャリアが長いですから、なおさら真面目で、原文を間違いなく訳出すること以外に思いが及ばないんじゃないでしょうか。

 「俺様」に関して言えば、児童文学を執筆あるいは翻訳するのに、どんな子供でも知っているはずの「ドラえもん」が頭にあるかどうかで、文章の選択は違ってくるはずです。巧みな翻訳者なら、「ドラえもん」の影響をうまく避けながら、逆に子供の持つ暗黙知をうまく利用して翻訳の効果を上げるでしょう。例えば「ダレン・シャン」の翻訳で知られる橋本恵さんなら、「ハリー・ポッター」シリーズが出版された時期に小学生2人の母親でもあったわけですから、松岡さんよりもっと子供の心を捉える翻訳ができたように想像します。

 松岡さん曰く、原書をボロボロになるまで読み込んで作者に褒められ、作者が次に考えることまでわかるようになってきた、というのはもちろん賞賛すべきことですが、松岡さんの目には作者がよく見えていても、読者はあまり見えていなかったように思われます。今回の講演も根っこは同じで、聴衆が望んでいるものがさっぱりわからない「俺様講演」になってしまったのはさもありなん、と言うべきでしょう。極楽息子(大)はもちろん退屈で大あくびを連発していましたよ。
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日本共産党は著作権において消費者と対立する

2009年05月11日 | たまには意見表明
 家電大手のパナソニックと東芝が、新型DVDレコーダーにおいて著作権団体への補償金上納を拒否したとして話題になっています。文化庁の指導に表立って反対して見せたからですね。

 補償金は(決定的な技術的制約なしに)コピーができたアナログ放送を視聴者がコピーすることで発生する著作権者の損失を視聴者が補償するものです。視聴者が個別に著作権者に支払うのは煩雑なので、機器メーカーが代行して製品価格に上乗せしていたもので、著作権管理機能のあるデジタル放送しか受信できない製品なら、支払う筋合いはありません。視聴者としては、メーカーの言い分がごく当然だと思います。

 話を混乱させたのは文化庁です。アナログであれデジタルであれ、DVDレコーダーなら補償金を支払う義務がある、と辻褄の合わないことを言い出したからです。補償金の受益者である著作権団体が、いわば法廷戦術の一環として過剰な要求を出すのには慣れてしまいましたが、監督官庁までが「損失」とか「受益」をいい加減に解釈していいはずがありません。企業が監督官庁の指導を無視することは一般に歓迎されないでしょうが、掲示板やブログなどを見る限り今度ばかりはパナソニックと東芝に支持が集まっています。

 両社が著作権団体に通告したのは先月らしいので、しばらく話題になっていなかったのですが、5月8日の衆議院文部科学省委員会において日本共産党の副委員長、石井郁子議員が質問し、それに文化庁が答弁したことから広く知られるようになったものです。共産党はこれを「業績」として宣伝したいように見えますが、意図に反してこれは同党の失点になると予想されます。一般視聴者の意見を無視し、著作物の流通を通した経済活動を麻痺させる「関所ビジネス」を維持する文化庁の「業者行政」にまともに加担した質問であるからです。文化庁の役人は共産党に足を向けて寝られませんね。

 石井郁子議員は教育畑の出身であり、それも現場を知る教員ではなく、教育史の研究者であったようです。比例代表区で当選するまでは大阪教育大学の職員だったので、ずっと上級の公務員として生活してきたわけですね。こんなノーメンクラツーラみたいな人が、庶民や企業がどのように苦労して収入を得ているのか、考えたことがなくても無理はありません。5月8日の質問を見ても、この人の頭の中には「大儲けしている大企業とその犠牲になる芸術家」という構図しかないようです。庶民に喜ばれる製品を少しでも安く提供することで成り立っているメーカーと、既得権を振りかざして「関所ビジネス」を拡大させ経済を閉塞に追いやっている著作権団体のどちらが国民の幸福に役立っているのでしょう?

 2008年度の東芝は売上高こそ6兆6,545億円と大きいものの、前年比13%もの減少。3436億円の巨額損失を計上しました。生活者としてのまともな実感があれば、世界同時不況が進行する中、同社が市況の悪化のみならず文化庁の業者行政や近視眼的な規制にも妨げられて売り上げの回復がならず、閉塞した状況の中で喘いでいるのが容易に推察できるでしょうに。同期に著作権団体の代表格であるJASRACが得た著作権使用料は過去最大の1156億円。企業である東芝と社団法人であるJASRACの規模を比較することは難しいですが、雇用している人数が何桁も違うことぐらいはわかるでしょう。東芝のような大企業が収益を上げられなくなれば、取引先も含めて何十万という雇用が失われるのです。

 これでも「大儲けしている大企業とその犠牲になる芸術家」ですか?そもそも石井議員が恩恵を与えようとしている著作権団体の主体は著作物を流通させる企業であり、著作者とは区別されるべきです。著作権団体が潤っても著作者には正当な還元がなされにくいことは、テレビ局の下請でも調べてみればすぐにわかることです。

 石井議員が著作権法を専門に研究した形跡はもちろんありません。それどころか著作権の延長に加担した過去があるようです。著作権の極端な延長が創作意欲を刺激することはほとんどなく、アメリカでの著作権延長も失敗だったというポール・ヒールド(ジョージア大学)教授の実証があり、日本においても著作権延長にはマイナス面の方が大きいと予想されるのです。このような実証研究にきちんと反論できない限り、感情論で著作権を弄ぶべきではありません。

 石井議員が業績としているこれまでの著作権に関する活動は、少なくとも建前として日本共産党が守るべき大衆の利益を損なってきた可能性が高いのです。共産党の議員が特定の企業集団のロビーストを勤めているとは考えにくいので、一応は善意から出た行動なのでしょうね。しかしこれ以上素人考えで文化庁の片棒を担ぎ、消費者の利益を毀損することは許されません。

 異論が認められない共産党の性格を考慮し、また党副委員長という立場も考えると、今のところは石井議員の見解が共産党の公式見解であると解釈せざるを得ませんね。「日本共産党は著作権において専門家の実証研究を無視し、経済にも法律にも無知な副委員長の活動により消費者と対立する」と結論します。「蟹工船」がよく売れたなどと喜んでいる日本共産党のお偉方は、今度のパナソニックと東芝の意思表明について「造反有理」というキャッチフレーズを思い出してみたらどうでしょうか。
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名古屋市長選挙

2009年04月27日 | たまには意見表明

 名古屋市長選挙は民主党の河村たかし氏が当選しました。不況で行楽を控えた人が多いのか、久々に50%を越える高い投票率になったそうです。これは極楽小学校の投票所。

 何期ぶりかに自民党と野党の相乗りが崩れて実質的な政策論争があるのか、と期待したのですが、どの候補も無党派を意識してイメージ戦略で母体の政党をぼかしてきたので、あまり争点のはっきりしない選挙になりました。こうなるとタレントの人気投票みたいなもので知名度が勝負です。河村さんも民主党の支持を受けてはいますが、小沢党首と同じく「政局の人」であって立場はいろいろ変わってきています。「気さくな38歳」とか言って衆院議員を目指していた頃は、「自民党宮沢派」とポスターに書いてあったはずです。当時のキャッチフレーズは「ボクは政治家の息子ではありません!」とか「名古屋から総理を目指す男」という訳のわからないものでした。そんな公約があるものですか。

 往時は「愛知民社」と言われて、トヨタ系の労働組合をバックにした民社党が他の県より優勢だったのです。民社党は新進党を経て現在の民主党に合流しました。河村さんは民社党の大物である故春日一幸さんの秘書をしたことはあるらしいので全くの無縁ではないのですが、その後自民党宮沢派に鞍替えし、そこでも芽が出ないと見るや、1993年の日本新党ブーム(口の悪い週刊誌からは「日本新党から出ればサルでも当選する」と言われた)に乗って初当選。だから愛知民社の地盤があるわけではありません。その後は日本新党が新進党に合流し、河村さんも民主党議員として経験を積んでいくわけです。

 そして今回の「タレント首長ブーム」の中での名古屋市長当選。河村さんの経歴を見ているとサーフィンの名人のようで、時流に乗るのが天才的に巧いと思います。一方で具体的な政策はブレーンと言われる名大教授や民主党の古川議員にかなりの部分を負っているようで(そりゃ、いつまでも「ボクは政治家の息子じゃありません!」では通じませんから)、実務家としての能力はないが人気と調整能力が武器ということになります。

 この型の政治家で有名なのは、官僚の政策を次々に採用する一方で彼らに奉仕させ、官僚を最もうまく使いこなしたと言われる故田中角栄でしょう。あんな政治家が名古屋に欲しいとはとても思えないですが、市役所で大きなプランを持つ職員にとってはむしろチャンスとも言えるわけです。河村さんは公務員の給与削減を公約にしていたので、市の職員とは対立しているものと報じられていますが、高い支持率を維持できるなら大きな改革者になれるのかもしれません。まずは彼のブレーンも含めてお手並み拝見というところです。
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