BOOKOFFで入手。新鮮な情報はネットで入手できるので、この手の本は情報のまとめに参考にするだけで、速報性を求めていませんので。
「モーターファン」などの雑誌も、この「間違いだらけ」も若い頃は新本で買って、受験参考書みたいに読み込みましたが、続けて読んでみると、ある年で絶賛した車種が次の年には全く評価されてなかったり、逆に「変わりたくないBMWを象徴」などと酷評されてたのが次の年に埋め合わせの高評価になったりでガイドブックとしての評価基準に疑問が生じました。また途中から「自動車文化論」みたいな方向に走り出して、当初の「運転好きの普通の人のためのベスト・バイ」から外れだしたこともあって、長らく新本では買っていません。徳大寺さんは奥様との二人暮らしだったので、市場の動向がミニバン一色に変わってからも、なかなかミニバンを評価していませんでした。
あと、趣味性のあるクルマを評価されたのは当然ですが、趣味が一般人にわかりにくいものだったのは不運でした。フェラーリやポルシェなどのスーパースポーツは多くの評論家が支持するからいいとして、徳大寺さんの独自の趣味と言えば、「一番好き」と公言してた古い英国車で、信頼性の点などでサラリーマンがとても維持できない12気筒ジャガーやオースチンなど、読者が接点を持てないクルマが多くて、支持が広がらなかったのは残念です。小林彰太郎さんの(ランチア・ラムダは無理にしても)エグザンティアとか、笹目二郎さんのムルティプラやパンダが、ちょっと思い切れば手が届くところにあるのに比べれば、徳大寺さんの趣味は貴族的で共有しにくいものだったかもしれません。
それにしても徳大寺さんが、それまで資産家の高級外車趣味とか、逆に若い走り屋の自己満足と思われていた自動車趣味を大衆に紹介した功績は大きなもので、晩年は紙面に登場する回数も減っていたとはいえ亡くなられたのは寂しいことです。代表的な業績である本書が、島下さんの筆により受け継がれるのは有難い事と思いますけど、背負ってる物の中身も重さも違うのに、そのままのスタイルを踏襲しようとしているのはどうでしょうかね。徳大寺さんが若ければ、むしろ大胆に評価の仕方を変えていたんじゃないかと思います。同じ書名であっても、時代が違えば社会から求められる役割は違うでしょう。例えば40年前と違って自動車の買い替えサイクルが長くなったのですから、長期評価や中古の評価をネタにしてもいいんじゃないかと思います。2016年版からは単独執筆になるので、実質的に島下さんが言われるように本当のスタートになりますね。
かなり前に買って忘れていた大作、指輪物語を読んでいます。ファンタジー文学の元祖かつ金字塔で、これなくして剣と魔法の世界を描く多くのRPGや、ハリー・ポッターなどのファンタジーは生まれなかったとされます。
作者のトールキンはオックスフォード大学の英文学教授であり、文献学の大家でもありました。ヨーロッパの膨大な神話、言い伝えを消化してファンタジー小説を創造するという何十年来の労作の結晶がこの本です。新しい分野の小説にして決定版と言えるほど完成度が高く、これを下敷きにしてファンタジー文学が勃興した業績は多大なもの。中世騎士物語などの影響を受けているのでしょうが、英雄譚はサイドストーリーであって、元々強くも賢くもないホビット族が、英雄や魔法使い、森の精などに助けられて暗黒の冥王と対峙します。各種族の中で一番取り得のないホビットが「一つの指輪」の担い手として選ばれたのは、強くないから力に頼らず、賢くないから魔法に頼らず、好んで敵を殺すことなく、多くの者を味方として結び付ける美質があってのことでしょう。
ともすれば状況の過酷さに翻弄される肉体の弱さや、指輪の魔力に負けてしまう心の弱さを曝け出しながら、それゆえに、強くて賢い者の視点しか持たぬ冥王の奸智を避け、勇者や魔法使いには不可能な使命に向けて、困難な旅が続けられます。これだけの登場人物を魅力的に描き、纏め上げたトールキンの筆力は賞賛すべきですし、それを格調高い日本語で読めることも実に幸せなことと思います。名訳だと思いますよ。
時は19世紀末。ニューヨークで肖像画家として定評を得ているイタリア系の画家ピアンボは、経済的には不自由のない気楽な独身生活を謳歌し、人気女優のサマンサとの関係も続いている。しかし芸術家としては、富裕な顧客に媚びるような肖像の技法に飽き飽きしており、また師匠であるサボットが制作意欲を失った晩年に、サボットを見限って独立したことにも後ろめたさを感じている。そんな折に、正体不明の盲人に呼び止められ、途方もない依頼を受ける。
主人であるシャルブーク夫人の肖像をお願いしたい。報酬は他の仕事をすべて断っても、更に上回る額を出そう。ただし夫人の姿を見ることはできない。もし満足できる肖像画が完成すれば、更に巨額の成功報酬をお支払いする。
芸術家としての新しい境地を目指して依頼を受けるピアンボだが、さすがに依頼者とのスクリーン越しの会話で肖像を描く作業には困惑する。しかも肖像の手掛かりとしてシャルブーク夫人の語る履歴は謎に満ちている。神秘主義者だった伝説の富豪。富豪は何人もの神秘研究家を抱えており、彼らは雪の結晶や糞便の形状から未来を予測する使命を与えられていた。夫人の父親は雪の結晶の研究に没頭し、年のかなりの期間を家族と共に冬山にこもって雪の結晶集めと、結晶が社会にもたらすメッセージの解読に専心していた。このような特異な環境で育った一人娘は、雪の結晶の声を聞くことができる巫女として世に出ることになる。
これだけでも雲を掴むような話ながら、仕事を続けるうちに、夫人の夫と称する謎の人物に脅迫を受けたり、親友の画家が妙に手回し良く情報を収集してくれたり、ニューヨーク市内で奇怪な出血病による女性の連続死が発生したりと、ピアンボの周りには理解しがたい事件が次々に起きる。これらの事柄には関連があるのだろうか?夫人の正体と、奇妙な依頼の意図は何だろう?ピアンボは無事に肖像画を完成させることができるのだろうか?
19世紀末ですから、ロンドンではシャーロック・ホームズが活躍していた頃です。ニューヨーク市民の足は鉄道と馬車。大きな店に電話が入り始めていますが、一般的な情報交換はまだ手紙。ホームズ物にも共通しますが、神秘主義が人々の思考回路に入り込む余地が大いにある時代設定で、文体も当時を模して上品で丁寧。医学的に無理な設定はあるのですが、それは当時の解釈ということで。何せ、ベーリングと北里柴三郎によるジフテリア菌の発見が1883年、破傷風菌が1889年、ペスト菌が1894年です。謎の劇症出血病があっても不思議はありません。盛り沢山なミステリーでビジュアル面も見所があるので、映画化したら面白そうですね。
せっかく買ってみたんですが、前書きに「日本ワインは品質表示も規格もばらばらで、いいワインが提供されるかどうかは生産者の良心による」などと身も蓋もないことが書いてありり、読む気を挫かれました。状況は周知でしたが、長らく日本ワインには手を出していなかったので、少しは改善されたのかと期待していたのです。
これはもう何十年も前から言われてきた日本における酒造業の業病みたいなもので、私としては表示が正確にならない限りは手を出す気になりません。少数の良心的な醸造家を探し出して、海外ワインに比べて高価な商品を継続的に買って育成する、などという行為は文化的に望ましいのでしょうが、一般消費者には負担が大きすぎます。せめて流通側が良質なワインを発掘して紹介してくれればいいのですが、日本のワインを積極的に販売する酒屋は、それこそ例外的です。
カリフォルニアを始め、オーストラリアや南米、または中国にまで大規模なワイン醸造が広がって、品質も次第に上がっている現状で、狭い日本でワイン作りをするなら、圧倒的な高品質を狙うしかないはずです。ところが実態は、業界を律して高品質な産地としての定評を得るのに立ち遅れてしまった感が強く、今後も苦戦が続くのじゃないでしょうか。
今更ですけど、初めてまとめ読みしました。やっぱり面白いです。一番の魅力は、青木さんの人間観察の鋭さでしょうね。主要キャラクターが、それぞれスピンアウトしても物語になるぐらい書き込めてます。実際に青木さん死後にキャラクターを使い回した物が出ていて、無料で読めるものもあります。成功したキャラクターは、原作者の意図を超えて生き続けるという格好の見本だと思います。
盛りつけだけの本がある、というので思わず買ってしまいました。ただし自分で盛りつけをする参考にすることはないでしょう。外食の時などに、きれいに盛りつけられていても知識不足で評価できなかったので、何も知らないのはちょっと申し訳ないかなあ、と思ったものですから。
超一流のプロが教える盛りつけの教科書 | |
クリエーター情報なし | |
東京書店 |
古本屋でつい手に取ってしまった2013年版。20年ほど前は毎年楽しみにしていましたけど、クルマ以外に真面目に取り組むことが多くなって、あっさり手を引いてから10年以上。買って読むのは本当に久しぶりです。徳大寺さんも去年の秋に亡くなられたので、今は島下さんが継いでいます。こういう著者の交代は、長く版を重ねる医学書などではよく見られることなのですが、一般の方は慣れていないためか、Amazonで最新版の評判を見ると読者の反応は厳しいようです。読んでみた感じでは、島下さんがそう悪いとも思えませんが。
この「間違いだらけ」シリーズは、主に国産車に対する徳大寺さんの立場をざっと概観するには便利で、今のネット環境に比べれば情報量は限られているものの、クルマ好きにとってはいい暇つぶしのネタだったんです。クルマを文化的に見るのはこの本の専売特許じゃなくて、カーグラフィックが先にやっていたこと。ただしあれを1年分通読するのは大変で、持ち歩きも難しいですから、この本で手軽に楽しんでた人が多いのだと思います。往年のみのもんたの番組がそうだったように、とりあえず各車の評点がすぐわかる、つまり次に買うクルマをどれにしようか意見をしてくれる安直さも人気が出た理由でしょうね。
この評点はそれこそ話半分に見ておくべきもので、ある車種の評価が次の年度には大きく変わることがあります。また徳大寺さんの評価基準が自分の基準や環境と同じとは限りません。例えば徳大寺さんは子供のいない人だったのでミニバンへの評価は厳しく、近年のミニバン需要の増加を捉えていなかったように思います。小型車の基準となったのはVWゴルフで、最初の版では「日本車の10年先を行く」などと平気で書いていました。デザインや走行性ではそうかも知れませんが、反面VW車の低速燃費や製造品質管理、維持コスト、静粛性などは長らく日本車を下回っていた部分です。極楽家でもヴェントVR6(ゴルフIIIのセダン)を所有していたのでこれは確信を持っています。
徳大寺さんのファンはけっこう多かったので、車を買う際の参考にした人は多いと思います。ただし何十年間にも渡ってこの本などで批判され続けたにも関わらず、最大手のトヨタはこういう外部の評論家の意見をほとんど採用した形跡がありません。トヨタの徹底した顧客調査からくるクルマ作りの自信は、それはそれでびくともしないもので、クルマ好きをターゲットにした本やサイトでは酷評されながらも、クルマにさして興味のない絶対多数の人に向けてクルマを作り続け、ついに生産台数世界一を勝ち取った実績は認めざるを得ません。所詮、クルマを趣味にできるほど多くの日本人が豊かでなかったということなんでしょう。
こっちはサライの旅行特集。高級料理旅館への旅などそう簡単に行けませんが、写真がきれいなので疑似体験になっているのかも。
今年の連休は鯉幟も出さず、旅行へも行かずでのんびりしていました。料理本をまとめて買ったので自分用の覚え書きなど。これは第1巻の「15分でつくる編」の続編で「ゆっくりつくる編」だそうです。鶏の丸煮みたいな、いかにも時間と手を掛けました、というレシピは見た目も迫力十分で、時間のある休日向きですね。
同じ著者が別のシリーズで出しているルクルーゼ本。これは和食です。上の「天然生活ブックス」に比べると写真があまりおいしそうに見えないのが難点ですが、レシピには使えそうなのがいくつかありました。
これは洋食編になるんでしょうか。出版社の違う2シリーズがあると、ダブっているレシピもあるのでしょうが、平野さんはルクルーゼの特性をじっくり研究した上で書いているらしく、レシピもよく考えられたものだと思います。例えば、オニオングラタンスープを作るのにネギで代用すれば、水分が少ないので時間が短縮できるとか、試してみたいノウハウがいくつもあって実用的です。
こちらはまた、ある種の達人のレシピ集。「ためしてガッテン!」とかに出てくるような、あっと言わせる合理的な料理が満載。
最後はちょっと地味に麹料理の本。
以前、同誌でスーバーボルケーノ特集というのがあったはずですが、今度は破局噴火という造語が使われています。最近は川内原発再稼動との関連で注目されているようですが、実際は破局噴火に分類される巨大噴火の場合、それだけで人類の生存が脅かされるほどの破壊や気候変動が起こりうるため、相対的に原発の問題は小さくなります。破局噴火と原発事故は、その規模も確率もまるで異なる問題なので、一緒くたにせず別の危険として対応するべきです。
火山列島と言われる日本ですが、破局噴火レベルの噴火は北海道と九州に集中しています。こうした局在の理由は以下の通り。噴火が起き易いスポットには寿命があります。プレートテクトニクス説により地殻が大規模な移動と生成、潜り込み(消失)を継続していることが説明されています。日本列島付近では地殻が潜り込むことで、この地殻成分がマントル層から熱エネルギーを受けて溶解し、マグマの泡(と言っても火山地帯の熱源になるほど大きい)となって上昇して、表面にある地殻の下から岩盤を溶かして削り、薄くなった地殻の直下に位置している間に噴火活動が起きるみたいです。このマグマの泡が冷えてエネルギーを失えば、活動性も低下します。
日本列島における破局噴火の確率は1万年に1回。この数千年は起きてないので、かなりエネルギーが溜まっていると予想されています。恐らく今度も北海道か九州なのでしょうが、その規模や予兆については不明。規模によっては九州どころか関西まで壊滅的なダメージを受けます。ここまで大きな災害だと、人類史上にないような広域非難が必要になり、それだけで国の機能は麻痺します。そもそも予兆があったとして、数週間で数千万人を避難させるのは物理的にまず無理だし、財政的にも不可能でしょう。次の破局噴火ができるだけ人里離れたところで起きて欲しい、規模もあまり大きくならないで欲しい、と願うしかありません。