アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

遠い家族

2009-11-04 01:31:19 | 
『遠い家族』 カルロス・フエンテス   ☆☆☆★

 再読。オクタビオ・パスは『アウラ』とこの小説を「完璧な小説」と賞賛したらしいが、個人的には評価が難しい。かなり妙な小説である。ただ、フエンテスの文体とそれが作り出す雰囲気が魅力的であることは間違いない。私はこの小説の書き出しがとにかく大好きで、何度読んでもほれぼれしてしまう。フエンテスは流麗な文章の中に詩的な比喩を次々に繰り出して、あっという間にマジカルなムードを作り上げる。繊細で、透明感があって、かすかな翳りがある。美しい。一方、ストーリーは異様に分かりづらい。というか、分からない。

 小説は「私」という一人称で語られる。「私」は友人のブランリーが語る話を読者に伝える、それがこの小説である。つまり本書はブランリーの物語であり、「私」は聞き手である。ただし物語の中ではしばしばブランリーの過去の回想と、「私」とブランリーが現在クラブで交わしている会話が入り混じる。リョサなんかもよく使う手法だが、これによって二つの時間と場面が透かし絵のように重なって見える、という幻覚的な効果がある。

 プロットはきわめて人工的で、ありえない偶然や矛盾や暗示に満ち満ちている。色んな文学作品、特にシュペルヴィエルの詩からの引用が多く、また登場人物のセリフの中で特定のフレーズが色んな場面でリフレインされ、状況の多義性を増していく仕掛けになっている。とても奇妙なプロットなので要約しても意味不明だと思うが、ざっと紹介すると以下のようになる。

 ブランリーはメキシコである父子と知り合い、二人をフランスに招く。フランスにやってきた二人は電話帳で自分達の同姓同名を見つけるというゲームに興じ、少年と同じビクトル・エレディアという名前を見つける。翌日ブランリーと少年はその家を訪ねていき、事故が起きたためにその家にしばらく滞在することになる。家の主人ビクトル・エレディアはなぜかブランリーに異様な復讐心を抱いているが、それは二人の子供時代と関係があるらしい。ブランリーは夢うつつに色んな幻影を見る。ビクトル・エレディアはブランリーにその一族の汚辱に満ちた過去を語ってきかせる。一方、その家の息子と少年は仲良くなり、同性愛的関係を結び、しまいには合体して一人の人間になってしまったらしい。家の主人に殺されかけたブランリーは召使たちに救われて自宅に戻る。少年の父親ウーゴはなぜか少年を探そうともせずメキシコに帰ってしまうが、実はこのウーゴ親子とあの家の主人、ビクトル・エレディアは以前から関係があった。ウーゴはその話をブランリーに手紙で打ち明けるが、色んな話を総合してもエレディアが一体何歳なのか分からない。彼の身の上話は矛盾に満ちている。しまいにブランリーは(おそらく合体した少年たちのせいで)プールで溺れかけ、「私」は女の亡霊を見る。

 わけが分からないだろうが、本当にこういう話なのである。もう少し詳しい要約を訳者があとがきに載せているので、興味がある人は立ち読みしてみるといい。さっぱり分からないから。ちなみにこの小説の語り手はずっと「私」としか書かれていないが、最後の最後に作家のフエンテス本人であることが分かる。

 全体としては、過去の因縁や記憶が、亡霊やら幻覚やらと渾然一体となって現れてくる幻想小説、というところだろうか。首尾一貫した説明はない。結局何だったんだ、という読後感を抱いて読者は本を閉じることになる。それは君がアホだからではないのか、とか、それで小説が成り立つのか、という疑問はごもっともである。だから訳者の解説からいくつか引用してみる。

「複数の視点から発せられる言葉が関係のあるような、ないような曖昧な形で並置されている」
「言葉と言葉が恩寵に至る飛び石とはならず、テキストを追っていくと別のテキストが現れ、前の意味はことごとく覆され、様々な意味に満ち満ちているが<意味>を欠いている意味の迷宮にさまよい込んだような感がある」
「『遠い家族』は、作者が跡づけた単線的筋を読者にたどらせようとする作品ではなく、読者を詩的連想の多義性の冒険に誘ってくれる作品である」
 
 まあ要するに、そういう小説である。従ってここに「恩寵」や「意味」や「単線的筋」を求めてはいけない。非常にチャンレンジングな小説であることは間違いないし、こういう小説こそ高度なテクニックがなければ書けないことは分かる。が、私はもともと好きなフエンテスの文体とミステリアスなひんやりした雰囲気に惹かれて再読したが、正直、これを面白いと言って人に薦める度胸はない。これはストーリーがない小説の更に上を行く、ストーリーはあるが意味をなさない、という恐るべき小説である。興味のある方はどうぞ。


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