アブソリュート・エゴ・レビュー

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モンド ~海をみたことがなかった少年~

2005-10-22 09:37:02 | 映画
『モンド ~海をみたことがなかった少年~』 トニー・ガトリフ監督   ☆☆☆☆

 日本版DVDを購入して鑑賞。なんとなく南米あたりの映画かと勝手に思っていたらフランス映画だった。美しい映画である。まず映像が美しい。ニースの町が美しい。モンド少年が美しい。人々の表情が美しい。物語が美しい。

 ストーリーは非常にシンプル。この下ネタばれあり。
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 モンドという名の少年がどこからともなくニースの町に現れる。家族もなく、家もない。読み書きもできない。彼は公園で寝起きし、通行人を捕まえては「ぼくを養子にしてくれる?」と尋ねる。やがて街角の浮浪者、海岸の釣り人、郵便配達人、ストリートパフォーマーの手品師、広壮な邸宅に住むベトナムの婦人、などと親しくなる。釣り人から文字を教わる。警官を見ると条件反射的にすばやく逃げる。自由でマイペースな日々が淡々と続く。ある日浮浪者のダディがいなくなる。モンドは町中を探し回り、公園で倒れ、施設に収容される。が、後日施設から逃走したことが分かる。モンドは姿を消す。町に不幸と悲しみが訪れ、人々を暗い影が覆う。月日が流れ、ベトナムの婦人は果樹園で石を見つける。モンドの文字が書かれた石。「いつまでも、たくさん」

 非常にシンプルな物語、しかし、というかそれゆえに深い。

 モンドは結局誰なのか、どのような過去を持つ少年なのか、最後まで映画では説明されない。説明される必要はないのだろう。彼は孤独で家族を持たない少年の象徴なのだ。そしてモンドを取り巻く人々。彼らもどことなく世間からはみ出した人たちだ。

 前半は美しく時にファンタジックな映像で淡々とモンドの日々が綴られるという映画なのだが、モンドが倒れる場面からトーンが変化し、寓話的になる。倒れているモンドの姿が野良犬の映像と重ねられる。モンドはつまりは野良犬なのだ。そしてモンドが運び去られるとともに、悲しみに沈む町の人々。郵便配達人は郵便をまき散らし、釣り人は釣竿をへし折って顔を多い、嘆き悲しむ。彼らは何を悲しんでいるのだろう。モンドがいなくなったことをか? そうとれないこともないが、そうではない(あるいは、それだけではない)と思う。彼らはそれぞれの悲しみを悲しんでいるに違いない。なぜなら、浮浪者は姿を消し、手品師も警察に連れて行かれる。パン屋のパンにはカビが生え、教会で歌う娘は歌えなくなる。不幸が訪れたのである。それがどんなものかは、重要ではない。従って説明はない。説明はなくてもいいのだ、なぜなら私達は、不幸とはどんなものかすでに良く知っているではないか。

 シンプルな物語だが、謎めいている。モンドはなぜ倒れたのか。ダディの失踪と関係があるはずだ。ダディの失踪についても説明がないが、誰かにどこかへ、本人の意思に反して連れて行かれたことは間違いない。声を枯らして名前を呼び、ダディを探し回ったあげく倒れるモンド。少年はなぜ倒れたのか。
 モンドがいなくなったあとに町を不幸が襲ったのはなぜか。
 
 ベトナムの婦人がモンドに言う、「私をおいていかないで」。モンドが言う、「ぼくはどこへも行かないよ」

 青い海、波間に漂う無数のオレンジ、裸になってそれを拾うモンド。オレンジには異国の言葉が書き付けられている。一つ一つのオレンジにそれぞれ異なる言葉。
 
 こうした魅力的な断片に満ちた映画のラストに唐突に現れる言葉、「いつまでも、たくさん」

 淡々としていて省略が多い、見方によってはかなりあっさりした映画なので、ハラハラドキドキする映画を観たい人にはお薦めしない。しかし奥に秘めた豊穣さはかなりのものと見た。一度観ただけでは汲み尽くせない感じがする。もう一度観るのが楽しみだ。

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