アブソリュート・エゴ・レビュー

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小早川家の秋

2009-11-06 23:48:23 | 映画
『小早川家の秋』 小津安二郎監督   ☆☆☆☆★

 『LATE OZU』ボックス中の一枚、『小早川家の秋』を鑑賞。それにしてもこのBOXは良いなあ。もう最高。

 今回は『秋日和』『浮草』といった趣きである。まず原節子と司葉子の『秋日和』コンビ、ただし今回は母子でなく姉妹、の嫁入り話で映画は幕を開ける。姉の原節子は未亡人であるのも『秋日和』と同じ。まず加東大介が原節子をバーに呼び出し、そこにたまたま居合わせたふりをして鉄工場の社長に彼女の品定めさせる。この鉄工場の社長が森繁久彌で、なんだか下品なオヤジである。オヤジは原節子を見て「いいよ、いいよお」と鼻の下をのばしてはしゃぐ。それにしても『秋日和』でもそうだったが、相手の意向というものもあるんだから、紹介してもらっただけであんなに喜んでもしょうがないと思うのだが。

 司葉子にも嫁入り話が出たところで、突然物語は造り酒屋とその当主、中村鴈治郎にスライドする。中村鴈治郎は家族に隠れてさかんに出かけるのだが、その先が昔の愛人で子供もいる、というのは『浮草』と同じである。ここからは中村鴈治郎とその長女・新珠三千代、その夫・小林桂樹あたりが中心になって話が進む。ここに原節子や司葉子も絡んでくるが、全体の比重としては中村鴈治郎がメインで、原節子と司葉子の嫁入り話はサブである。

 中村鴈治郎は何度も昔の愛人に会いに行き、それがバレて長女の新珠三千代と喧嘩になる。そのうちに病気で倒れたりする。しかし『浮草』の元愛人と隠し子は善人親子だったが、今回はどうもおかしい。隠し子は息子ではなく娘なのだが、この娘は複数の外人をとっかえひっかえしながらつきあっていて、中村鴈治郎の顔を見れば高価なミンクのコートをせがむ。ろくでもない娘だ。どうやらこの娘は本当は中村鴈治郎の娘ではないらしい、というのがそのうちに分かる。母親の浪花千栄子も底が見えない曲者っぽい女で、この二人の存在がこの映画の中で奇妙なアクセントになっている。

 最後は発作で死んだ当主の葬式のシーンで終わるが、無数のカラスや橋を渡っていく喪服の行列、そして不穏な音楽で妙に暗い終わり方をする。それまでの雰囲気とアンバランスな気がするほどだ。それにしても、野原の中に喪服を着て佇む原節子と司葉子のツーショットは息をのむほど美しい。ちなみにこの二人が並んでしゃがむ、という場面がこの映画には何度か出てきて、印象に残る。女優ふたりがこんな風にしゃがんで話をするなんて場面は、他の映画やドラマではあんまり見ない気がする。

 この映画は小津安二郎が東宝で撮った唯一の作品で、いつもの小津映画とは俳優の顔ぶれが違う。宝田明、小林桂樹、藤木悠などが出ているが、特に宝田明が出てきた時の違和感はかなりのものだった。逆にすごくいいのは新珠三千代で、ほとんど原節子をしのぐ存在感を見せている。中村鴈治郎と口喧嘩をする場面なんか最高で、小津監督が彼女に惚れこんだというのも納得である。森繁久彌はちょい役で、最初に書いた原節子の品定め場面と、そのオチとなる後半の場面にしか出てこないが、オチ場面の情けなさには笑える。

 ところで今回笠智衆は出てこないのか、と思っていると、びっくりするようなちょい役で最後に出てくる。名前すらない農夫の役だが、彼が火葬場の煙突を眺めながら言うセリフは非常に重要で、物語全体から浮き上がってしまうほどの強烈なインパクトがある。これは小津監督の死生観をダイレクトに表現したものと言われているが、終盤の奇妙に暗い雰囲気とあいまって、観客の心の中にしこりのようなものを残す。この次の『秋刀魚の味』が遺作であり、監督が亡くなったのは2年後であることを考えると、小津監督の死をめぐる想念がこの映画に色濃く反映していることは間違いない。


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