アブソリュート・エゴ・レビュー

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去年を待ちながら

2014-10-01 21:55:12 | 
『去年を待ちながら』 フィリップ・K・ディック   ☆☆☆☆

 再読。これはディック作品の中でも傑作の部類だと思う。ディック特有の迷宮感、悪夢感が充満し、読者を絡めとる得体の知れないパワーに満ち満ちている。核心となるアイデアは例によってドラッグで、兵器として開発された致死的なドラッグを服用すると副作用で時間旅行してしまう、というとんでもないものだ。しかも主人公のスイートセント医師がこれを使って時間旅行しているうちにどんどんパラレルワールドがよじれ、時空が混乱していく。

 ストーリーは例によって錯綜していて要約困難だが、縦糸は大きく二つあり、一つは地球とリリスター星の連合軍とリーグ星との星間戦争。地球の代表者は国連事務総長のモリナーリで、スイートセント医師はモリナーリの嘱託医となって彼をサポートするのだが、モリナーリは身近に病気になった人間がいると同じ症状を呈して死にかける、というわけがわからない持病を持っている。どうやらこれはモリナーリが無意識に死を望んでいるからであるらしく、しかも、死んだり生き返ったりすることでリリスター星との会議をボイコットしたり結論を先延ばしにするという、無意識の政治戦術でもあるらしい、というから驚きだ。実際モリナーリは過去何度か会議中に死んでおり(この社会では死んでもサイボーグ臓器移植でまた生き返ることができる)、そのことで地球に有利な結果をもたらしている。要するに、死ぬことで星間政治をやっているのである。

 と、ここまでですでにあいた口が塞がらない設定だが、加えてモリナーリも禁断のドラッグJJ180を密かに利用し、時間旅行をし、他のパラレルワールドから若くて元気な自分を何人も集めているらしい。これも星間戦争で地球を有利に導くためだが、若くて元気な自分だけでなく、自分の死体まで持ってきたりしている。わけがわからない。更にいうと、スイートセント医師は時間を行ったり来たりしているうちに地球が間違った相手と組んでしまったことに、つまり地球が連合すべきはリリスター星ではなくリーグ星であることに気づく。つまり、真の敵は味方であるはずのリリスター星だったのだ。というわけで、モリナーリの表の政治とは別に、スイートセント医師もこの星間戦争の裏側にB級スパイ・アクション的に巻き込まれていく。

 そしてもう一つの縦糸は、スイートセント医師と妻のキャサリンの確執である。このキャサリンは例によってディック特有のアンドロイド的女で、美しく仕事上は有能であるにもかかわらず、恐ろしく自己中心的で、浪費癖があり、他人を思いやる能力を決定的に欠いている。彼女は禁断のドラッグJJ180に手を出して病気になり、スイートセント医師が自分と離婚したいと思っていることを知ると、なんと、彼にもこっそりJJ180を飲ませてしまうのである。JJ180の治療法を何としてでも見つけて欲しいからだが、ほとんど昆虫的というべき、恐るべき女だ。スイートセント医師はキャサリンを呪いながらも時空を駆け回り、なんとか解毒剤を手に入れるが、キャサリンの肉体はもはや回復不能なまでに破壊されてしまっている。が、こんなとんでもない女であり、スイートセント医師自身も彼女から逃れたいと切実に望んでいるにもかかわらず、最後にはキャサリンを見捨てず、どこまでも面倒を見ることを決意するという理屈に合わない、けれども妙に感動的な結末を迎える。

 もはやわけがわからない、カオスそのもののようなプロットだ。スイートセント医師は最初モリナーリの奇妙な症状を調べ、次にキャサリンに飲まされたドラッグのせいで時間旅行し、未来に行って解毒剤を探し、次に星間戦争を収拾することとキャサリンを救うことを同時にやろうとする。当然ながらストーリーは暴走気味、登場人物の行動原理にあまり説得力はなく、ところどころではスラップスティック色が感じられる。が、その中にどこか切実な、透明な痛みが漂う。これがディックである。星間戦争というばかばかしいまでに壮大なSFと、身勝手な妻に悩まされる夫というドメスティックで私小説的なドラマが撚り合わされて一つの小説になってしまう。しかも物語のベクトルはその両極の間を振れまくってとどまることがない。過剰なまでのSF的アイデアやガジェットと、ドラッグや売春婦やポン引きなどのノワール要素、そして破綻する結婚生活という私生活的要素がめまぐるしく入れ替わりながら立ち現れる。

 ガジェットといえば、禁断のドラッグJJ180はもともと地球でリーグ星向けの兵器として開発されながら、同盟規約によりリリスター星にサンプルが提供され、それをリリスター星がこっそり地球で使っているというややこしい経緯で地球に蔓延する。自らの尻尾を呑みこむ蛇の如き、ディック一流のパラドックス。おまけにJJ180は兵器なので民間には出回っていないと言われつつ、パラレルワールドの一つではそのへんのドラッグストアで買えるといういい加減さである。もう一つおまけに、スイートセント医師やモリナーリはこれを時間旅行のツールとして使うが、パラレルワールドの一つでは時間旅行という「副作用」をなくした「改良」ドラッグになっていたりする。飲むと中毒になって死ぬだけなのである。なんのこっちゃ。

 その他に町に放たれて生き物のように繁殖する自動カートなど、ディックならではガジェットも登場する。最後にスイートセント医師がキャサリンを救うことを決意するのは、自動操縦タクシーとの会話の中である。ディック特有のガジェット、奔放なアイデア、ふざけたナンセンス感、そして私小説的な痛みが同居した佳作だ。



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