アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

暗渠の宿

2011-09-15 20:46:29 | 
『暗渠の宿』 西村賢太   ☆☆☆☆☆

 先だって芥川賞を受賞した西村賢太。今時私小説作家だと聞いてへえ、と思ったが、自虐的ギャグだの風俗の話だのと言われると底が浅そうで興味が湧かず、読むつもりもなかったが、先日日本に帰った時の本屋めぐりでふと手にとって「けがれなき酒のへど」を拾い読みし、思わず笑ってしまったのでそのまま買ってしまった。

 そしてあっという間に読み終えた。予想は裏切られた。まったく一筋縄ではいかない、異形の作家である。西村賢太の衝撃。なんだか『きことわ』の朝吹真理子ばかりがクローズアップされていた印象があるが、作家としての器は西村賢太の方が上なんじゃないか。まあ受賞作の『苦役列車』はまだ読んでいないのだが。

 本書に収録されているのは「けがれなき酒のへど」と「暗渠の宿」の二篇。「暗渠の宿」は野間文芸新人賞を受賞している。すごいと思った理由は複数あるが、まずはこんなとんでもない話を実体験として書ける人生を送っていること、二つ目はその実体験をここまで赤裸々に書くという露出狂かと思えるほどのさらけ出しっぷり、そして三つ目は複雑に矛盾しこんがらがった心理を的確に描写して読者に伝達する作家としてのテクニックの確かさ、である。

 ただしウェブに出ていた本人のインタビューを読むと、小説に書かれているエピソードは基本実体験だけれども、細部は虚構が混じっているらしい。まあそれはそうだろう。本当にすべてが事実なのかどうかはこの際どうでもいい。肝心なのは小説全体にみなぎる本気度であり、異様なまでのリアリティである。

 「けがれなき酒のへど」は「とにかく女が欲しい」という、もうそれだけといってもいい話で、ブサイクな風俗嬢に同情したら性格までブスだったとか、そこそこ可愛い風俗嬢に騙されてなけなしの金を取られたとか、そんな話ばかり。爆笑度満点だ。何よりこれがほぼ実話というのがすごいのだが、私小説家というのはここまでやらなければいけないのだろうか、そしてここまでさらけ出さねばならないのだろうか。目からうろこが落ちる思いだ。人間、普通はもうちょっとかっこつけたくなるものだ。私がもし同じ体験をしても、とても小説に書いて実名で発表する勇気はない。凡人の技ではない。それに、もちろん本人はわざとやってるのではなく自然とこうなってしまうのだろうが、それこそが私小説家の資質なのだなあと思わずにはいられない。

 そして大事なのは、単に自虐ネタを面白おかしく書いているのではなく、本人はあくまで真摯だという点だ。この真摯さがどうしようもなくおかしく、同時に胸を打つ。文芸作品としての懐の深さを持っている。お笑い芸人のすべらない話ではないのである。

 「けがれなき酒のへど」での女運のなさにつくづく同情していると、「暗渠の宿」では待望の「女」ができる。おお、やったな、と他人事ながら喜びたくなるが、すると今度はその女に対しての不満が書き連ねられ始める。自分の前に一人の男とつきあっていた、ということをネチネチ根にもったり、ラーメンの作り方が意にそぐわないといって腹を立てたり、しまいには家庭内暴力をふるい始める。せっかく「女」になってくださった奇特な方になんという非道、とあきれてしまうが、こういう時も「女」に腹を立てながら、一方では泣いてすがりつきたい愛しさも心のどこかにある、というややこしくもリアルな心情が解剖メスのような文体でつぶさに描出されるので、こういう心理っておれにもあるぞと衝撃を受けてしまうのである。

 それにしても、藤澤清造とはどんな作家なんだろうか。西村賢太はこの藤澤清造なる私小説作家に入れ込んでいるらしく、貧乏なくせに藤澤清造全集の刊行をもくろんでこつこつ貯金をしており(この金を風俗嬢に騙し取られる)、あろうことか藤澤清造の墓標をもらいうけて自宅に陳列している。そして女と一緒に「資料館らしくなってきたね」などと言って喜んでいるのだ。フィクションとしても奇抜なのに、事実だというからあいた口が塞がらない。何者なんだこいつは。

 とりあえず、異形の作家である。この調子でどこまで書いていけるか、見守りたくなってしまう。
 


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