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『きことわ』 朝吹真理子 ☆☆☆★
ちまたで話題の芥川賞受賞作を入手した。短いのであっという間に読める。芥川賞受賞作というのはあんまり面白い感じがしなくて普段は触手がのびないのだが、今回は「永遠子は夢をみる。貴子は夢をみない。葉山の高台にある別荘で、幼い日をともに過ごした貴子と永遠子。ある夏、突然断ち切られたふたりの親密な時間が、25年後、別荘の解体を前にして、ふたたび流れはじめる―」という宣伝文句から濃密なロマン、仕掛けに満ちた物語性みたいなものを期待し、読んでみたのである。天才的という作者の評判にももちろん影響された。
で、読み終えた結果は、いささか拍子抜けしたと言わなければならない。理由としては、まず物語性が希薄だったこと。プロットに取り立てて仕掛けがなかったこと。そして難解と聞いていた文体が普通だったこと。
25年前の子供時分の回想と、現在のエピソードがごっちゃに語られる。一緒に海に行ったこと、母親の死、レコード、鱈鍋、家に出たムカデ、満月、子供の夢のこと、などなど。ひとつひとつは日常的なエピソードで、特にどうということはない。その中で作者が一貫してこだわるキーワードは時間、そして夢だ。ただし夢と時間が溶け出して融合するみたいな筒井康隆的な仕掛けはなく、こうしているうちにすぐ百年がたってしまいそう、とか、見たいものが見れないのが夢というものかも知れなかった、などという感慨があちこちに埋め込まれているというレベルだ。
仕掛けらしい仕掛けがあんまりない中、目立っているのが、貴子と永遠子の髪が後ろでつながっているように見えるイメージと、それぞれが一度ずつ何かしら分からないものに後ろから髪を引っ張られるという不条理なエピソードである。これを話の中にぽーんと放り出して、へたに寓意などつけなかった大胆さはさすがだと思った。が、強烈な印象を残すには至らない。
時間がテーマになっていることと物語性が希薄なこと、そして改行少なめで書き連ねていくタイプの文体と、やはり芥川賞作家である磯崎憲一郎の『世紀の発見』と似た読後感だった。うまいなあとは思うが、面白かったなあとはあんまり思えない。ある意味、いかにも芥川賞受賞作である。
面白いだけが文学じゃないと叱られそうだが、かといって独自の世界観というか、他にはない新たな詩的幻想を生み出しているかというと、まだそこまでは至っていないと思う。たとえばヴァージニア・ウルフの小説にはウルフならではの感性がみなぎっているが、この小説ではそういう感じがしない。朝吹真理子の世界はまだ確立されていないようだ。
文体は普通と書いたが、語彙が豊富であるのは間違いない。聞き慣れない言葉があちこちに出てくる。あと、「からまる」の意味で「からがる」と書いたり、普通は漢字にするところをわざとひらがなにして開いてあったりするが、こういうところはちょっと川上弘美っぽいこだわりがある模様だ。多少ならいいけれども、こういうのはやり過ぎるとあざとくなる。この人の場合「あざとい」に片足突っ込んでいる気がする。
そんなこんなで、きれいな作品だけれどもインパクトは弱かった。ただ、まだ20代ということを考えると、素晴らしい文章力とテクニックの持ち主であることは間違いない。今後の成長に期待します。
ちまたで話題の芥川賞受賞作を入手した。短いのであっという間に読める。芥川賞受賞作というのはあんまり面白い感じがしなくて普段は触手がのびないのだが、今回は「永遠子は夢をみる。貴子は夢をみない。葉山の高台にある別荘で、幼い日をともに過ごした貴子と永遠子。ある夏、突然断ち切られたふたりの親密な時間が、25年後、別荘の解体を前にして、ふたたび流れはじめる―」という宣伝文句から濃密なロマン、仕掛けに満ちた物語性みたいなものを期待し、読んでみたのである。天才的という作者の評判にももちろん影響された。
で、読み終えた結果は、いささか拍子抜けしたと言わなければならない。理由としては、まず物語性が希薄だったこと。プロットに取り立てて仕掛けがなかったこと。そして難解と聞いていた文体が普通だったこと。
25年前の子供時分の回想と、現在のエピソードがごっちゃに語られる。一緒に海に行ったこと、母親の死、レコード、鱈鍋、家に出たムカデ、満月、子供の夢のこと、などなど。ひとつひとつは日常的なエピソードで、特にどうということはない。その中で作者が一貫してこだわるキーワードは時間、そして夢だ。ただし夢と時間が溶け出して融合するみたいな筒井康隆的な仕掛けはなく、こうしているうちにすぐ百年がたってしまいそう、とか、見たいものが見れないのが夢というものかも知れなかった、などという感慨があちこちに埋め込まれているというレベルだ。
仕掛けらしい仕掛けがあんまりない中、目立っているのが、貴子と永遠子の髪が後ろでつながっているように見えるイメージと、それぞれが一度ずつ何かしら分からないものに後ろから髪を引っ張られるという不条理なエピソードである。これを話の中にぽーんと放り出して、へたに寓意などつけなかった大胆さはさすがだと思った。が、強烈な印象を残すには至らない。
時間がテーマになっていることと物語性が希薄なこと、そして改行少なめで書き連ねていくタイプの文体と、やはり芥川賞作家である磯崎憲一郎の『世紀の発見』と似た読後感だった。うまいなあとは思うが、面白かったなあとはあんまり思えない。ある意味、いかにも芥川賞受賞作である。
面白いだけが文学じゃないと叱られそうだが、かといって独自の世界観というか、他にはない新たな詩的幻想を生み出しているかというと、まだそこまでは至っていないと思う。たとえばヴァージニア・ウルフの小説にはウルフならではの感性がみなぎっているが、この小説ではそういう感じがしない。朝吹真理子の世界はまだ確立されていないようだ。
文体は普通と書いたが、語彙が豊富であるのは間違いない。聞き慣れない言葉があちこちに出てくる。あと、「からまる」の意味で「からがる」と書いたり、普通は漢字にするところをわざとひらがなにして開いてあったりするが、こういうところはちょっと川上弘美っぽいこだわりがある模様だ。多少ならいいけれども、こういうのはやり過ぎるとあざとくなる。この人の場合「あざとい」に片足突っ込んでいる気がする。
そんなこんなで、きれいな作品だけれどもインパクトは弱かった。ただ、まだ20代ということを考えると、素晴らしい文章力とテクニックの持ち主であることは間違いない。今後の成長に期待します。
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