アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

2015-03-28 22:00:26 | 映画
『鍵』 市川崑監督   ☆☆☆☆

 市川崑監督の『鍵』を初見。原作は谷崎潤一郎だが、私は未読である。どうやら肝心の「鍵」の意味が原作から変えてあるらしく、それが原作ファンには不評のようだ。が、それを知らないで観た私にとっては、充分に面白かった。

 かなり変わった映画で、アクが強いので人を選ぶだろう。冒頭、いきなり仲代達也がカメラ目線で「これは老いについての映画です」と語りかける。そのまま彼が中村鴈治郎を診察するシーンに繋がるが、ブラックユーモア風の仲代達也の演技がわざとらしく、不自然で、うっとうしく感じる。大学内の診察室も妙に薄汚れていて、暗い。画面が陰鬱である。これは他の場面も同じで、とにかく家の中の場面はいつも異常に暗く、また仲代達也ほどでないにしろ他の役者の芝居もわざとらしい。芝居だけでなく、たとえば京マチ子のメイクも狐の妖怪みたいでわざとらしく、特にあの眉毛はどう考えても作り過ぎだ。が、それは制作者側が距離感を計り損ねているわけではなく、狙ってやっているのである。場面のつなぎ方なども色々実験している。とにかく色んなところに作為が感じられる映画で、観始めてしばらくはそれがうざかった。

 ところが、京マチ子が気絶するあたりからそれが気にならなくなる。物語内容の異常性が画面の異常性に追いつき、バランスし、むしろ効果を発揮し始める。これは老いた夫(中村鴈治郎)が女ざかりの妻(京マチ子)に若い男(仲代達也)をけしかけ、それを覗き見て嫉妬し、嫉妬することで若さを取り戻そうとする異常な物語だ。しかも、その若い男は自分の娘(叶順子)の婚約者なのである。

 仲代達也を家に呼んで酒を呑んでいると、いつも京マチ子が風呂に入って気絶するので、みんなで素っ裸の彼女を寝室に運んで寝かせる。仲代達也が家に来るたびにこれが起きるのである。仲代達也が遠慮して妻の裸身から目をそらしていると、中村鴈治郎が「君も手伝ってくれ」などと言う。しまいには京マチ子が娘のアパートに行って風呂で気絶した時も、またまた仲代達也が呼ばれる。それから中村鴈治郎が素っ裸で寝ている京マチ子の姿を写真に撮り、わざわざその現像を仲代達也に頼んだりする。

 仲代達也は仲代達也で、娘とも奥さんともうまくやっていい思いをしているのだが、こういうブラックな人間関係が展開していく一方で、先述したようなわざとらしさや画面の作為性もあって、妙な緊張感漂う「間」が、役者たちの演技全般に満ち溢れている。とても奇妙な映画だ。こうした異様な空気感の中に、冷たいエロティシズムが漂う。

 全裸シーンが多い京マチ子だが、この頃の映画としては当然ながら胸や尻が見えることはない。うまいこと人やモノの影になって見えない。しかし実にギリギリで隠してあるので、充分にエロティックだ。しかもただ裸というだけでなく、京マチ子の持っているオーラというか独特のフェロモンが作用して、えもいわれぬ官能性が画面から立ち昇ってくる。裸体も最近はやりのボンキュッボンのモデル体型ではなく、ちょっとふくよかな純和風といった趣きの体型で、それがかえって淫靡なエロスを醸し出している。やはり京マチ子はすごい女優だ。

 さて、こうして倒錯したエロを堪能する年寄りの夫はやがて倒れ、しばしば記憶をなくすようになり、寝たきりになり、喋れなくなり、とうとう死んでしまう。俳句の会の集まりで友人の名前を思い出せなくなる場面は凄みがある。最近記憶が途切れる、という中村鴈治郎に友人が冗談まじりに「ぼくの名前は分かるやろな?」と問うと、真顔で「いや、今はダメや。ちょっと待っててくれ」と答えるのである。全員が絶句する。

 寝たきりになった夫は妻に服を脱ぐように頼み、目の前で全裸になってもらったりするが、こういうシーンもエロ一辺倒ではなく、奇妙なオフビート感があって、だからこれは決してポルノ映画にはならない。市川崑監督さすがだなと思ったのはこれで、先に「冷たいエロティシズム」と書いたのもこれのことだ。扇情的なエロ映画ではないのである。芸術的なふりして実は単なるエロ映画、というものが多い昨今の邦画界には範としてもらいたい。

 その他、中村鴈治郎が部屋の隅に立っている観音像を妻に見立ててじっと見入る場面なども、どこか神秘性があって映画の奥行きを増している。この観音像はあちこちの場面でひっそり登場し、観客の潜在意識に訴えかけてくる。北林谷栄のお手伝いさんが部屋に入っていくと、床に横たえた観音像を中村鴈治郎が食い入るように見つめている、なんてシーンもある。

 原作がどうかは知らないが、少なくともこの映画の根っこの部分は耽美映画ではなく、乾いたブラックコメディである。ただしその上に、淫靡で低温なエロティシズムや奇妙な倒錯性、そして不穏な陰影が盛り込まれている。個人的にちょっと残念だったのはラストで、あまりにストレートなブラックコメディに傾き過ぎている気がした。刑事たちが呑気に北林谷栄を釈放してしまうところである。もっとぼんやりした終わり方の方が、この映画にはふさわしいと思う。しかしながら、奇妙なツイストに満ちた蠱惑的な映画であることは間違いない。



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