アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

バビロンに帰る

2011-11-02 20:09:17 | 
『バビロンに帰る』 スコット・フィッツジェラルド   ☆☆☆☆☆

 『冬の夢』に続いてフィッツジェラルドの短編集をもう一冊再読。これには『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック2』という副題がついていて、これに先行する『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』があり、また『マイ・ロスト・シティー』というものもある。『冬の夢』とあわせてこの四冊が今のところ村上春樹訳フィッツジェラルド短編集の全てだが、この中で私が一番好きで、クオリティが高いと思うのがこの『バビロンに帰る』だ(ただし改訳後の『マイ・ロスト・シティー』は未読)。

 収録作品は以下の通り。

「ジェリービーン」
「カットグラスの鉢」
「結婚パーティ」
「バビロンに帰る」
「新緑」
「スコット・フィッツジェラルドの幻影 ―アッシュヴィル、1935」

 最初から5篇がフィッツジェラルドの短編で、最後が村上春樹のエッセイになっている。目玉はなんといっても「バビロンに帰る」である。村上春樹が+A級と評するまでもなく、フィッツジェラルドの良さが凝縮された傑作短編だ。かつて空虚などんちゃん騒ぎがあり、崩壊があり、主人公は今、苦さとともに生きている。あの頃輝いていたパリも今は白々として見える。この祭りのあとのような索漠とした感じはまさにフィッツジェラルドの独壇場で、その中で道徳的に再生しようとあがき、絶望感をかみ締める主人公の、怒りとも痛みともつかないやり切れなさが渦巻く。この否応なく読者に憑依してくる霧のような苦い情緒が、フィッツジェラルドが本物の芸術家である証だ。

 他の短編もなかなか粒ぞろいで、「ジェリー・ビーン」は地味ながらやはりフィッツジェラルドらしい苦さが味わえるし、「カットグラスの鉢」は因縁話、つまり不思議な話だがフィッツジェラルドらしい崩壊感覚がある。それにしても文体がとてつもなく華麗で、20歳そこそこでこれを書いたというのは本当に驚きである。「結婚パーティ」はまあまあレベルながら昔の女に執着する男の痛みが出ているし、「新緑」がまた実にフィッツジェラルドらしい、奇妙な作品だ。この短編に出てくるディックという男は素晴らしくハンサムで感じのいい青年でありながら、酒に酔うと恐ろしい醜態をさらすのである。このディックの二面性はほとんど超現実的で、まぎれもなくフィッツジェラルド特有の登場人物だ。村上春樹はこの短編にかなり厳しい評価を下しているが、私は結構面白かった。

 こうやって見ると作品の出来はそれぞれだが、どれもフィッツジェラルド独特の苦さ、そして崩壊感覚を持っている。そこがいい。作家の中には時々、こんな風に自分の世界特有の「苦しみ」を発見する人々がいる。それはたとえばフィリップ・K・ディックやレイモンド・カーヴァー、ボリス・ヴィアン、そしてカフカのような人たちだが、もちろんこれは一流の作家にしかできないことだ。私はスコット・フィッツジェラルドもこうした「苦しみ」の発見者たちの中に加えていいと思う。

 ところで最後に入っている村上春樹のエッセイも面白い。これはフィッツジェラルドがアッシュヴィルにいた頃の話がメインだが、フィッツジェラルドという特異な作家の肖像をよく描き出している。しかしこの人、本当にひどい酔っ払いだったんだなあ。


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