崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

著作権と遺族

2009年07月13日 05時12分57秒 | エッセイ
 公機関に寄贈された写真を研究のために分析しようとしたら手続きが煩雑で放棄するしかなかった。戦前作の映像などに関して遺族の所有権が強くて著作権を主張しあまりにも高額であるため、研究資料さえも使いにくくなり大変困っている。死者が残した文化遺産は出来るだけ公開して使うべきである。現在のように遺族が著作権などを主張して高額な費用などを取るシステムは緩和すべきである。最近西洋の名作映画などが大分解除され、安価になったのも考慮すべきである。
 現在の日本の家族観からはいわば親孝行や親子関係などが薄い子孫があまりにも「遺族」としての相続などの権限を強く持つ状況の遺族観は矛盾していると感ずる。本人の意思をより尊重すべきであろう。商業的に考えるならば別であるが、もし本人が自分の映像など作品の利用を気にするなら制作しない方が良いと思う。また発信すべきではない。人によっては公開しながら厳しく制限する人も多い。矛盾している。最近アメリカでは文学作品を大胆にインタネット上で公開している。かなり自由に使われるようになった。
 作品などの出所を引用しながら使うということは情報を共有することであり、それが広い意味では社会的な協力にもなると思う。人の作品を大事に使う本意は忘れず積極的に利用できるようになってほしい。規制が好きな日本社会も規制緩和の声が出始めているがまだ遠い。