崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

腕時計

2009年07月16日 03時35分33秒 | エッセイ
 ソウルから270キロ離れた世明大学校を東亜大学の理事長と日帰りで往復した。その大学では広島大学時代の教え子であった二人の教員がいる。金弼東教授と中村八重講師がである。金教授の配慮で大学間提携、交流の件をもって訪ねることができた。印象の良い経営後継者も参加した会議では有効な話ができた。総長の金裕盛博士は私と同年、同郷(ソウル)、同門であり、一気に親しさを感じ、御馳走になった。総長は自分がはめた大学の記念の腕時計を私にくれた。私は前日いただいた李明博大統領のサインの入った腕統計と並べて二つを腕にはめた。戦争中軍人たちが敵の死者から時計を何個も取ってはめたということを想起しながらも嬉しく自分の腕を眺めた。
 とてもきついスケージュルであった。ホテルに帰り、待っていた出版社の会長、ソウル大名誉教授の李文雄氏、広島大時代の教え子の夫婦などと冷麺を食べた。いただいた、私の好物のまくわ瓜もいっぱい食べた。忙しく幸せな時間であった。残念なことは訪問した大学で持っていた中村には会うことができずソウルへ戻ったことである。
 今まだ早朝の3時半過ぎである。これから空港へ向かう準備をする。

暴雨と強風

2009年07月15日 06時17分34秒 | エッセイ
昨日(14日)仁川空港に到着して数十年ぶりの暴雨と強風の中、移動した。まず出版社社長から韓国映像資料院から頂いたDVD版「兵隊さん」をもらった。そして国立中央博物館を訪れて館長崔光植氏に会い鳥居竜蔵などが残した38,000枚のガラス乾板に関する共同研究を話題にしたが、同席した部長などから反対されて全く協力を得ることができなかった。そして保存状態を肉眼で見ることさえできず他の資料整理の場面を見せてくれただけなので私は怒った。韓国が海外に出た文化財の返還を強く主張することとは全く違って日本時代の日本人が撮った資料を独占して公開しない。これから早くても6年以上の歳月を掛けて資料整理が終わったら公開するという担当者の話では私は言葉を失った。
 「初伏」という猛暑の季節食の「参鶏湯」をNHK塩田部長など4人と東京の北村監督など10人ほどが一緒に食べた。そして私のホテルの部屋で「兵隊さん」の試写会を行った。十数人で賑やかな時間であった。この映画「兵隊さん」は思いのほか早く手元に届いた。しかしこのホテルの名前と同名のものがあって届けるために来た人が困難だったハプニングもあった。18日の福岡での講演会で主催者側からも映像放映が心配で、そちらも「兵隊さん」を手にしているということで心配はなくなった。ただどのように観るかはこれから考えようと思っている。今日は朝からソウルから遠く離れた大学を訪問して提携の話を進めていくつもりである。雨はやんで曇っていて、無事を祈っている。

博士論文審査

2009年07月14日 05時23分49秒 | エッセイ
 昨夜遅く広島から帰宅した。広島大学大学院で博士論文を審査した。彼は最初に一般人として聴講してから大学院に進み、チベットで26カ月も滞在して調査をして7年かかって論文を完成した。私自身は博士号を取得するまで日本留学して13年かかったことを考えた。私は彼が長く時間をかけ、力を入れたことを実感した。この論文審査の前の日には2日間研究会で発表やコメントで忙しかったが、彼の論文をじっくり読むことができてよかった。
 昔の同僚の4人と10人ほどの院生、中には留学生も参加した。私は論文審査を裁判のように考えてはいけないという基本態度をしている。大学によっては高慢な態度で判決でもするような教員もいる。教育者は人の成長や学習を助ける永遠なる助手と思わなければならない。今度の審査も同僚に囲まれて旧友と楽しく指導しながら厳しく指摘して「良い助手」となっていると自負している。
 今朝、早便で韓国へ飛ぶ。今週の土曜日(18日)の九州大学での講演は朝日新聞など各紙から報道のメールが来ているが、私は肝心な映像をまだ手にしていない。今日ソウルでもらう予定である。ハードスケージュルなので病気にならないように注意をしようと思う。

著作権と遺族

2009年07月13日 05時12分57秒 | エッセイ
 公機関に寄贈された写真を研究のために分析しようとしたら手続きが煩雑で放棄するしかなかった。戦前作の映像などに関して遺族の所有権が強くて著作権を主張しあまりにも高額であるため、研究資料さえも使いにくくなり大変困っている。死者が残した文化遺産は出来るだけ公開して使うべきである。現在のように遺族が著作権などを主張して高額な費用などを取るシステムは緩和すべきである。最近西洋の名作映画などが大分解除され、安価になったのも考慮すべきである。
 現在の日本の家族観からはいわば親孝行や親子関係などが薄い子孫があまりにも「遺族」としての相続などの権限を強く持つ状況の遺族観は矛盾していると感ずる。本人の意思をより尊重すべきであろう。商業的に考えるならば別であるが、もし本人が自分の映像など作品の利用を気にするなら制作しない方が良いと思う。また発信すべきではない。人によっては公開しながら厳しく制限する人も多い。矛盾している。最近アメリカでは文学作品を大胆にインタネット上で公開している。かなり自由に使われるようになった。
 作品などの出所を引用しながら使うということは情報を共有することであり、それが広い意味では社会的な協力にもなると思う。人の作品を大事に使う本意は忘れず積極的に利用できるようになってほしい。規制が好きな日本社会も規制緩和の声が出始めているがまだ遠い。
 

研究会で発表

2009年07月12日 06時49分39秒 | エッセイ
 昨日大阪国立民族学博物館で行われた日本人類学史研究会で朝倉敏夫教授の朝鮮半島での研究史が検討された。そこでは度々私の研究に触れ、評価してくれ、恐縮であった。彼は村山智順という朝鮮総督府の嘱託であった人物が残した活字になっていない原稿や大正5年東大での講義受講ノートなどを見せてくれた。その丁寧さと細かさに感動をした。
 朝倉氏は村山は「嘱託」という地位のために韓国の学者たちから「植民主義者」と叱咤されていることも指摘した。私は以前村山の『朝鮮の風水』を韓国語で翻訳したことがあり、今度『朝鮮の巫覡』も翻訳中であり、彼を高く評価している。名高い秋葉隆教授も村山からの影響を大いに受けてたことをこれから明らかにしたい。朝倉氏によって要約された、多くの植民地批判の態度や理論を聞いていると「非専門家が専門家を非難している」ような気がする。
 私は昨日日本人学者が朝鮮の田舎で撮った1936年の記録映像を見せて、それを見た韓国人の住民たちから「偽造だ」と言われたことをも紹介した。戦争、植民地、抑留など一方的なイメージが出来上がってそのパラダイムに合わせたような研究態度は一般世俗的な態度でありアカデミズムとして不適切なことが議論された。特に波平恵美子先生はシベリア抑留者をインタビューして「楽々暮らした」という人もいるのに調査記録は悲惨と苦労話としてまとめられていることを批判する意見も出された。もちろん抑留生活は苦労の多いものだったとは思うが本当に実情はどうだったのか既刊のインタビュー調査なども再検討しなければならないと思った。

たばこ文化

2009年07月11日 06時17分25秒 | エッセイ
 東亜大学の医療栄養学専攻の中野昭夫教授の講義に参観して意外な知識を得た。タバコを吸わない人より多く吸う人が肺がんに罹る想定値が6倍高いことや受動喫煙の被害が大きいということも関心ある内容であったが、私にもっとも関心のあったことはニコチンの中枢神経を興奮させる精神作用に関することである。私の専門であるシャーマンとの関連があるからである。
 シャーマニズムの中には麻薬性のある煙によって神懸かりになる文化圏が広い。南米の原住民のシャーマンたちは麻薬性のある植物やキノコを煎じて飲んで、またインドネシアでは煙を吸って神懸かる。それはその地域に限らず神に「献酒」「焼香」として広く普及している。身体に害物であるものでも文化的には機能するものとして酒とたばこがある。私は韓国で酒に弱く、タバコもすわないので社会生活においてはマイナスであったと常に感じている。

VHS時代は過ぎた

2009年07月10日 06時09分31秒 | エッセイ
 アメリカの未来学者のトフラー(Alvin Toffler)は『未来ショック』(Future Shock、1970)、『第三の波』(The Third Wave、 1980)、『戦争と反戦』(War and Anti-War 1995)など数多くの話題作を妻と共著で発表している。特に世界的に話題を呼んだのが『第三の波』である。人類歴史を大きく三つの波として、第一が農業、第二が産業革命、第三がグローバル化と多様化の波であるという主張であり、それに対応するようなことに触れている。このようなマクロな変化は目下私たちが側面している。ミクロな私自身の人生においては今どんな波にいるのだろうか。
 小学校の時糸線を利用して通話しながらそれがよくできればと未来を考えたが今はその遊びが世界的に実現されている。私もいち早くから携帯電話を持っている。しかし私はそれの機能をを十分に使いこなせず、単純に通話のみに使用している。ある人はそれを使わず固定電話やファックスを使う人がいる。コンピューターのEメールも使えない人がまだ多い。またある人は電話も使わず直接対面する生活をする人もいる。まるで原始と現代が共存している。
 私は今、研究用のVHSビデオの資料をDVD化するのに時間をかけている。内容を確認しながら簡単に編集もしてDVDに移している。20年ほどで画質が相当に薄くなったことに驚く。特にカーラーは色褪せている。自分がTVなどに出演したものは見たくない。自分の「人生の色」が薄くなったことに失望する。VHSという機械的なものが今の時代にはすでに過ぎてしまった感があるが、まだ過去の記憶をたどるには頼りになるので保存している。しかし自分の記憶はこの機材よりうんと薄れて忘却されていることに気がつく。入れ替えた資料がまた薄れた時はこの世にいないかもしれない。その後は誰が入れ替えてくれるのだろうか。

私の履歴書

2009年07月09日 05時27分55秒 | エッセイ
 最近著のエッセイ集を読み、さらに求める人から電話などでも声を掛けられることがある。数日前にも全く他人からエレベーターの中で読んだよと言われてうれしかった。なにか、すべての人、他人が他人ではないように感ずる。自分が過大妄想的になっていく小人癖と戒めなければならない気持にもなる。そんな中、昨晩私の履歴が面白いから会って見たいという電話があった。嬉しい。
 日本ではある会社に入社して退職まで一筋の履歴が良いといわれる傾向がある。その面から考えると私の履歴は遍歴が激しく、良いものではないかもしれない。良し悪し問わず私の履歴はそのように生きてきたものであるから、書き直すわけにはいかない。専門分野も変わったり広がったり、軍の教官、政府の半官半民機関での委員、高校の教員、大学教授、留学などで職場や住所も多く変わっている。日本人と結婚して、韓国から日本にきている。人から変に思われるかも知れないが私にとって妥当な人生の道であった。 今、ふり返ってみると我が夫婦は難しい決断を簡単にも下してきたとも思う。間違った決断でもいったん決まった以上はそれを成功させようと努力した。その成功とは立身出世的なものではなく、正義と愛などを信条に実行しようとしたものである。その私の履歴を肯定的に見てくれる人がいることは幸せなことである。

NHKの「クローズアップ現代」

2009年07月08日 05時35分37秒 | エッセイ
 三つの定期購読の新聞からまず何をトップニュース(headline)にしているかを見てからネット上のニューヨークタイムスなどを読み、私のトップの関心から目を通す。大体中央誌のトップニュース、地域版へと読み進む。中央紙の地域版には取材情報が少なく、俳句やスポーツなどで埋まっており、さほど地域に密着していない。ただ中央誌の中でももっとも多く読まれる毎日新聞は記者名を表記しており、現場に密着した記事になっている。 昨日のブログでは中国新疆ウイグル自治区の『暴力犯罪』を書いた。それは私だけのトップニュースとは思えず当然愛視聴の長寿番組と自慢するNHKの「クローズアップ現代」に期待していた。しかし昨夜中国の問題ではなく、アフガン問題を取り上げたので失望した。中国との微妙な問題のために避けたのではないかと思ってしまう。単なる話題選択のブレなのか、あるいは政策的な配慮なのであろうか。TVによる情報収集に怖さを感じている。

新疆ウイグル『暴力犯罪』?

2009年07月07日 06時12分34秒 | エッセイ
中国国営の新華社通信はイスラム文化圏の新疆ウイグル自治区ウルムチ市内で前日の5日午後に『暴力犯罪』が起きたと報道した。ニューヨークタイムスによれば現時点で157人死亡、800人が逮捕されたという。中国は経済的に開放政策で大成功しているが、民主主義と資本主義が極めてアンバランスな状況からこの事件が起きたのである。
 これを契機に中国が民主化していくか、あるいはさらに強圧的に徹底した独裁化されていくか、指導者は慎重に判断してほしい。経済だけではなく、民主化も進んでいくのが摂理であろう。韓国では一昔前までは『暴動』といったものを見直して民主化運動の烈士として名誉回復させた事実がある。金大中氏が資本主義と民主主義の発展の両輪と言ったことを思い出す。国家が安定していることも大事なことではあるが、無理に大国主義で民族問題を粗末にしてはいけない。

アフリカニゼールへ宣教師

2009年07月06日 06時58分00秒 | エッセイ
 バプテスト教団からアフリカ・ニゼールへ宣教師として吉岡氏を送る壮行会に参加した。19世紀末イギリスからバプテスト宣教師が派遣され、次に植民地行政家のケースメントが西海岸のイギリス保護領で開発にかかわった所でもあり、私はケースメントを追って調査・研究しているので行ってみたい。そして彼女に期待も大きい。彼女はすでにそこで20年も奉仕している人である。
 私は若い時シュバイツァーが医師になってアフリカで奉仕したことに敬意をもって自分でもそのようなことができないかと思い、また彼の評論家としての文章を読み、評論を専攻するために大学で文学を専攻した。それが心理学へ、社会学へ、文化人類学へ流転するようになったのである。
 彼女は私の夢を実現しているとも感じている。彼女は奉仕と苦労だけではないものが得られるはずである。それは奉仕から力を得るからである。人類を愛することが愛されることであるからである。

「補身湯」文化の天敵は愛犬文化

2009年07月05日 06時17分30秒 | エッセイ
 昨日の形質人類学の鵜沢氏の講義を聞いてみた。日本には縄文時代では食べなかったが、弥生時代から犬を食べるようになったという。犬を食べる文化圏は意外に広い。主に中国など東アジア、東南アジア、太平洋、アフリカの一部などに広がっている。現在日本は「愛犬天国」のようになって、犬を食べるのは野蛮人視されている。西洋化によって日韓文化の極端に異なった食文化現象ともいえる。
 「補身湯」とは韓国語のボシンタンという犬肉を煮込んだ料理である。「補身」という言葉からも漢方的、準薬食のニュアンスがある。猛夏に夏バテ防止、また民間医療的な食べ物である。最近、韓国では何を食べようが他国から野蛮視される筋合いはないなど、そこに民族主義までもってきて正当化しようとする人もいる。
 中国には朝鮮族が200万人弱住んでいるが、彼らは日常食のように食べるし、朝鮮民族の「風味」と宣伝している。去年中国に行った時、長春の中心街には大きな建物に狗肉レストランの看板が見えた。狗肉文化の天敵は愛犬文化であろう。まだ中国や韓国には愛犬文化が広く普遍化されていないことを意味する。愛犬文化がどこまで広がるかを注視したい。

朕に天下あり

2009年07月04日 05時33分11秒 | エッセイ
 麻生総理は「朕に天下あり」のように毎日「解散は私が決める」といい、全権を握っていることを誇示している。言葉の遊びとしか感じられない。信念があってというわけでもなく、ただ執念深い政治家としか感じられないのはなぜであろうか。しかし野党にとっては好都合かもしれない。ギリギリ最後まで自民党の人気を最低にして選挙をすることによって、政権交代ができれば新しい気運が日本にも回るであろう。しかし野党が有利な時、党首が献金問題で集中的に追及されている。これも時運といえるのだろうか。日本では本当な民主主義は遥か遠いものと感ずる。
 無力な政治家の役割は大きいと思う。韓国では張勉政権の弱体が軍事クーテタを起こす起爆になり、ソ連ではゴルバチョフのようなロマンチストの指導者によって崩壊が可能となった。善し悪し問わず政権を壊して改革が起こる契機を作るのはある意味では「無力(?)な政治家」によって持たされるものである。現在も続く多くの独裁政権の体制を壊すのは誰であろうか。無力な人、あるいは悪役は誰だろうか。北朝鮮、ミャンマー、イラン、中国…。

「お金万能主義」

2009年07月03日 06時01分31秒 | エッセイ
 台湾のある大学の教授が来校したので数人の同僚と昼食を一緒にとった。彼は台湾人として筑波大学で私と同日に博士号を取ったということで二人は大きい奇縁のように話ている内に、次々と私の知人とつながっているので話は一段盛り上がった。しかしびっくりしたことはそれだけではない。彼は中国を旅行中、スパイ容疑で捕まえられ、北京の刑務所で11年間も刑を受けたという。彼は台湾が大陸と融和政策を取るのにも脅威を感じているという。その際は日本に亡命しなさいと私が言い、皆が笑った。
 一般の官吏の腐敗はもちろんのこと、刑務所の看守も例外ではないという。私はその体験記を書くように彼に勧めた。中国は唯物主義の社会主義国家としてつい最近まで続いていたが、最近の中国には資本主義が入って「お金万能主義」の中国の現象が象徴的に現れているようである。儒教の本家ともいえる国においてて私は儒教倫理は全く感ずることができなかった話をしたら、いま中国の小学校で「論語」を教えているという。それよりは魯迅の作品でも読ませるべきだと言いながら私は思わず溜息をもらしてしまった。

ソウルから朗報

2009年07月02日 05時53分26秒 | エッセイ
 韓国東亜大学校の崔仁宅教授が宮崎公立大学で彼女を学部時代に指導し、現東亜大学の私が広島大学で修士、博士課程の指導した、いわば孫弟子にあたる現韓国世明大学校の中村八重さんからの昨日の夕方の朗報の電話で私は飛び上がるほど喜んだ。彼女が新学期から韓国外国大学校の教員に決まったということである。現職場で先輩として色々めんどうを見ていた金弼東教授からも連絡が入り、私は彼にも感謝の言葉を言った。
 現職の大学校でもよかったが、新大学校はソウルに位置していて、歴史の長い名門大学であるので研究環境や安定した生活も期待される。なにより私は今社会的にも大きく問題になっている脳死移植などの彼女の研究が活発に進行出来ることを大きく期待しているからである。
 なぜこのように嬉しいのだろうか。弟子としての身内、味方への親心だろうか。とにかく彼女の研究活動を、そして彼女の人生を彼女を大好きなミミも一緒に家族で見守っていきたい。数日後ソウルでお祝いして上げることにした。